見出し画像

【小説】ぼくとおじさんと ep.3

居酒屋でのおじさんと文の話は盛り上がっているようだった。
ぼくは二人の話を聞きながらもずっと文の横顔を見ていた。話の内容はぼくの関心事ではもうなかった。話はぼくの耳と頬を風のように通り過ぎていくだけだった。
気が付くと店には人が入り込み、せわしなく従業員が走り回っていた。
「おじさん。戦国大名の話しも面白いと思うけど、戦も戦争も殺し合いの歴史だよね。
歴史の教科書の、教科書に書かれていないところが面白いのだけれど、結局歴史って攻める方も攻められる方も領主や偉い人同士で、さっき僕が言ったその他大勢の庶民がいつも苦労していたんじゃないか。庶民の殺された死人ばっかりが意味も無く積み重ねられて時を刻み、後を追うように歴史が書かれていく。歴史って無味乾燥な支配者の戦利品に思えるんだ。
僕にとって、歴史って目の前の現実が積み重なっていくだけで、ひょっとしてテレビや専門家が商売として売り込む絶好の商品でしかないと思えるんだ。」
おじさんはぼくの話しに驚いたのか、やっとまた口を開いた僕に向けて好々爺の眼差しで話し始めた。
「そうだな。武志の問題意識は歴史に対しての一つの見方を示しているな。」
おじさんはぼくに同意してくれているのだが何故か言い方、表現が固い。それがおじさんの個性だと思うのだが。
「ぼくは、二人の話の腰を折るつもりで言ってるんじゃないんだけれど、年寄りだったら年金生活者、ぼくだったらアルバイト生活者、しかも債務を負った弱者といおうか若者にとって、明日のために生きるというより今の生活をできるだけ楽しく生きたいとささやかに考えている人間にとって経済も政治も歴史も遠い世界の出来事なんだ。」
自分でも何を言ってるのか良く分からない。ひょっとして二人が楽しそうに話していることが羨ましいのかもしれない。だから歴史なんかほんとは関係ないのかも知れないのだ。
「武志の世界観が垣間見えるな。
俺たちにとって、青春時代は明日が輝いていた。高度成長期だったからね。商売は何をやってもうまくいくと思っていた。だが、今の武志や若い人にとって明日は暗いよな。他国の国民総生産は上がり、給与所得は上がっているのに日本は横ばい、というより下がっている。そして何の展望、見るべき未来がないのが現実だからな。この30年、そんな中で産まれて生きてきた武志にとって何の変化も無く過ごしてきたのだから、社会の変化とか世の中が発展進化するなんて、イメージも湧かなければ歴史なんて想像外のことかも知れないな。
でも武志よ。戦国武将のことや歴史の話をするのは、過去の話しというより過去の人間の生きざまの話しなんだ。
身分制の厳しい時代に、生まれてきた子供は親や身分を選ぶことができない。その中でどう生きてきたのか、自分ならどう生きるかを考えるのが、今生きている自分たちにとっての歴史の見方であり歴史の話なんだ。
歴史とは政治であり、経済であり、文化であり、ついでに言うと今につながっているのが歴史なんだ。
俺たちにとって戦後から今に至るまで社会の変遷を肌身に感じで政治、経済を見つめてきた。戦後からの歴史を見てきたと言える。
この数十年、経済も何もかも閉塞していた中で生まれ育った武志たちにとって閉塞感だけが現実だと思うが、それは武志のせいでもないが、戦後を歴史として見てきた我々からすれば許すことのできない現実でもあり歴史でもあるんだ。
歴史というと難しいが、風俗や服装、インスタントやお菓子の戦後の変化と言えば分かりやすいだろう。テレビでの映像を見れば良く分かる。それが歴史だ。
武志の言うその他大勢の庶民の歴史を調べた民族学者が日本にもいた。宮本常一という人だ。
漂白民とか被差別部落とか色々庶民の生活や道具や性の事まで調べていた。その他大勢と一口に言っても、それこそその他大勢の生活と歴史があり、彼はそれを研究していたんだ。」
おじさんの話はいつもそうなのだが、話をしていてだんだん自分で興奮して来て次第に語調が荒くなる。
そしていつも相手に同調を求めてくる。
今の話しもそうなのだが、ぼくには社会や政治、経済や文化、それは流行やファッションでも同じで、その他大勢の中のぼくがいつも取り残されていて、いつも寂しい思いのままで現実の壁の前に佇んでいるような寂寞観しか残らない。だから歴史には大勢の人が関わっているのだろうが、いつも語られる歴史にはそんな人間の作ったものとは違う、非人間的な力でつくられる非現実的な物語としかぼくには感じられない。今ぼくが苦しみ生きている現実も紙に書くと、ぼくという他人が舞台の上であたふたとしている役者で、それを客席から漫然として見ているもうひとりのぼくという名の客との関係としか思えないでいる。僕自身の生き方が他人事なんだ。
今の若者は新聞も読まず活字を追わなくなったというのは、流される現実を冷ややかな第三者の目で見る事で自分の過去も未来も考えることなく、その他大勢の中の一人の寂寞観で眺めているのに過ぎないのだろうと思っている。だからおじさんの話は聞いているけど、そして同調はするけど、話を聞き過ぎると寂寞観から伸びた枝葉が広がり孤独なぼくの体にまとわりつくようで、時として恐怖を感じることがある。それでもぼくはおじさんの話に聞き耳を立てていた。
「歴史という言葉にこだわっているのではないだろうが、武志が以前古い歴史を調べていたことがあったのを知っているから、今日の言い方は意外に感じるな。」
おじさんはボソッと語りだす。
「別にぼくは歴史に文句を言ってるわけじゃないけど、ぼくが大学でやっていたことが結局就職にも何にも役に立たないということが、今自分が向き合っている現実と無縁なように思えたまでなんですよ。」
「そうね。武志が大学の勉強はインドの古代史とサンスクリットだったわね。
それでも昔は歴史や今という時代に挑戦的なことを話ししていたように思うけど、この間の武志の話を聞いていてなんか一人ぽっちの捕囚のように、現実という牢獄の中で膝を抱えて佇んでいる老獪のようでいて、聞いていてなんか寂しいわよ。」
文の話はぼくを擁護しているのか批判しているのか良く分からない。昔は昔、今は今なのだ。
「歴史は、特に過去は見えないがゆえに色々な想像力が働く世界だ。一つ宇宙船に乗って地球の上から歴史を探索するのも面白いかも知れないよな。武志のように老獪の頭には、若返りの特効薬だからな。」
おじさんは一人で納得して話し始め、小さなカバンに手を入れてごそごそとメモ類を取り出した。おじさんの講義が始まりそうだ。ぼくは姿勢を正した。
「おいおい、膝を立てて構えるなよ。参ったな。俺の話は固くなりそうだから、柔らかくいくよ。固そうな武志の気持ちをほぐすために、酒の肴と思いながらいうことにするよ。」
おじさんは話し始める。
「世界史の教科書では原人から始まって四大文明の5000年前から歴史は始まったと言われている。それでも新しい発見で世界史もどんどん変わっている。
それまではメキシコ周辺の人口比率は高かったという説もある。南米ブラジルを含めたアメリカ大陸が人口でも優勢だったというのだ。
それが紀元前5000年頃からインド、中国のユーラシア勢に抜かれるが、この人口比率は現在まで続いていることになる。
日本でも青森の三内丸山遺跡が発掘されて6000年前から1000年程栄えた古代の村社会が再認識されたし、天皇以前の東北地方の繁栄と拠点化の議論も進んでいるよ。
アメリカ大陸に関しては、西暦1550年頃にはそれまで豊かだったブラジルやメキシコなどはスペイン、ポルトガルによって人口比率が著しく落ちたよな。」
それはこの間おじさんが力んでいた、殺戮そして収奪による今の国の成り立ちの話しだ。
ぼくにはどうしても人間が悪魔になる理由と国の収奪とやらを説明してほしかった。それがぼくの歴史の記述への不信感につながっていたからだ。ぼくはおじさんに問いかけた。
「どのぐらい減ったの」
おじさんはボロボロになったノートを取り出した。
「カリブ、アステカ、インカ地域の原住民の数は学者によって違いがあるが一億人とも4000万人ともいわれるが、インカ帝国が滅亡した1570年頃の総人口は140万人、70年から80年間で一億近く3000万人のインデオが征服者の犠牲になっていたんだ。
そして多くの金銀財宝がスペインやポルトガルに奪われていった。
コロンブスがアメリカ大陸を発見した1492年頃には北米に住む住民、インデアンと呼ばれる人口は200万人から500万人いたとされる。それが1890年には,わずか35万人まで減っていた。アメリカ移住と西部進出による殺戮と伝染病によるものだ。」
「進出とか征服とか言っても、土地を奪い命を奪う侵略を当時からしていたんだ。」
ぼくは教科書が殺戮を覆い隠すような言葉の汚さを感じていた。
「他国の殺戮と犠牲の上に、侵略した国が富み国民が潤うことを当然と考えていたんだよな。
その国の国民がどこまで知っていたかは知らないが、略奪した富に満足して世界の覇者として喜んでいたのは事実だよ。」
おじさんは続けた。
「知られている事だけ話そう。
アメリカ大陸で略奪した金銀財宝を運ぶスペイン船を、イギリスのエリザベス女王が出資した海賊船が海賊行為で得た利益、当時で4700%という配当金で東インド会社を作ったのは有名な話だ。そのイギリスのエリザベス女王が設立した王室協会はアフリカ大陸での人狩りで、奴隷としてアメリカに運んだことも皆が知っている有名な話だ。
アメリカへは1500万人が送られたが、奴隷船に詰め込まれたアフリカ人は奴隷一人に付き五人程が途中で死んでいるという記録もある。残酷な話だが数千万人から一億人のアフリカ人が拉致され売り飛ばされたのだ。」
メモを読みながらのおじさんの話は淡々としていた。
ぼくはその淡々として語られる数字と歴史に、その他大勢の犠牲者の中の一人として、同じその他大勢のなかの一人の自分がどうしても重なって来る。彼らは虐殺されたのだ。
「しかし、その人を簡単に殺したり虐殺することに何の感情も罪悪感も無いのですかね。」
ぼくは腹立ちを感じながらおじさんに質問した。
「戦争や殺し合いは西洋だけじゃないが、キリスト教を軸に発展してきた西欧の思想、考え方も影響は大きいと思う。つまりキリスト教を信じる自分たちの正当性とそれに対する邪教というもの、更に自分たちの先進性に対して遅れている者を野蛮とかいって下に見る考え方だね。
そこには人間性はない。殺しても構わないという考え方だ。これは中世や近代の西洋思想にも言える。
実はこの辺の物の見方や考え方は今俺が調べてていることで、近代の国の概念即ち国づくりにも言える事なんだが、近代日本特に明治期の国づくりがその当時世界最新の文明を持つとあがめられていた西洋の技術だけでなく考え方もそのまま持ち込んだことで現代日本の悲劇があると思っているのだが、それはここで展開するには時間も無く、ましてや酒の肴にすべきことではないかも知れないね。そこには当然資本主義批判がはいるからね。」
ぼくの義憤をおじさんも共有してくれたのか、いつもは話しをしていると興奮する性質のおじさんなのだが今日はそれがないようだ。
すると、黙って話を聞いていた文が話に参加して来た。
「確かに武志の言うように、歴史の表記の裏に多くの犠牲者がいるのは事実かも知れないわね。
多くの無名の庶民が死んでいる。日本の場合、地理的なこともあるけど地震や台風など自然災害の犠牲者も多いし。ただ、そんな犠牲者の人々、武志の言うようにその他大勢の人々の悲しい思いまで想像できないけど、生きたくても涙ながらに死んでいった人たちの気持ちを考えると、こうしてお酒を飲みながら話すことではないかも知れないわ。だから話題を替えましょうよ。」
なんか雰囲気が湿ってしまったのか、勢い込んで話す空気ではないようだ。
「じゃあ、話題を代えよう。おじさん、結婚ってどうでした。」
文がびっくりしたようで慌ててぼくの顔を見る。
するとおじさんが話し始めた。
「結婚か、いいもんだよ。
今日は出だしから、俺が結婚の話を出していたからね。」
おじさんは頭を掻きながら残り少ないビールを飲みほした。
「ビールはもういいから、酒でも頼もうか。」
ホールは客でいっぱいになり、客同士の会話で満ちていた。それまで気になっていなかったのだが、呼んでも従業員がなかなか来てくれない事でいらだちと周りの空気の物々しさが気になる。文のちびりちびりとビールを口に運ぶのろさが羨ましくもあった。
おじさんは話し続ける。
「文ちゃんと武志は交際も長いし、いいカップルだと思っていたので敢えて訊いてみたんだ。気を悪くしたのなら謝るがね。
そして武志が俺に結婚のことを聞いてきた時文ちゃんが慌てていたのを見て、二人にはちゃんと話をしておくべきだと感じたんだ。
多美恵が死んで俺が落ち込んで、そのことで皆が気を使ってくれたことがあったが、そのことで話すべき事と話す時を考えさせられた。だから今話してみたいと思うんだ。結婚っていいもんだという事をね。」
文はおじさんの顔をじっと見ている。ぼくは改まったおじさんに驚いていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?