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丹沢大山と阿夫利の由来

僕にとって丹沢大山は大事な山の1つです。高尾山の次に、多く登っている山です。晴れた日は横浜からもその雄大な姿を見ることができます。東西南北どこから見てもそれとわかる美しい山容は、古来から人々の信仰を集めました。

丹沢大山には阿夫利神社という立派な神社があります。この山自体も大山という名前の他に、別名「阿夫利山」と呼ばれています。その由来は雨乞いの意味を込めた「雨降(アメフリ・アマフリ)」からと言われています。

うーん、ホントにそうなんだろうか。
ということで、この「大山」と「阿夫利山」の名前について、個人的に考えたことを記録しておきます。僕は言語学者でも歴史学者でもないですから、ただの素人のメモ程度だと思ってくださいね。

「阿夫利」は「雨降り」の転訛?

僕はこの説には否定的です。従来の説通り「アメフリ・アマフリ」が「アフリ」になったのであれば「メ(マ)」はどこへ行ったのでしょうか。時間の流れで訛ったと思う人もいるでしょう。しかし相模地方では「雨乞い」を「アゴイ」とは、「雨傘」を「アガサ」とは呼ぶなんてことはありません。
このような変化が他の例に見られないので、多分違うんじゃないかな〜と思ってます。

では「アフリ」とは一体、どのような由来があるのでしょうか。2014年に産業能率大学が阿夫利神社と町おこしプロジェクトをした際に書かれたレポートに興味深い文が乗っています。
「阿夫利の呼び名は、「あふり」を語源とし、アイヌ語説としての「ア ヌプリ」(偉大なる山の意味) から「あふり」「あぶり」 とされたとする説、 原始宗教における神の所為である 「あらぶる」 が転じたと する説など諸説見られる。」
検索すれば出てくると思うので興味ある人は読んでみてください。

特に前者ですけど、いきなりアイヌ語説が出てきて驚きかもしれません。神奈川県にアイヌが住んでいたという証拠はありません。突拍子もないような説ですが、実は真相に近い気がするのです。僕は阿夫利はもともとアイヌ語、というかエミシと呼ばれた人々が使っていた言葉が由来になっていると思っています。

アイヌ語の可能性は?

極端な話、なんでもかんでも当てはめようと思うえば何でもアイヌ語由来に当てはめることはできます。これは別にアイヌ語じゃなくても、日本語も同じです。英語の「name」は日本語の「なまえ」が由来だというかんじです。

それでも僕が阿夫利がエミシ(≒アイヌ語)由来だと考えるには理由があります。また別の機会で書こうと思っていますが、少なくとも奈良時代ごろまでは、今で言う東京、千葉、神奈川(もしかすると山梨まで)あたりは、様々な言語を使うグループが混在していたと僕は考えています。
例えばこんな人たちです。

  • 上代東国語を話すグループ(現在の八丈島方言と同じ系統)

  • 朝鮮語を話すグループ(朝鮮半島から渡来した人たちからなる系統)

  • アイヌ語を話すグループ(ヤマトからエミシと呼ばれた系統、南方系?)

このようなグループが様々な場所に存在して、言語も独自の言葉を使っていたり、交易の際には共通の単語を使っていたりと、統一されていない複雑な形だったのではないかと思います。

そんな中で、アイヌ語を主に用いるグループ(ヤマトからエミシと呼ばれた人たち)が丹沢大山を呼んだ名前が、後に関東へやってくるヤマト(和人)に聞き取られた結果が「阿夫利」なのではないでしょうか。

「阿夫利」の意味とは

では肝心の「アフリ」の意味ですが、元々は「(カムイ)アヌプリ=(神が)座る山」という意味かなと僕は思っています。この座るというのはアイヌ語で、椅子に座るようなイメージではなく、一家の大黒柱とか王様がドシっと座っている様子を示します。鎮座、みたいな語感です。

なぜ「いる」とか「住む」ではなく「座る」なのか。実はもともと阿夫利神社の御神体は磐座(いわくら)なのです。磐座とは古来より神様が座すとされた大きな岩のことで、日本各地の大岩が古来よりアミニズム信仰の対象とされてきました。いわゆる神座(かむくら)いう言葉と同じような意味です。ヤマト政権の影響下で神道や仏教の教えが入ってくると、阿夫利神社の御神体も「石尊大権現」と呼ばれるようになりました。ピンと来る方いるかもしれませんが、お隣の山の塔ノ岳も、もともとは大きな岩を御神体とする信仰が盛んでした。

大山は関東平野のなかでも特に目立つ山です。僕はたまに木更津沖などに釣りにいくのですが、大山は東京湾を挟んだ千葉県からもよく見えます。たとえば東京湾を渡って、相模の国に行こうとする時は、間違いなく大山を目標にして航海をするでしょう。余談ですが、木更津もアイヌ語の「キサラ=耳」に関わる言葉に由来する可能性があるそうです。

そんな何処からでも、それと分かる偉大な山である大山、そしてその磐座に座す神という存在を表した言葉が「(カムイ)アヌプリ」なのだと僕は思っています。鳥居と境内という神社の形をする前、つまりヤマト政権の影響下に入る前の縄文時代から、大山と磐座は周辺の人々の信仰対象だったのです。実際に、大山の周辺地域にはストーンサークルなどの縄文時代前後の遺跡が見つかっています。

「カムイアヌプリ」のうち「カムイ」はどこへいったのだと思う方もいると思います。たとえば青森県にある岩木山は「カムイイワキ=神の住む場所」が由来という説があります。それが「神岩木山」にならなかったのは、そこに住んでいるのが神だということをわざわざ説明する必要が無いからだと思います。丹沢大山についても、そこに座っているのが神だということを説明するまでもないのです。

ヤマトによって「阿夫利」となった

紀元後になると、大山を「カムイアヌプリ」と呼ぶエミシの住む地方に、西からヤマト政権の勢力が及びます。いわゆる日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の東征です。おそらく相模国では比較的、平和的に同化が行われたのでしょう。受け入れられなかった人々は山奥や東北地方へ移り住んだのかもしれません。住む人々が大きく変わった時でも、地名は残り続けることが多々ありますが、エミシの「アヌプリ」がヤマトにより聞き取られた結果が「アプリ」であり、「阿夫利」と漢字で当て字されたのではないでしょうか。

ヤマト民族の流入によって稲作が持ち込まれたことで、大山は雨乞いの神様という側面も持つようになっていきました。そして、現在の阿夫利神社の信仰へと繋がっていったのです。

では「大山」の由来は?

阿夫利山がエミシの言葉であるなら、「大山」は上代東国語を用いていたグループの言葉、あるいはヤマト民族の言葉だと思います。この言葉は、現代の僕たちが使っている意味とさほど変わらないでしょう。

あるいは地元の特定の山を指す「おやま」の「お」が伸びて「おーやま」となったのかもしれません。たとえば高尾山の麓に住む方達は、わざわざ「高尾山に登る」とは言わずに「おやまに登る」と言います。これは彼らにとって「おやま」とは高尾山のことであり、それだけ生活に密着した大事な山だということです。丹沢大山も古来から人々の生活に重要な山だったのだと思います。

おわりに

初めにも言いましたが、僕は歴史学者でも言語学者でもありません。関東に存在したアイヌ語を話すグループと言っても、現在の北海道に残されているアイヌ語と言語的・文化的に一緒とは言えません。つまり現在の北海道アイヌが、従来本州に住んでいたエミシの子孫という証拠はありません。
素人の考えたたわごとぐらいの気持ちで見てもらえれば幸いです。
山のゴリラ

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