東京の島シリーズ #1: 新木場+夢の島
東京の島の数を正確に数えるのは難しい。東京湾の中心の一部として、埋立地や自然の島があるけれど、首都圏から数百キロ離れた島も存在している。このシリーズでは、まず最も近い島から紹介していこう。
地図を見ると、大田区、品川区、江東区、港区、中央区に属する島が約30あるようだ。
新木場
新木場は、多くの人が詳しくないかもしれないけれど、通り過ぎたことはあるのではないだろうか。ディズニーから2駅、東京駅から5駅の距離に位置し、交通のハブとして機能しているこの島に住人はほとんどおらず、主に工業地帯として利用されている。しかし、その表面だけではなく、もっと奥深い部分もある。
新木場は僕にとって特別な場所だ。
2013年からパンデミックまで年に数回、主にStudio Coastでのイベントのためしばしば訪れた。最初の訪問は1月下旬、僕の好きなバンドAの日本での初ライブだったので、緊張していた。11月には別のライブイベントで、遅刻してしまったがその時はふと、当時住んでいた練馬から新木場までのルートを再確認した。今回は特に問題もなく到着したが、距離の遠さに不平たらたらであったのを今で覚えている。駅に着くと、南へと向かう黒いTシャツの群衆に加わって続いた。島の主要な部分と小さな島を結ぶ橋を渡ると、夕暮れの空にぼんやりと黄色い富士山が浮かび上がっていた。
その夜以降、新木場自体を考えることは数か月間なかったが、それも長くは続かなかった。大学時代にクラブ通いが好きな友達に誘われ、AgeHaに行くことになった。僕はあまりナイトクラブが好きではなく抵抗があったが、何杯かのStrong Zeroの後、彼らに説得されパリピと共に渋谷から深夜バスに乗った。正直、東京最大のナイトクラブと聞いていたが場所が全くわからず、どんなところか恐ろしさも感じていた。とはいえ、Studio Coastのアイコニックな看板に出迎えられ、入り口の様相は違っていても馴染みのインテリアに安堵を覚えた。バーカウンターやステージから一番遠い高台、コンクリートの床。これは数か月前にバンドAのライブを見た同じ会場であることに気づいた。そう、AgeHaとStudio Coastは同じ場所だったのだ。
新木場にまた来る
Studio Coastには何年もの間訪れていたが、駅から真っ直ぐに伸びる道を外れることはほとんどなく、周囲の探索に時間を費やすことはなかった。夜分遅くがほとんどだったため、駅近くのファーストフード店やコンビニエンスストアをかろうじて知っている程度。(そういえば、道中にすき家もあった。)
数週間前、音楽以外の用事で初めて行ってみた。最後に行ったのは2019年、パンデミック前のことでたくさんの思い出がよみがえった。2013年7月下旬、朝4時30分。ベンチに座りクラブから出てくる友達を待っている時のこと。お腹いっぱいのラムとコークス。ライブ前のイライラした海風、ライブ後にはもちろん歓迎された。バンド名、ツアー、日付が書かれた看板を写真に撮る習慣。ある時は、アイも来てフェスに行ったのだが— 現金を忘れてしまいブリトーすら買えず、結局帰宅まで食べずじまいだった。
その後、僕たちは彼女の誕生日で再び訪れることに。彼女のサイドプロジェクト「plants and tokyo」の通り、彼女植物好きは明らか。ゆめのしま熱帯植物館というのは、彼女の希望だったのだ。最寄りの駅が馴染みの新木場であると知り少し興奮を覚えたものの、ランチプランでまだ一抹の不安が残っていた。すき家では到底足りないので、実際に何があるのか調べなければならなかった。そして、その結果に驚かされた。
CASICA / Arkhē
すき家の裏には、とてもおしゃれな施設もある。結局、ランチにはArkhēに寄ることした。薬草と乾物を使った料理が有名とのことで、僕たちは薬草カレーやシチューをいただくことに。味噌汁、ひじき、カリフラワーなどの素敵なサイドディッシュ付き。周りを見渡すと、その大きさに驚かされた。カフェスペースはほんの一部で、CASICA全体には植物の店、パントリーグッズ、スタジオ、そしてアンティーク/木製品ショップも併設されていたのだ。というのも、新木場は多くの製材業者が北の旧木場から移転してきた後、製材所の場所として有名になった場所。「新木場という名の由来にもなっている。)CASICAはこの伝統を誇りとし、さまざまな木製品を取り扱っているようだ。バスケット、椅子、その他の家具やアクセサリー。さらには箒ギャラリーや生箒作りのデモンストレーションまであった。
CASICAは確かに、僕の新木場のイメージを変えた。その産業的な外観の下には、人工的な自然の美が隠されているのかもしれない。
夢の島
一方、夢の島は前述の新木場とはまったく異なる。今日ではスポーツスタジアム、アーチェリーレンジ、ゆめのしま熱帯植物館を含む大きな公園として親しまれている。1930年代、今では新木場も含まれるこの地域はかつて東京市飛行場の予定地であった。完成すれば世界最大の空港になる予定だったが、戦争のため結局は羽田の拡張が推奨され、実現には至らなかったのだ。その後、この地はダンピング地として使用されることに。50年代から60年代にかけて、東京ゴミ戦争として知られるようになったが、その後焼却増加の取り組みがあり、埋め立て作業は他の場所に移された。イメージは確かに変わったが、この緑溢れる素敵な公園が埋め立て地の上形成されているという皮肉は決して忘れられてはならない。
ゆめのしま熱帯植物館
ランチ後は北に向かい、夢の島緑道公園へ。この公園からメインの公園へは、なかなか行きづらくアクセスが容易ではないことに気づき、途中で後戻りしなくてはならなかったけれど、新木場工業地帯とは一転、青々とした木々に囲まれることは爽快この上なかった
最終的辿り着いたのは、3層のドーム構造が印象的な夢の島熱帯植物館。そこには、滝、高いヤシの木、いくつかの肉食植物など、豊かな植物のコレクションと多様性があった。アイはいくつかの珍しい種類に歓喜し、リビングにあるアレカヤシにおける、憂慮すべき将来の成長性について重要な示唆を与えた。
物事は、見かけによらない。新木場はただのライブ会場だけでなく、時にクラブや木場としての歴史的背景など、さまざまな顔を持つ。夢の島もまた、短期間のうちにさまざまな歴史の変遷があった。
東京が抱く地理的拡張性、埋立地や島という存在の知られざる事実について、これからも光を当てていければ。