感動ポルノの何が問題なのか?
障害当事者から感動ポルノを肯定する意見がでました。
重度障害者であり、芥川賞を受賞した作家の市川沙央(いちかわ さおう)さんの意見です。
障害者に関する思想界隈では感動ポルノに対して否定的な考え方が主流だと感じるため、市川さんの意見は刺激的です。
1.感動ポルノについて
感動ポルノの定義は次のとおりです。
「コンテンツとして消費される」と記されていますが、この「消費される」という意味が不明です。人によって解釈が異なると思います。
「障害者自身の意志や感情を無視し」と記されていますが、一般的に、コンテンツの制作にあたっては、コンテンツに登場する当事者の意思を尊重します。
このようなあいまいな定義であるため、感動ポルノとは具体的に何なのかが不明瞭です。
結論が「感動ポルノはダメだ」という主張は伝わりました。
2.朝日新聞記事
市川さんの意見が書かれているのは次の有料記事(2024年8月25日付け)です。
市川沙央さんが見つめるパラ 求められる一丁目一番地と「100点」
有料記事がプレゼントされましたので、私は全文を読むことができました。
この中での市川さんの意見は次のとおりです。
3.何が問題なのか
Copilotによる定義では、感動ポルノは「ダメだ」という結論を明記しているものの、感動ポルノとは具体的に何で、何に問題があるのかが不鮮明です。
世の中には、広く一般的に、感動的なコンテンツというものが存在します。そこで登場人物が頑張ったりすると、視聴者には次の心理が働きます。
1.共感:登場人物の感情や状況を理解し、同じように感じること。
2.自己投影:自分の経験や感情を登場人物に重ね合わせること。
3.感情移入:登場人物の立場に立って、その感情を感じ取ること。
「感動」という用語は幅広く使われています。なので、上記の心理が発生した場合、「感動した」と表現することはできます。
登場人物が障害者である場合にも「感動した」と表現できる心理になることはあるでしょう。
なので、障害者が登場する感動コンテンツの全てが、感動ポルノとしての批判の対象ではないことがわかります。
感動ポルノの定義から議論を始めると行き詰まります。
なので、問題点を見てみます。
『「感動ポルノ」の何がダメなのでしょうか?』と、2024年8月31日に、WindowsパソコンのCopilotに質問しました。回答は次のとおりで3個の理由を示しています。
一般論として、今どきの日本のテレビ番組において、感動ポルノとして批判の対象になるようなコンテンツを作るようなことはしないと思います。
そういう意味で、感動ポルノは架空の論戦だと感じます。
「感動ポルノ」は「このようなコンテンツはダメだよ」という否定領域を示しただけです。
市川さんは感動ポルノが有効だと考えているのですから、上記のCopilotの回答の3個の条件を満たすコンテンツを作れば良いことになります。
しかし、その第1番目の「障害者を「頑張る存在」として一面的に描くこと」は視聴者に障害者に対する誤解を与えます。「障害」とは、人間の側ではなく、社会実態の側にあるのですから、障害者側だけが頑張るという図式は誤っています。
その第2番目の条件は「障害者を健常者よりも低く見る」というものですが、これがまさに差別思想なのですから、そのようなコンテンツを受け入れることはできません。
このため、市川さんによる『「感動ポルノ」も依然として有効だ』 とする意見は却下すべきです。
もっとも、感動ポルノの定義があいまいなので、市川さんは別の意味で使っているかもしれません。
4.問題と解決手段
市川さんが述べた、「障害者が同じ人間であることすら理解できない人」問題は重要です。
感動ポルノは障害者を正確に理解するためのコンテンツではないのですから、これを利用しても問題は解決しないと思います。
NHKのバリバラやハートネットTVなどの番組を増やすことは解決方法として有効だと思います。
障害者雇用率のような考え方を報道機関に適用して、一定時間あらゆる障害者をテーマにした番組の制作・報道を義務付けることを検討しても良いと思います。
パラリンピックは障害者問題に寄与するかのように演出しており偽善です。
パラリンピックを廃止し、パラリンピックに投入している資源を報道機関に割り当て、障害者に関する正確な情報提供番組を制作・報道することが望ましいと思います。
以上
参考URL
(1)『感動ポルノ』という社会の押し付けから見える障がい者差別を考える
(2) 感動ポルノ | 時事用語事典
(3) 電動車椅子で生活する私が「24時間テレビ」と“感動ポルノ”を支持する理由