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「ラグビーのまち」が民主主義に反している理由 – 東大阪市

民主主義に関する議論はとても重要です。最後まで読んで頂ければ幸いです。

東大阪市は「ラグビーのまち」を標榜しています。他の市の住民から見れば、「東大阪市はラグビーを愛好する市民のまちだな」という印象を持つかもしれません。
しかし、当然ながら、ラグビーを愛好しない東大阪市民は多数います。
東大阪市役所は、市民の内心を無視して、市役所の広報誌などでラグビーを愛好するようプロパガンダをしています。

広報誌等を通じて、ラグビーのまちであることを徹底して市民に教育する。

これが民主主義のあり方に反していることを、本記事で説明いたします。

東大阪市役所は、高齢介護課までが、ラグビーへの愛好を推進する徹底ぶりだ

ラグビー競技は特定の政治的・宗教的思想を表明するものではありません。このため、役所がラグビー愛好を市民に浸透させることは悪いことではないかのように見えてしまうのかもしれません。
実際には、ラグビーは、政治によって普及活動がなされています。

ラグビーの日の制定を求める自由民主党

東大阪市ラグビーフットボール協会の会長は、自由民主党の宗清皇一(むねきよ こういち)さんだ。

森喜朗会長が東大阪市に来られました(平成23年5月)

政治が無ければ、ラグビーも成り立たない模様です。


政策とは何か

政策とは、例えば道路の維持管理など、市民の生活実態を向上させるため、行政が策定・実施する計画・事業のことです。
何故、税金を使って役所が行うのでしょうか。それは、民間の事業者が実施することが不適当であるためです(本来であれば)。
民でできることは、民でやれば良いのです(本来であれば)。


政策への評価

行政の目的は、人権の尊重や生活実態の向上です。
政策はその手段です。
政策は手段なので、修正や他の政策への変更の可能性はあります。
実効性を確認したり、代替手段を考案したりするなどのために、政策は評価の対象になります


政策への、正当な評価

政策が正当に評価されるには、政策の計画や結果が、客観化(客体化・可視化)され、検証が可能でなければなりません
道路政策や介護政策などは、政策の対象が目に見える形で成果として残ります。目に見える成果に対して、市民は、「良い」「悪い」などの評価をすることができます。

一般的に行われている政策と、市民との関わり方


正当な評価を歪める仕掛け

ラグビー競技は主観で楽しむものです。
ラグビー政策は、ラグビーへの愛好が目的です。
ラグビー政策は、一般行政が行うような道路政策や介護政策などのように、客体に対して効用が発生するのではありません。客体とは、生活に根差した実態があって、それを市民が客観的な指標で評価可能なものです。

市の広報誌などで愛好を訴えるラグビー政策は、市民の主観に直接的に作用を及ぼします。(ここ重要)

この場合、「市民がラグビー政策を評価する」とはどういうことになるのでしょうか。

ラグビー政策の流れ図

行政が市民の主観に働きかけた結果として、市民はラグビーを愛好してしまっているのですから、「良い」という評価しかありません。少なくとも、政策評価にバイアスがかかります。

もし市民が愛好をしていないのであれば、「もっと愛好するように、プロパガンダのあり方を工夫する」という政策が実施されることになります。

常識的に考えて、東大阪市50万人もの市民が、ラグビーを愛好したいと思っているわけがありません。市民自身が、市民自身の趣味娯楽を役所に導いて欲しい、などと思ってはいません。役所が公的資源を消費して、市民の趣味娯楽を特定の方向(ラグビー)に導くことは不当です。

ラグビー愛好者は「市役所は愛好を強制していない」という詭弁きべんろうしています。
確かに、市役所は、愛好するよう言語では表現していません。
しかし、「ラグビーのまち東大阪」を表示することによって、ラグビーを愛好することが市民の総意であるかのような錯覚を持たせるようにしています。
ラグビー選手を模倣したトライくんを露出することによって、非言語という手段で、ラグビーに接する機会を作っているのです。
ラグビーに接するのですから、ラグビーを愛好することにつながります。
そして、ラグビー関係業者への利益誘導をしています。


郷土愛とは何か

東大阪市役所職員の中には「ラグビーへの愛好が郷土愛である」かのように振る舞う人がいます。
しかし、ラグビーを愛好したからといって、何らかの客体(道路など)が良くなるわけがありません。そこにあるのは、ラグビー関係者への利益誘導です。
中には良くなる客体(ラグビー場に隣接する店舗の売り上げが伸びる等)があるかもしれませんが、それは、本来ならば、民業が自助努力すれば良いことです。公費を投入して消費需要を喚起することは、他へと向かっていた消費を消滅させることであり、不公平です。
そんなことは高校生以上になれば理解できます。なので、市のラグビー政策は、世の中のことを知らない小学生などの子どもを対象にしています。

ラグビー政策の象徴 マスコットキャラクター トライくん

これほど悪質なことは無いのではないでしょうか。
市民の子どもをラグビーの消費者に育て上げ、結果として、ラグビー業者の利益へと導いているのです。


ラグビーを抱き合わせた人権教育

2021年6月9日、東大阪市立布施小学校では人権教育が行われたのですが、ラグビー教育との抱き合わせです。

令和3年6月9日 タグラグビーを通した多文化共生社会との出会い 東大阪市

多文化共生社会を学ぶことになっていましたが、子どもは「将来は誰もが憧れるラグビー選手になりたい」と将来の夢を語りました。
人権を大切にするよう育つのでしょうが、ラグビーへの愛好も学んでしまいます。

多文化共生社会とは日常の世界において意義があるのです。
非日常世界のラグビーでは、競技ルールとして多国籍を認めているだけです。日常世界での平等と、非日常世界での平等とでは、意味が全く異なります。そんな当たり前のことを無視して、「多文化共生社会との出会い」と称してラグビー教育を行っているのです。
人権教育を利用して、ラグビーを愛好させたい、という狙いが見え透いていますね。真の狙いは、ラグビー愛好者の増産ですね。

ラグビー愛好者を増やすことは、ラグビー業を営む民間の業者が行うべきことです。それを東大阪市役所が代行しているのです。しかも、公教育を使って。


花園ラグビーの日

ラグビー愛好という主観は、役所が人工的に作ったものです。市民の内発ではありません。そもそも、ラグビー競技は面白くはありません。そのため、ラグビー愛は時間の経過とともに低下していきます。
低下しないように、東大阪市役所は、政治主導で、毎年9月22日を「花園ラグビーの日」として、ラグビーを祝うようにしています。
このような政策展開が、果たして、郷土愛がなせるワザなのでしょうか。
ラグビー業者の手先になっているだけです。


民主主義の基本理念

民主主義の基本理念は、主権在民であり、市民主体です。
市民主体とは、市民自身が行政を構築していくことです(本来ならば)。
しかし、諸般の事情により、実際には、市民は、構築する行為を、役所に委任しています。
市民ができることと言えば、役所の計画や成果を評価することになります。
評価を行う場合、役所が公開する情報と、市民自身の思考能力の2個がとても重要になります。
主体とは、自らの意思・思考で行政の政策を評価する者のことです。主体には、考える能力が求められます。自由に考えられるようにするため、主体の置かれた環境は、自由意志が存続できるように保たれる必要があります


ラグビー政策の問題点

東大阪市役所は、市民の主観に対して「ラグビーを愛好しよう」と働きかけます。
主体とは、評価を下す者のことですが、そこでは評価のための思考が働きます。
この思考に対して、市役所は「ラグビーを愛好しよう」と訴えていくのです。
このプロパガンダに流された市民は、ラグビーを愛好するようになります。

政策の中に、その政策の評価を高めるための仕掛けが組み込まれているのです。(ここ重要)

政策として、本来あるべきなのは、主体に対してではなく、客体に対する働きかけです。客体への働きかけの結果生じる成果に対して、市民が主体的に評価を下すべきなのです。

市民の主観・思考に直接働きかけた場合、市民は、その色の付いた眼鏡で政策の計画や成果を見ることになります。東大阪市役所は、マスコットキャラクター トライくんなどを使い、意図的に、それを狙っているのです。

ラグビーの愛好は、人類の普遍的な価値ではありません。ラグビーの普及は民間の業者が行うべきことです。


公教育のあり方

公教育に求められるのは、ラグビー教育ではなく、民主主義の基本理念とその実践の教育です。ラグビー政策を執行している東大阪市の公教育にこそ、根本問題があるのかもしれません。


以上。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

#東大阪市 #ラグビーのまち #教師のバトン