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黒百合の咲く分かれ道

”ルームメイトの死”という怖い話を知っているだろうか。

ルームシェアをして生活する2人の女性がいた。ある日、1人の女性がいつもより遅く帰宅すると、同居人はすでに電気を消して寝ていた。起こしてはいけないと思い、女性は電気をつけずに寝床へ行き、寝る事にする。

翌朝、目を覚ました女性は、目の前に広がる凄惨な光景に身をすくめた。血にまみれ、苦悶の表情で息絶える同居人の姿がそこにあったのだ。何が起こったのかわからず部屋を見回す彼女の目に、壁に書かれた文字が飛び込む。

「電気をつけなくてよかったな」

実は、彼女が帰宅した時すでに同居人は殺されていて、女性が眠りに落ちていくその瞬間まで犯人は部屋にいたんだよ、怖いね、という話だ。マジで怖いからやめてほしい。

この話の面白いところは、結末を知ることで見方が変わる事だと思う。同居人を気遣って電気をつけずに寝る、そんな彼女の優しみ溢れるシーンが、結末を知ってからでは恐怖体験にしか見えない。優しみと恐怖体験、同じシーンに全く違う感想を抱く理由は、犯人が部屋にいたと知っていること、ただそれだけ。

そんな”ルームメイトの死”と似た面白さが【黒百合前で待ち合わせ】にはあると私は思う。


<わかるということ>

幽霊少女役でネットドラマに出る事になった灯織は、演技が上手くできずに悩む。監督は、それは役についての理解が足りないからだと言って、1時間休憩を取るから「理解の意味」というヒントをもとに、もう一度考えるよう灯織へ助言する。

灯織はプロデューサーとの会話で、幽霊像について語る。理解できない怖いもの、人をひきずりこむ悪いもの。はたしてそうだろうかというプロデューサーの言葉と監督のヒントから、理解という言葉について再度勘案し、幽霊少女の立場にたって、灯織は再び演技に臨むことにする。


<ずれについて>

場面が変わり撮影後の事務所で、灯織は公開された予告編の感想を見ている。感想の中身は、灯織を知らないということ、もしくは演技に対する酷評ばかり。すげぇ身に覚えがある。反省した。

落ち込む灯織に対し、検索の仕方が良くないとプロデューサーは言う。別の方法で感想を見ていたプロデューサーは、ファンが応援してくれていることを知っていた。調べ方や調べる場所によって、感想には違いが出てくると灯織に伝える。耳が痛いね!


<今ここが分岐点>

このコミュは、作中の作品であるネットドラマを見るだけという珍しいコミュだ。森で遭難した男が、灯織の演じる少女に出会う。少女は森を自分の庭みたいなものだと言い、男を案内する。終わり際と次のコミュで、少女は男を森に閉じ込めるつもりだったことがそれとなく示される。うまく森から脱出できた男へ、少女は「またね」と声をかけた。

プロデューサーは良くなった灯織の演技を見て、次の仕事に生かす為にも、役を理解することについて、監督の助言からどういう答えに辿り着いたのか聞いてみようと考える。


<修正・訂正>

<修正・訂正>では表題どおり、複数の修正と訂正が行われている。まず、棒読みの予告で悪くなった灯織に対する視聴者のイメージが、本編の演技とユニット2人について語るオマケによって修正・訂正される。その訂正と同じころ、灯織は感想の検索法を修正し、世間が自分の演技に対して抱いた感想像を訂正する。

さらに、幽霊について <わかるということ> 内の灯織みたいな理解をしている視聴者に、幽霊を演じる灯織の素を見せることによって、幽霊は理解できない怖い物だというイメージの修正・訂正が行われている。イルミネの2人について話す灯織を見た共演者が「監督がしたり顔してる」と言ったのは、そういう意味だろう。作中の作品まで面白そうとかどうなってんだ。



ここまでコミュを見て【黒百合前で待ち合わせ】は、役を理解するということに向き合って成長する話なんだと私は思った。役をわかるということと、見える評価のずれについてを、ネットドラマ出演という分岐点により、修正・訂正する、そんな話。

しかし、トゥルーエンド <あんなふうになりたくないから> で、この話の様相は一変する。このトゥルーエンドは”ルームメイトの死”における朝の到来だ。


<あんなふうになりたくないから>

プロデューサーは灯織へ、役を演じることについて、辿り着いた答えを聞く。演技は憑依のようなものである。理解して演じるのではなく、役そのものになること。それは理解の外側にいる幽霊であっても変わりない。そう答える灯織に、プロデューサーは感嘆の声を漏らす。

だが、話はここで終わらない。灯織は、自分が幽霊少女の役を上手く演じられたのは、演技に対する理解が変わったことだけでなく、一人の人間として自分に似ているところがあり、まるで未来の自分のようだったからだと言う。

森から出られず、一人が嫌だから他の人を同じように森へ閉じ込めようとする。そんな気持ちが分からなくもないとはどういうことだろうか。私は、灯織が森にアイドル業界を、森に迷い込んで共に歩いた男へ、イルミネーションスターズの2人を重ねていたのではないかと思った。

その考えを基に<今ここが分岐点>を振り返ってみる。森に迷い込んだ男を案内するとみせかけて、脱出できないように、ずっとそこにいるように画策する幽霊少女。たくらみが失敗し、無事に森から出ていく男に対し、彼女は「またね」と声をかける。

どういった経緯でそうなるかは置いておくとして、2人がアイドル業界から出ようとしている時、灯織は幽霊少女のようにあの手この手で阻止しようとするんじゃないか。それでも出ていく2人へかける声が、泣きそうな声の「またね」なんじゃないか。

そんな人を呪って閉じ込める幽霊少女は、あるかもしれない未来の自分だという灯織へ、そんな事は無いと言いきれず、プロデューサーは閉口してしまう。だが、灯織はそんな未来を自分で修正・訂正する。

確かに幽霊少女は自分の未来の姿かもしれない。でも、そうなってしまった時のことを、役を通して知ることができた。あんなふうになりたくないから、そうならないようにする。そういって笑い、このコミュは終わる。


最終的に私は【黒百合前で待ち合わせ】は、演技について向き合う話ではなく、幽霊役を通して、イルミネーションスターズの終わりに直面したとき、灯織はどうするかという話なんだと解釈した。

そして、今まで悩みや問題を抱えた時、プロデューサーに助言や後押しをしてもらうことで成長してきた灯織が、プロデューサーもすぐに答えを出せない問題に対して、自分で答えを出したことが私は嬉しい。

灯織の成長が見える【黒百合前で待ち合わせ】が、私は好きだ。


感想でも目をそらし、考えないようにしてみたが
どうしたってイルミネーションスターズにも終わりは来る。
いずれ来るその時、誰かを呪って終わるのか、それとも別の道を進むのか。
幽霊少女のようにはならないと言う彼女が選ぶのはどんな道なのか。
私はそれを見届ける為、分かれ道で彼女を待とうと思う。
「呪い」と「愛」、相反する花言葉を持つ黒百合の前で。