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豪徳寺での奇跡は二度起こる

豪徳寺さんの「生きている」招き猫さんに、またも大きな「福」を頂きました。

私が勝手に名付けたハスキーは、その朝は、水瓶から水を飲んでいました。

その姿を横目に、私は本堂にお参りにいきました。
ところが、手を合わせて心を静める間もなく、ハスキーはひときわ大きなかすれ声で鳴きながら、私に近づいてきたのです。
それだけでも驚きですが、それだけでは終わりませんでした。
慌てて本堂の前の階段を降りて一番下の段に座るやいなや、当然のようにスッと私の膝に登ってきて、慣れた様子で鎮座したのです。
それも、私に背中を向けて。

用心深い猫が背中を向けるというのは、よほど信頼していないと、普通はやらないことです。
どうやら、ハスキーは私を信頼してくれているようです。
その喜びが、ひたひたと胸に広がりました。
膝の上のまぁ〜るいかたまりから伝わるじんわりとしたぬくもりと相まって、身も心もなんともいえない多幸感に包まれました。


早朝の豪徳寺さんは静かです。
とは言え、朝散歩の途中でお参りに立ち寄られる方もちらほらいます。
本堂への参拝客が来たのを潮時に、私はハスキーをそっと地面に降ろしました。
ハスキーは抵抗することもなく、抱き下ろされるままにしていました。
そして私が
「じゃあね」
と言って立ち上がると、
「うん、じゃあね」
と言わんばかりに、ゆっくりと私とは反対方向に歩いて行きました。
一度も振り返ることなく、木陰に消えていきました。


このとき、私は気がついたのです。
私が、ハスキーに慰められていたのだということに。

冬の朝、外で生活するのはさぞ寒いだろう。つかの間、私の膝で暖を取れるのは心地いいのではないかと、私が何かしてあげているような気になっていました。

でも、逆だったのです。

一度も振り返らずスタスタと立ち去っていったあの後姿には、役目を終えたような清々しさが感じられました。
そして、とても猫らしい行動だとも思いました。

猫は基本、自分が嫌なことはしません。
私に近づいてきてくれたこと。
私の膝に乗ってくれたこと。
これらはすべて、ハスキーの意志です。
私はただそこに居合わせただけです。

ハスキーとそんな時間を過ごせた偶然、いや、もしかしたら必然かもしれない僥倖に感謝するばかりです。

これでもしかしたら、当分ハスキーには会えないかも知れないとそんな気がしました。
なぜなら、ハスキーは一定の役割を果たし、私を元気にしてくれたのですから。

そして、今朝。

ハスキーには会えませんでした。
その代わり、ここのところ、見かける機会が減っていた東急世田谷線の猫電車に遭遇できました。

ハスキーが遣わしてくれたのかなと勝手に想像して、今日も笑顔になれた朝です。


ハスキー、ありがとう。





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