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「おしまいのデート」

瀬尾まいこ著 集英社文庫

友人に紹介されて読んだ本でした。

私が最近、ご近所さんと一緒に野良猫さんをお世話をする機会があり、その状況と少しかぶるお話が登場するからというのが、紹介してくれた理由でした。

「ドッグシェア」というお話がそうなのですが、なるほど、犬と猫の違いはあれど、状況設定が似ていました。
その話から読み始めて、一気に、五つの話を読み終えました。

読み終えてから、「おしまいのデート」というタイトルのつけ方の絶妙さにうなりました。

「デート」は、男女間に限られたものではなく、もっと広い意味での人と人との関わり合いを指しています。

「おしまい」は、文字通りおしまいです。
でも、それはデットエンドと言う夢も希望もない終わりではありません。
今この瞬間は切ないのだけれど、その先にかすかな光が差すような、冬の午後の日差しのような温度感なのです。

ひとつの関係性が終わっても、また必ず、新しい出会いが始まる兆しが、すぐそこに、いつだって転がっているということを教えてくれます。


人はだれでも胸に小さなうずきの種をいくつも抱えて生きています。

それを淡々と穏やかに描いているからこそ、そのことが事実として自分の胸深くに入り込み、自分自身の記憶を呼び覚まし、主人公の気持ちなのか自分の記憶なのか判然としないまま、その痛みや切なさを生々しく味わうことになります。

うずきの種になる切ない現実を、大ごとにしない瀬尾さんの冷静な眼差しが、実はとても優しいことに気づいてはっとします。


大人になるというのはこういうことなのかも知れない、と思いました。

抱えている自分の痛みを柔らかな心で包み込んで、なだめすかしながら、なんとかまた前を向いて歩き出す。
そうやって、貝が真珠を作り出すように、やがて優しい色合いの光を放って、周りにいる者の心を癒やし安心させる。そういう存在が大人なのではないかと。

この本には、年齢に関係なく、そういう大人が登場します。

おしまいでも、デートはデートです。
人と逢う。
ひとりではない。
おしまいでも、そこには優しさと暖かさがあります。


それを象徴するような主人公達の言葉をふたつあげておきます。

「生きてればどんなことにも次はある」

「おしまいのデート」より

「まあ、どんなもんでも潮時はあるわな。」

「ランクアップ丼」より

辛さの真っ只中にいる人ならば、この本がきっと優しい涙を促してくれて、少し前を向けるようにかも知れません。

不平不満が溜まっている人ならば、ひとりだけでがんばっているのではないと気づけて、力をもらえるかも知れません。

乾いた心に潤いが欲しいすべての人にお薦めしたい本です。

冬の午後の日差しに照らされて鈍く光る真珠のような色合いをたたえた読後感です。







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