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記憶という自分だけの世界

映画「今夜、世界からこの恋が消えても」を観に行きました。

高校生同士の、かっこいい男子とかわいい女子との青春を代表するような恋物語なのだろうなぁと想像して観に行きました。

そして、いい意味で裏切られました。

記憶について深く考えさせられる物語だったのです。

主人公は前行性記憶障害という、一晩寝たら前日の記憶を無くしてしまうという病気にかかっています。そのため、毎日、その日にあったことを克明に日記に書き残し、翌朝、その日記を読み返して記憶し直すことで、辛うじて日々を支障なく生活しています。

高校生という若さで、不慮の事故でそうなってしまったことはかなり特殊だとしても、人はそもそも記憶を少しずつ無くしながら生きていくものだということを考えると、そう特別なことではないのかもしれません。

記憶は、時間の経過とともに、少しずつ変性していきます。印象的だったことも輝きが弱まり、微細なところが曖昧にぼやけ、他の記憶と混ざり合い、ときには、事実とはかけ離れた内容で定着していくこともあります。

そもそも、同じ体験をしても、その場にいた十人が、十人それぞれ微妙に違った記憶になります。

それは、人は見たいものを見る性質があるからです。無意識に、覚えておきたいものを優先的に覚え、興味の鉾先や熱意が異なるため、記憶される要素の取捨選択が十人十色なのです。

さらには、ひとりの人間の中でも、記憶はどんどん書き替えられていきます。

直近の出来事は、事実に近い形で記憶されていたとしても、時間が経過し、経験を重ねることで、自分自身が変化すると、その記憶に対する見方が変わってしまうのです。そして、その変わった見方が、あたかも当時起こったことであるかのように記憶の一部として書き加えられるのです。

そうやって、記憶は変性していきます。

だから、日記にもとづいて毎日記憶を作り直しているこの主人公の高校生の方が、よほど正確な記憶を持っていると言えるかも知れません。

つまり、私の記憶は私だけのものでしかなく、客観性もあまりない、極端に言えば、自分で勝手に作り出した世界だと言っても過言ではないのです。

それほど、記憶は曖昧なものです。

そうやって、自分だけで作り上げた記憶はしかし、確実に自分の中に存在していて、かなりの影響力があります。

もはや事実かどうかもあてにならないような記憶ならば、できるだけ幸せで楽しいことだけを覚えておくほうが、自分も周りも平和でいられます。

幸せなことだけを思い出して、記憶として定着させていく。幸せな言葉をたくさん書いた日記を毎晩書いておく。
翌朝、その日記を読んでさらに幸せを増幅させる。

そんなふうに、記憶を意図的に作っていってもいいんじゃないかなと思ったのです。

記憶は、正しいとか正しくないとかではなく、幸せの種にするためにあるものなのかも知れない。

この映画を観終わって優しい気持ちになれたのは、そんなふうに思えたからという気がします。


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