木に問いかけてみたら
たとえば何十年、何百年と同じ場所にただ静かに立っている木に、頼りたくなることがあります。
何事かに迷って動けなくなったとき、再び動き出せるための理由=答えが欲しくなります。
ただ、答えと言う言葉に対して、私は、正しくなければいけないという一種の強迫観念を感じて、苦しくなることがあります。
学生時代に、数知れず受けてきた試験の解答が思い浮かぶからなのかも知れません。
でも、人生には絶対的な正解も不正解もありません。
ただ起こった事象があるだけです。
だから、木に求めるのは、苦しくて動けないこの時間を、どうやってやりすごせばいいのかということです。
長い時間同じ場所に立ち続け、どこへ行くこともできず、でも、生きながらえ、そこに堂々とした姿で存在し続けている木なら、きっといい智恵を与えてくれそうだと感じるからです。
実際、木をしばらく見つめていたら、なんとなく楽になったと感じることがしばしばあります。
それが、木が与えてくれた恵みなのかなと思います。
苦しくなったら、木に限らず、自然に身を委ねるのがいいかも知れません。
人間よりもずっと前から存在している自然には、はかり知れない智恵があって、それに救われるのではないかと思います。
今朝の思いつきでした。
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