キンコンカンコーン キンコンカンコーン
 始業のチャイムが鳴って、私たちは教室にかけこんだ。休み時間中の開放感でどの子も顔を輝かせていた。チャイムが鳴り終わって、一年生のときから二年続けて担任の四谷先生が入ってきた。いつもどこか笑いをこらえたようなにこやかな表情とぽっちゃりした体型の先生は、ちょっとテディベアのようで、親しみやすかった。
 黒板の前に立った先生は、教室に充満していた嵐のような興奮が治るのを、にこにこしながら眺めていた。やがて波が引くように話し声が遠く静かになった。それを見計らって、先生は、二人の児童がもどって来ていないことを告げた。ふと教室を見渡せば、確かに、二席が空いたままだ。
「もう始業チャイムが鳴ってから、五分も経っている。遅刻だな」
 そこで先生は一旦言葉を切った。教室がうそのようにしんとなった。
 いつもにこやかな先生が少し険しい顔をして黙ってしまうと、普段から怖い顔をしている先生より迫力がある。その無言の時間で、私たちは一瞬にしてたくさんのことを理解した。
 そうだ。遅刻はいけないんだった。そもそも、チャイムが鳴って先生が教室に入って来てからも、おしゃべりを止められなかった。まだもどって来ていない二人も悪いけど、自分たちだって、時間にルーズだったことに変わりはない。うわっ、あの二人、みんなの前で先生に叱られるんだ。自分だったら嫌だなあ。やっぱり、遅刻はだめだ。
 教室の空気が静寂で重たく感じられるようになったころ、先生は言った。
「みんなで、あの二人を驚かせよう」
 えっ、驚かせるってどういうことだろう。
 先生の説明はこうだった。
 これからみんなで、学校の裏庭に行こう。予定を変更して、課外授業にする。あわてて帰ってきた二人が空っぽの教室を見たらさぞ驚くだろう。みんなの前で先生に叱られるより、楽しい課外授業を逃した悔しさの方が、遅刻したことを後悔し反省する。だからみんな協力して欲しい。そう言って先生は、みんなを教室の外へと連れ出した。
 すでにほかのクラスでは授業が始まっていたので、廊下は静かだ。授業中に廊下を歩いたのは、少し気分が悪くなって保健室に行ったときくらいだから、それだけで、ちょっとどきどきした。古い木造校舎はあちこちがミシミシと音を立てる。その音をなるべく響かせないよう、みんな抜き足差し足で歩いた。二人の男の子たちと鉢合わせしないように早く裏庭に行かなきゃと走り出したい衝動をなんとかこらえて静かに歩くのは至難の技だった。
 あの子たち、空っぽの教室にもどってきたら、どんな顔をするのだろう。それを想像すると胸のあたりがきゅっと締めつけられるような感じがした。同時に、ドッキリ番組の仕掛け人になったようで、のどの奥から笑い声がこみ上げてきそうでもあった。
 裏庭には、子どもたちが世話をしている花壇がある。そこでどれくらいの時間、どのように過ごしたのかは記憶に残っていない。今頃、あの二人はどうしているだろうということばかりが気になって、落ち着かなさと楽しさが入り混じった変拍子のどきどきだけが、今も鮮明に印象に残っている。
 教室にもどってみると、二人の男の子が、それぞれの席に放心したように無言で座っていた。
「やあ、もどってきていたか。いいお天気だし、みんなで裏庭の花壇を見に行ってきたんだ。楽しかったよなあ、みんな。残念だったなあ。次は一緒に行けるといいな」
 先生はそれだけを言うと、何事もなかったかのように国語の教科書を開いて、本来の授業を始めた。
 興奮して覚えたことは記憶に残りやすいのだろう。ユーモアがあって、学ぶことは楽しい、学校は楽しい所だということを教えてくれた先生だった。長年低学年の児童たちを受け持ってきたベテランの先生らしい包容力と、大らかで柔らかい心が、大切なことを印象深く教えてくれた。
 既に亡くなられて久しい四谷先生には小学校卒業以来、一度も再会する機会がなかった。それでも、何十年後かのお盆にふと思い出すほどに、あのときの記憶は鮮明だ。記憶がある限り、人は完全には亡くならない。その記憶が生きるよすがとなることもある。

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