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夢の断片(星を賣る店)

2020年4月22日

 晴れてるような曇っているような日。気温は上がるみたい。日中は外に出ないので、あまり気にはならない。夕方から雨が降ったり降らなかったりすると、天気予報は言っていた。
 
 妻が休み。仕事に集中できると思っていたが、インターネットの回線がよろしくない。長男がSwitchをして、妻がスマートフォンでNetflixを見ているからかもしれない。Excelオンラインがオンラインしない。ぐるぐる回ってる。

 昨夜は1.5kmのコースをぐるぐる回る。10km。Excelの気持ちが少しだけわかる。ぐるぐる。夜はほとんど人もいない。外出自粛で、走りはじめた人が多いと聞いた。みんなお昼ごろに走ってるのだろうか。都内に住む人は、公園に行くとランナーとカップルばかりだという。なんとなくシュミラークル。
 
 午前8時くらいに仕事をはじめようした。妻に子ども二人を託す。すぐに喧嘩してるみたいな声が聞こえる。気持ちが入らない。『悲しき熱帯』を開く。気になることがあって開いたけれど、文がかっこよくて、そのまま少し読んだ。あ、仕事しなきゃ。

『星を賣る店』 クラフトエヴィング商會 平凡社

もう6年も前なのか。世田谷文学館で行われた、クラフトエヴィング商會の展覧会図録。もともと、こういうのが好き。

夢と現実がごちゃ混ぜになることって誰にでもあると思う。何を指して白昼夢というか分からないけれど、あれそういえばあの子どうしたっけ?と突然に大切そうなことを思い出す。薄くて細い一本の記憶の糸を辿ると、これ、もしかして夢かもと思う。もしかしたら夢じゃないかもしれない。遠い遠い記憶。

夢で出会った人や物は輪郭を持たない。持たないから、空に放たれたタバコの煙みたいにふわふわと宙空に漂い散って見えなくなってしまう。目を細めたりしたら見えそうなのに、目を細めても見えない。

私が持つ記憶なんてものは、私の中の氷山の一角に過ぎない。私は四つに分けられる、と大学時代に心理学の授業で習った。人生で一位二位を争う嫌いな先生だったような気もするし、その先生と背格好が似てただけの先生だったかもしれない。たぶん、似てただけだったと思う。

 彼は、私だけが知っている私、私も含めたみんなが知っている私、私だけが知らない私、だれも知らない私、の四面がだれしもあるとと言っていた。

記憶や妄想、空想とたわいもないもの。私の触れる世界全てに輪郭を与えてみたら、こうなりました、と言われているような気がする。でも、実際は触れてない。風が吹けば風を感じるように、何かがあったから、何かを感じたくらいの触れ方。そう思うと、とても繊細に拾い集めている。

いつも見る夢がある、という人がいる。
でも、同じ夢を見たことがない私には分からない感覚で、その夢に触れている。彼らの必死さとは相反するように、なんのことかわからない。得体の知れない不吉な塊が彼らを襲っているのだろう。
一方、私は夢だったか夢でなかったか、遠い記憶の連続する断片的な夢を見る。

朝起きると、全てが遠い記憶になる。
起きたらすぐにメモにすればいいのだろうか。でもそのメモはたいていが、メモ以上になったことがない。
8割は字が汚くて読めない。だから、他人の夢の断片を見てニヤニヤと笑う以外に術はない。

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