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優しい人になりたい

2020年 5月 7日

仕事が始まった。朝、6時半に起きて、次男とご飯を食べる。妻はすでに食べ終えていた。7時に長男が起きてきて、パンを焼いている。
8時に仕事をはじめる。リビングの喧騒から離れた。9時に妻は仕事をはじまる。残された子ども二人。
12時までゲームをして遊んでいたようだった。長男が友人と遊びに行ってしまうと、次男は一人で工作をはじめる。妻が昼ごはんをつくり、二人でご飯を食べていた。ご飯を食べ終えて、再び工作に励む。ハサミは使わないでね、と妻は言ったらしいが、言うことを聞かない。結果、長男のクッションを切り裂くに至る。
妻が激怒する。次男が喚きなく。まさに地獄絵図。

怒られた次男は、しばらく一人でドラえもんを見ていたが、寂しくなったらしい。私の部屋へやってくる。次男は、仕事終わった?と尋ねる。まだだよ、と答えると、悲しそうな顔をした。ここでこれでも見てな、とYouTubeを渡す。かれこれ1時間何も言わずにYouTubeを見ている。これで、彼も立派な情報化社会の奴隷となる。親って責任重大。

『兎の目』 灰谷健次郎 理論社

日本の差別問題といえば、部落問題だろう。田舎の山奥で育ったからか、もともと感が鈍いのか、部落問題などあまり気にせずに生きてきた。人は人。どこそこの誰も、誰それの故郷もあまり大きな差を感じずに生きてきてしまった。

上京して、知人がどこそこの誰かが部落出身者だ、と言う話をしていた。あまりピンとこなかったし、そもそも会話に入っていなかったから気にもならなかったが、どうやら部落出身でいじめられていたらしい。気にしないけど、気にするやつは気にするし、いやでも分かってしまう、と彼は言っていた。彼とその人は仲が良いらしかった。なんで気にするのかね、なんで話をしていた。

無知であることは罪かもしれない。彼らがどのように生きてきたのか、ふと知りたくなった。実感も何もない、ただ文章で読むだけの知識。

灰谷健次郎は1962年に『笑いの影』を書き、差別小説と部落解放同盟から糾弾される。のち、1974年の『兎の目』を書くまで筆を断つ。それは、被差別部落に生きる者たちの生の声が描かれていない、と部落解放同盟の人たちは思い、灰谷健次郎自身もそれに思うところがあったのかもしれない。
後年、彼を糾弾した部落解放同盟と共に運動も行う。

優しくなりたい、と思う。YouTubeで「泣ける 話」と検索すると多くの動画が出てくる。それらを永遠に見続けていると、自分も優しい人間になった気になる。朝、道に落ちているゴミを拾い、なんて優しいんだろう、と思ったり、電車の席を譲って、なんて優しいんだろうと思ったり。
偽善であることに間違いはない。それを超えるすべも今のところ持っていない。偽善を糾弾されたとして、私はなんと言うだろう。譲ってやってるんだからありがとうって言えよ!拾ってんだから優しいって思えよ、そんな感じだろうか。そうか、私は偽善者だった、大変申し訳ない、とはいかない。

灰谷健次郎が差別小説と糾弾され彼はそれを受け入れる。優しさだ。ものすごく優しい感受性に溢れた優しさではないかもしれない。単なる偽善者だったのかもしれない。それでも、なお、優しくなろうとして、優しくなった優しさに見える。『兎の目』はヒーローイズムに溢れている。なんだか嘘っぽい優しさに見えなくもない。それでも、優しい人間になりたい、というただそれ一点で、本当に優しくなれるものなのかもしれない。
そんなふうに思わせてくれる。

いいじゃん偽善。人のもの盗むより、ずっといいよ。とにかく、優しくなれるまで優しくなってみようぜ。

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