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LONG DISTANCE RUN AROUND(オルフェオ)

2020年4月23日

 晴れた日には音楽が似合う。と久しぶり思った。雨が降ったら、雨の日は音楽が似合う、と彼は言った。大学で出会った友人。今は茨城で先生をしている。ほとんど会うことはなくなってしまった。今のところ彼以上にかっこいい奴に出会ったことはない。ベストオブクールガイ。すごい人にはたくさん出会ってきたけど。

 そんなことを思い出したのは、昨日、知人のnoteを読んだからだ。通勤時間に音楽を聴いているから、在宅になると音楽を聴く時間がないって。通勤時に音楽を聴かなくなって何年が過ぎたのだろう。いつのまにか、音楽との距離は広がってしまった。昔は音楽のない生活なんてかんがえられなかったのに。
 今、これが音楽のない生活。そんなに悪くもないのが少し悔しい。

 The Bud Plusの『for all I care』を聞いている。電車の乗客は、ひと席ごとに空けて座る。夕方の光が通り過ぎる無数のビルの窓に反射している。手元のスマートフォンの画面もまた、陽の光を照り返す。西日。マスクをつける人々。最寄りの駅に着くと、数人が席を立つ。電車から去っていく。
 
 人の感覚は文字の発明により視覚中心になったらしい。私たちが得る情報の80%が視覚から取られている。もとはそうではなかった。五感をバランスよく使っていたようだ。ネイティブに近い民族を調べると、情報を得るバランスは視覚優位とは限らない。視覚は現代文明のシンボルなのかもしれない。

 もう10年以上前、来日したbud plusのライブに、まだ付き合っていた頃の妻と一緒に行った。ただそれだけのこと。それなのに、耳から流れてくる音を聞くと、その時の感情が蘇ってくる。映像も交わした会話も何もかも思い出さないのに、感情だけが湧き上がり、不思議と空気が薄くなったような感じになる。夜明けの五分前のような、これは恋ではない、痛みでもない。ただそれだけのこと。
 これが音楽のある生活。
 
 昨夜は13キロ走る。
 考えてみるともう30年は走ってる。一度も足が速くなったことはない。ただ走れるだけ走ってるだけ。ずっと走り回ってきた。これからもずっと走り回るだろう。悔いが残らない世界なんか考えられない。いつまでたっても足は速くならないし、もう少ししたら、筋力も落ちてくる。それでもたぶん走り回ってると思う。いつかはレースで勝てるんじゃないかって、夢を見てる。

『オルフェオ』 リチャード・パワーズ 木原善彦 訳 新潮社

 リチャード・パワーズが好きだ。もうリチャード・パワーズの時点でかっこいい。

 リチャード・パワーズは、『囚人のジレンマ』をかっこいい友人から教えてもらって読んだのが初めてだった。なんてこった。こんなにかっこいい小説がこの世に存在するって?驚いた。デビューは『舞踏会へ向かう三人の農夫』。書き手が一人ではないと思ったほどの博識を広げ、それが見事に一つにつながっていく。そう言った意味では、『オルフェオ』は少し物足りない。物足りなかったので、一度読んでそのままにしていたら、世界がようやく『オルフェオ』に追いついてきた。なんてこった。な、ん、て、こ、っ、た、だ。博識な知識はお手のものだが、ストーリーが進むにつれ、広げられた知識がまとまることはなく、ひたすらに広がっていく。それなのにストーリーは次第にエンディングへと向かう。エンディングを求めていく。

 リチャード・パワーズが音楽を題材にしている小説はいくつかある。まだ、それらは読んだことがない。音楽が私の世界からずっと離れてしまったから、遥かなる思い出となってしまったからだろう。
 音楽のある生活はまた再びやってくるんだろうか、ただ走り去ってしまうんだろうか。そうなったら、きっと走って追いかけるしかない。ずっと走ってきたんだから。

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