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天才の考えてること

2020年5月15日

午前中に妻と長男が髪を切りに行った。外は雨が降っている。次男と家に残され、ゲームをしたり、アニメを見て過ごす。

『量子力学と私』(岩波文庫)を少し読む。雨の日は鬱々として本を読む気にはなれない。朝永振一郎の『滞独日記』は成果の上がらない、鬱々とした日々を記している。日本人で初めてノーベル物理学賞を受けた湯川秀樹と同級生で、のちに1965年に朝永自身もノーベル物理学賞をもらうことになる。
解説には「平易な文章」と書かれている。確かに読みやすく、語り口調で書かれる文章は「平易」と言えなくないが、やっぱり専門のことを知らないと何が何だかわからない。分からないくせに読んでいるのは、知りたいからだと思う。世界の理、神や仏のいる世界のこと。

同じ年にノーベル物理学賞を受賞したリチャード・P・ファインマンの『ご冗談でしょう、ファインマンさん』は朝永振一郎とは違って、天才ここにあり、という愉快な内容。ロスアラモスでマンハッタン計画に加わり、重要書類の入った金庫を破るいたずらをしたり、絵を描かせたらすぐに個展を開けるレベル、音楽をさせてもすぐにマスターする。嫌味なく、ユーモアたっぷりにファインマンの人生が描かれている。
ロスアラモス時代を回顧した、「下から見たロスアラモス」のなかで、ファインマンはフォン・ノイマンから「我々が今生きている世の中に責任を持つ必要はない」と言われる。その後、原子力爆弾は完成し、広島と長崎に投下される。

フォン・ノイマンもまた、マンハッタン計画に参画し、原子力爆弾の完成に大きく貢献した。ハンガリーに生まれ、アメリカに移住する。第二次世界大戦がはじまると、自身の数学的モデルによって、連合国側の勝利を予言していた。多くの科学者が原子力爆弾の開発に悩んでいたのに対し、フォン・ノイマンはむしろ肯定的だった。いずれ誰かが持つことになる。ならばどこよりも早くアメリカが持つべきだ、と考えていた。
フォン・ノイマンは原爆投下の候補に対し助言をしていた。どこに投下した場合、被害が最小になるかを計算したのだろう。1945年5月10日の日付の入った一片の紙に、京都、広島、横浜、小倉の名前が候補地として記した。その紙片は米国議会図書館に今も保管されている。

妻と長男が帰ってくる。子ども二人がゲームをし始めたので部屋へ向かう。気持ちが上向かない。昨日も、その前も走らなかった。今日はスライドボードを一時間したくらいだ。布団に横になり、『量子力学と私』を再び手にする。眠気が襲ってきていつのまにか寝ていた。
午後6時、夕ご飯を家族で食べる。7時から妻はzoomで飲み会をするらしい。長男と次男と一緒にアニメを見てだらだら過ごす。
10時に部屋に戻り、クライミングのトレーニングボードで1時間遊んだ。

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