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帰省できないからGoogleアース(文体練習)

2020年5月2日

 朝食は、長男がハムエッグを作ってくれた。卵の焼けるにおいがリビングに立ち込めていて、実家の朝食を思い出した。高校時代、部活へ行く前のけだるい朝。ご飯を食べ終え、コーヒーを飲みながら自室へ行く。息子二人はゲームをしている。いつもけんかしている。
 『パタゴニア』が全く頭に入ってなかったので再読している。軌跡をノートに書いている。ブエノスアイレスからはじまり、ようやくマゼラン海峡までたどり着いた。北半球に生きる私にとって南緯47度は灼熱のイメージだったが、氷河が大地を切り裂く極寒の地。地球儀や地図だけではイメージがつきにくくてもGoogleなら教えてくれる。Google。便利すぎて想像力も彼らに奪われそうだ。

 お昼は焼うどんを作って食べた。水洗いが甘くべとついていた。味はしっかりついていたので、濃い味好きの次男はがっついて食べる。お昼に妻が買い物へ行く。アイスを買って戻ってきたので、アイスを食べる。長男と一緒に自転車でロゲイニングをして、ケーキを買って帰る。夜に『勇者ヨシヒコと導かれし七人』を長男とみる。
 13km走る。腸の調子が良くない。座ってばかりで歩いていないからだろう。レースも中止ばかりでモチベーションも上がらない。ジョギングばかり。

『文体練習』 レイモン・クノー 朝比奈弘治 訳 朝日出版社

 完璧な一冊。装丁は中條正義さん。資生堂の「花椿」のデザインをされていた人。たたずまいが美しい。とにかくかわいい女の子を見つけたらプレゼントしたい。(そういえば、3冊くらい買ってストックしてたけど、そのすべてを男の子にプレゼントをした気がする)。
 著者は『地下鉄のサジ』のレイモン・クノー。同じシチュエーションをひたすら文体(人格?)を変えながら99通り書き分ける。

 私に与えられた人格は一つだけ。山形県の南部で生まれ育ち、祖先のバックグラウンドは、朝日連峰のふもと、山間の村。『おしん』が川に流されていくあたり。伊東四朗が立っていた周辺に本家はある。本家とは祖母の法事で昨年久々に会って話をした。ジョギングをしているらしいく健康的だった。もう70くらいだろうと思う。
 生まれた時にはテレビがあって、標準語がテレビから流れてくる。周囲の大人たちの話し方とテレビの話し方に違いがあると感じたことはなく(多分鈍感)標準語なのか方言なのかわからずに話をしていた。上京してもそれは変わらず(鈍感だから)。東京では、あまりに話が通じないので、少しずつ標準語に強制されてきた。たまに訛る、と妻が言うので、たぶんそれなりに鉛ながら暮らしている。19,20歳くらいの山形出身の若い子に、それは方言だから、という程度には標準語は覚えたと思っているが、バックグラウンドは変えられない。「疲れた」という意味に当てはまる、「こわい」「がおる」の使い分けのニュアンスは説明できない。

 同じことを話していても、おもしろい人、簡潔な人、何を言っているかわからない、支離滅裂、いろいろ。「言葉」は人格そのもの。私の人格が『文体練習』のタイトルになるなら、

100.故郷を思い出す

だろうか。

 バスには系統なんか(そもそも廃線になってたりする)ない。バス停に行けば行きたい所へバスが連れてってくれる。行きたい場所へ行くには道が一つしかない。混雑する時間は高校が始まる時間だけ午前7時50分。その前は6時台。優等生くらいしか乗っていない。そのあとは9時。学校は2限目だ。26歳くらいの男は、だいたい友達。少なくてもどこかで見たことはあるやつ。バスを乗り降りするのは老人だけ。みんな車で移動する。男は隣に立つ乗客に腹を立てる。隣にいる乗客ももちろん知り合い。「押すなず」と言って咎める。辛辣な声?それは知人たちで作られたこの土地にあまり存在しない。もしそうなら、彼ら二人は土地の境界線争いをしているはずだ。
 2時間後、駅前の広場でまたその男を見かける。駅前の広場、と言ったけど、四方1kmは広場みたいなもの。連れの男が彼に「にさのコートさいまいっこボタンばつけだらいい」と言っている。襟の空いている部分。襟を開けて歩いていたら地吹雪で凍えてしまう。昨日、雪迎えが降ってきた。どんどん寒くなる。雪の季節だ。

 東京の空が青くなればなるほど、山形は吹雪く。乾いた東京の風が、インフルエンザを毎年蔓延させる。今年は暖冬だった。東京にも雨がよく降った。インフルエンザの代わりに得体のしれないウイルスが流行して、山形へ帰れなくなってしまった。Googleアースで検索しても、私の故郷はぼやけている。まるで誰に見つけられない桃源郷のようだ。

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