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久しぶりにボルダリングジムへ行った話とか。

2020年6月4日

昨日は久しぶりにボルダリングジムへ行った。常連のお客さんたちと、二か月ぶり、三か月ぶり、先週から、みたいな会話一通りした。3グレードくらい登れなくなって、悲しい気持ちになったけど、登れないイライラが楽しかった。3時間くらい登ったあと、5kmほど走って帰る。約2kgの荷物を背負う。自粛前はよくやっていたのだけど、久々だとしんどい。仕事帰り、登った後に走るって結構ハードだ。家につくなり風呂に入り、ご飯を食べてすぐに寝た。
週に3日くらい通勤をするようになると、本を読む時間減った。『量子力学と私』もあと20ページを残すくらいなのだけど、XとかYとかZととかが出てきて眠くなる。物理の世界はおもしろけど、抽象的な思考が足りないのだろう、なかなか追いつかない。天才たちはいざ知らず、一般人は4次元の世界に生きているなら、3次元の世界しか把握することはできないものなのだ。それをまあ、6次元でも7次元でも話を進めるのだから、たまったもんじゃない。『量子力学と私』ではそこまでの話は出てこないけど、4次元より上はもう全部一緒。10以上の数はいっぱい、というのと一緒。眠さに抗えない。
新刊が3冊出るので本屋さんへ電話をかけまくる。注文をください、と。営業再開したばかりのお店が多いので、とても忙しいだろうに、おげんきでしたか、どうされてましたか、と私のことを尋ねてくれる。久しぶりにお話しする方々の声がお元気そうでうれしかった。趣味の話で長話をして、ミーティングに遅れて出席したりなんかして。関西の方とは、しばらく会えないのが悲しいね、と話す。用事がないと電話もできないのだから、困ったもの。必要になったら電話をしたらいいのね。そしたらすぐしちゃうけど。
アメリカの暴動のニュースを見ていると苦しくなってしまう。フォン・ノイマンが「我々が今生きている世の中に責任を持つ必要はない」とファインマンに言ったそうだけど、テクノロジーの発展は、個人に世の中に責任を持たせるようにしてしまったんじゃないかって思う。テクノロジーに無責任であることがもはや悪であるかの如く。そんなこと言ったって、携帯電話も使うしSNSも使う。もう後戻りなんかはしない。自粛が空けたら、やっぱり街は賑わい、電車は満員だった。2011年の3月の真っ暗な東京のことを思い出す。9年たった今、誰も東京電力のメーターを気にする人はいない。考えるふりはもうやめた、空想するふりをして考えている方が実利的だ。
あー

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