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愛を語ろう

2020年5月5日

朝はいつも通り、家族ばらばらにご飯を食べる。我が家の辞書に協調性という言葉が抜け落ちてるらしい。金田一先生、ご追加のほど、よろしくお願いします。
BSでやっていた「ゲゲゲの鬼太郎」に一通り突っ込みを入れる妻。長男が突っ込みを入れると、漫画だから、と冷たい対応を見せる。
11時に長男だけ昼ご飯を食べる。12時に友達と遊ぶらしい。塩おにぎりを持っていく、と一人で準備している。妻が長男に、戦時中なの、突っ込んでいた。
友達と遊びに行く長男を置いて、次男と妻と私はコーヒー豆を買いに行く。鶴見川沿いの河川敷には人がたくさんいる。よどみに浮かぶうたかたは消えることなくかつ結ぶだけ。利便性と効率化を唱えた幸福も疫病の前ではかくも無力。斜に構えていたつもりが、いつの間にか同調圧力に屈して、資本主義に足の先から頭の先まですっぽり、このままじゃ、生きていけない、なんてことを考えてしまう。たぶん、生きていけるのに。もしかしたらもっと良い時代になるかもしれないのに。

4km+3kmを少し早いペースで。まだ、調子は上がってこないが、スピードを上げるとそれなりに気持ちがいい。
夜はThe North Faceのドキュメンタリーを見ながら、クライミングのトレーニングボードで1時間遊んだ。宮崎喜美代さんのOMANのレース。かっこよかった。予想タイムから到着タイムの誤差が20時間。アンシンカブル作戦も
驚き、想像が出来ない難コース所以のずれ。普通の人はその誤差の間に、6時間くらい寝て、2食くらいご飯を食べて、仕事へ行くか、学校へ行くかしている。予定は未定よくある話よね。

『長距離走者の孤独』 アラン・シリトー 丸谷才一訳 新潮社
『漁船の船』

アランシリトーの中で一番好きな小説。結婚して10年が軽く過ぎ、ますますその意味が重くのしかかる。

主人公は28年前に郵便配達人になると、結婚する。彼女とは6年間過ごしたが、別れてしまう。離婚はしていない。彼女は向かいのペンキ屋と駆け落ちする。10年後、突然妻は彼のもとを訪ねてくる。それから戦争中の6年間、週に一度、彼のもとへ訪ね、お金を借りて帰る。
ある日、交通事故で彼女は亡くなる。彼女の葬式には、彼女が当時付き合っていた男もいた。彼はなくじゃくっていた。
小説の中で、漁船の絵、の役割は大きい。大きいから、ここでは話さない。

『漁船の絵』は愛についての物語。
何もしない愛についての物語。お互いがお互いに、愛のために何もできないでいる。何もできないまま老いれば、良い思い出なのかもしれない。けれど、時として突然に悲劇は訪れるし、二人の間には二人以外の人もいる。

ドラマや映画で繰り広げられるラブストーリーは、あまり理解できるものも少ない。そういうのに、羨んできた人生だったからだろう。ずっと。
一方で、『漁船の絵』のように、愛のために何もできない、っていうのは痛いほどわかる。愛のために何かできる人間がどれだけいるのだろう。ほとんどの人間は欲望のために愛を語るはずだ。そして、欲望とともに愛を知る。愛を知れば、何もできなくなる。何もできなくなっても、何かをしなければならない。愛のために。それが、たぶん、愛ってものだ。

何かできれば、どってでもいいんだけどね。

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