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『旅をする木』を読みはじめたことと、ビキニの由来についてとか。

2020年6月20日

世の中の大切なことで覚えていることは、ほとんど何もない。たしかに言えることは、3日前、もしくは1週間前、たった一度だけその時を経験はしていたということ。生まれてから今まで、すべての歳月の記憶はしっかりと頭の中に収めらていて、どこかへ散り散りになったことはない。それでも、覚えていることはほんの一握りだけ。

「世の中の大切なことは忘れちゃっているのに、アラスカの歴史のことになると本当につまらないことまで覚えているのよ」

たぶん、『旅をする木』を3日前に読みはじめた。『旅をする木』に出てくる、アラスカの州都、ジュノーにある古本屋の女店主が言う。彼女はアラスカの歴史ならたいてい覚えているのだからすごい。こっちは何も覚えていない。日本の歴史も、山形の歴史も。ずっと前のことも、最近のことも。
それでも、日本語は忘れないし、歩くことも、飛ぶことも忘れない。こんなに忘れてばかりいるのに。体に刻まれた記憶はどこに収納されているんだろう。お腹が空いたり、呼吸したり。
『記憶する体』の前書きで、伊藤亜紗さんは、記憶が可能にしている「その体のその体らしさ」に迫りたい、と書いていた。記憶は「私の存在(物理的な私も含めて)の私らしさ」を可能にしているのだとしたら、世の中の大切なことも、3日前の経験も、何も記憶に残っていない私はなんてみすぼらしいんだろう。
何年間も空っぽなのか、何年分もの伸びしろがあるのか。

朝の6時に近くの公園へ向かって走る。前夜、いつも通り気が付いたら寝ていた。体は重く、血の巡りも緩かった。立ち上がってワラーチをはだしの足に装着した瞬間、窓の外に広がる青い空に注意がひきつけられた。特にいつもと違うわけではないというのに、その空は待ちわびた空であるかのように言われぬ期待があった。
それが期待以上のものでなかったとしても、一日の始まりとしては最高のものに分類されるのは間違いないことだった。「走らずに後悔することがあっても、走って後悔することない」。公園まで行って戻ってくる17kmを走る。家に帰ると家族はみな起きていた。
昼には10km弱、家族とサイクリングついでに走る。1キロ6分から7分のスローペース。家族と一緒に走っているときが一番楽しい。

家の男衆(私、長男、次男)の間で秘密の部屋が流行っている。妻がリビングでテレビを見ている間、部屋の中を暗くして机の下の空間を秘密の部屋にする。久しぶりにNujabesを流す。交通事故で亡くなったのはいつだっただろう。その頃は『彼自身による「ロランバルド」』を読んでいて、車が人類の大切なものをすべて奪っていくように感じた。もしかして、私の大切な記憶も車が奪い去ったのかもしれない。

夜にウィリアム・パウンドストーンの『囚人のジレンマ』を読む。戦争と平和の掛け違い。ビキニ環礁の水爆実験と、ビキニ水着に何の関連性もないと思っていたが、水爆実験のイロニーを込めてなずけられたことを知る。これで堂々と正義のふりをして女性にビキニを勧められる。「小さくて破壊的」であればあるほど、それは水素爆弾のイロニーになる。
今年の夏は、海へ行けるだろうか。登ってみたい海辺の岩があるんだけどね。

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