見出し画像

本日のニュース✓:ロシア・チェルノブイリ原発占拠、リスクが遍在する社会

 ロシアのウクライナが侵攻し、SNSに釘付けの人も多いかも知れません。
 ただ、心理的な動揺は、被災当事者よりも、現実の手応えがないまま危機が及ぶかも知れないとの不安を抱きつつ、情報だけで状況を把握する、周辺地域の方が強いというのは、災害心理学/災害社会学の分野では知られている事象です。

 福島の原発事故の放射能影響について、首都圏を中心とした関東近県や、国外では韓国や中国で放射能忌避が強いのは、この影響も強くあると思われます。
 世界的な調査結果でも、東南アジアなど近隣諸国の方が福島の原発事故に対する忌避感が強いことが出ています。
 逆に、アメリカや欧州くらい離れてしまうと、関心の薄さのほうが強くなり、忌避感が薄くなります。

 情報による心理的な影響は、被災当事者と変わらないくらい大きなものになりますので、どうぞ、それぞれで工夫して入ってくる情報量を意識的に気をつけるようになさってください。

ロシアがチェルノブイリ原発を占拠

 ウクライナに侵攻したロシア軍が、チェルノブイリ原発を占拠したと報じられています。
 1986年に世界的な原発事故を起こしたチェルノブイリ原発は、ウクライナ領、ウクライナとベラルーシの国境付近にあります。

 Googleマップからスクリーンショットをとりました。「チョルノーブィリ」と表示されているのがそれになります。そのすぐ上が、ベラルーシ領です。首都キエフからも100kmほどの距離になります。

 放射能汚染レベルがどうだったかというと、チェルノブイリ事故で放出されたプルームは、北側により多く流れたので、原発のある南側のウクライナよりも北側のベラルーシの方がひどくなりました。

 以下は、1998年当時の汚染主要核種であるセシウム137の濃度地図です。現在は、自然減衰が進み、これより低くなっています。
 図の黄色いマークがチェルノブイリ原発、その下に見える■がキエフです。

 チェルノブイリ原発は、1997年から、主として欧州からの支援によって石棺工事が行われています。また、1991年から欧州の支援によって、チェルノブイリ被災地域に対する復興支援が長期に渡って行われてきました。

 旧ソ連末期に起きたチェルノブイリ原発へのその後の対応は、ある種、東西冷戦対立の雪解けとその後の欧州とウクライナ(ベラルーシ)の紐帯を象徴的に示しており、それをロシアが占拠したということは、ウクライナ・ベラルーシと欧州とのつながりをも断ち切るという強い意志を感じます。

 また、上述したように石棺工事は欧州の資金によって支えられています。ベラルーシ側は、これに一切関与しておらず、2012年当時の話ですが、ベラルーシ関係者からは、ウクライナは欧州からの資金を横流ししているのではないか、との不満も流れてきていました。
 あるいは、チェルノブイリ原発事故の被害を手ひどく受けたのはベラルーシなのに、原発が領土内にあるものだから、それを使って外国にうまいことアピールしている、という話も聞きました。

 欧州では、チェルノブイリ事故による被災の記憶は色濃く、原子炉が不安定になることへの恐怖心が残っていると思います。チェルノブイリを抑えることによって、欧州に対して資金を要求したり、なんらかの交渉カードに使えると思っているのではないでしょうか。

人間のグレーゾーン耐性はきわめて低い

 リスクが遍在する社会になった、という話が書かれています。
 これは、ドイツのウルリヒ・ベックという社会学者がチェルノブイリ事故後に
『危険社会』という本の中で指摘しているのと同様の趣旨であろうと思います。

 チェルノブイリ事故による放射能汚染は、欧州にも及びましたが、欧州は大変な混乱状況になったことがこの本からもうかがえます。
 生活のあらゆる場面にリスクが入りこみ、それを避けることができない、という運命論的な危機意識をもつにいたったことがわかります。

 原発事故のあとの社会が非常に難しくなるのは、このリスクの遍在ーグレーゾーン社会を生きていかなくてはならなくなるからだと実感しています。
 人間は、出来事に白黒はっきり結論をつけたいもので、グレーゾーンを辛抱強く生きることには向いていないのだと、10年経ったいましみじみと思います。ひとりならば耐えられても、集団になると、グレーゾーンのまま長期間こらえるのは非常に難しく、そこから逃れるためなら、破滅的な選択さえ行うことになるのが人間なのだと思います。

 集団としての人間が、グレーゾーンにある程度耐えられるための方法論は、おそらくひとつだけ。共有できる明確な目標を持つことです。あそこまでならがんばれる。あとちょっとならがんばれる。そうやって、ちょっとずつ達成感とコントロール感を維持していく。これは人間の普遍的な心理ではないでしょうか。

 具体的には、大目標をたて、その前に、いくつかの中目標と、たくさんの小さな目標をたてて、実行に移すことだと思います。原発事故後の復興対策で、もっとも重要であったのはこれだったのですが、日本ではごらんのとおり、ふわっとした、なくてもあっても変わらない、誰もが現実不可能だとすぐにわかるような夢物語的目標はあったとしても(政府が常日頃言っている「いつになるかわからないけれど、将来的には避難指示全域解除」なんて、誰がそれに向かってがんばろうなんておもえるでしょうか)、現実的な戦略として使いうる目標はほとんど立てないままにきてしまいました。(現場ごとのノルマとしての目標はありましたが)

 目標なきグレーゾーンのなかでは、人心は荒れ、内輪もめをはじめたり、不道徳な振る舞いが横行するようになるものです。
 このこと、明日以降にまた書きたいと思います。

気に入られましたら、サポートをお願いします。