見出し画像

経営ってクリエイティブな行為かもしれないと思い始めました

最近、経営者の方たちとお話する中で、指示を伝えることと意図を伝えることの違いに気づき、考えさせられる機会がありました。

どうやら経営では意図の伝達が大事なようです。
そして、自分の経験と紐づけて考えると、意図が伝わったときはクリエイティブなもの(新しい、独創的なもの)が生まれやすいと感じています。

ということは、経営ってクリエイティブな活動かもしれません。
自分の中で理解を深めている途中ですが、今後の振り返りのために書き残しておきます。

指示と意図の違い

まず、指示と意図の違いについて自分なりの定義を書きました。

指示とは

指示を伝えるってこんなイメージです。

一方しかイメージを持っていない状態

指示とは、頭の中にあるイメージが他者と一致していない状態で、考えを伝えてしまうことだなと思っています。
もちろんレベルが高い方の指示、あるいはレベルの高い受け手なら目的をキャッチできるかもしれませんが、受け手からすると一方的な情報伝達になりがちです。

意図とは

一方、意図を伝えるときはこんな感じになります。

双方が同じイメージを持って話している状態

指示が「これをやって」という一方的な状態に対して、意図を伝えるときって「こういうことをやりたいんだけど、一緒にやる気ある?」みたいな双方向な状態になるなと思いました。

意図を伝える場合、受け手はその意図に対してNoという権利があるし、ブラッシュアップする意見を出す権利もあります。
自分が思っているモノが完成しないかもしれません。

ただし、「この目的をめざしてモノづくりをしよう」というスタートラインから話して相手の決定を促しているから、いざやるってなったときは、指示に比べて受け手の馬力が上がるはずです。

内発的動機(好奇心や関心)と外発的動機(お金や罰則)という言葉がありますが、内発的動機のほうが生産性も高くて効果が持続すると言われています(参考:Musubuライブラリ)。
だから、一方的な決定を伝える指示よりも意図を伝えて自己決定を促すほうが生産性は高くなるだろう、というわけです

ただ、まだまだ自分含めてみんながいつでも自己決定できる会社が作れていると思っていないので、偉そうには言えません。
ただ、こんなふうに指示と意図について考えたとき、一個人あるいは経営者としても、社員のみんなにやりがいや楽しさを原動力にして行動してほしいと思いました。

意図を伝えられない黒歴史

「ぜんぜん他人に意図が伝えられていなかったな」という黒歴史エピソードを書きます。

制作レベルは低くなかったはず

自分が20歳頃にやっていたロックバンドの話です。
当時、オルタナティブ・ロックと呼ばれるジャンルをやっており、自分たちのバンドは海外レーベルから声がかかるくらいには評価されていました

また、その分野では知名度のあるバンドが静岡に来るときは、オープニングアクトみたいな感じでご一緒させていただく機会も少なくありませんでした。

例えば、Spiral Lifeでデビューし、のちにスピッツのアルバム『ハヤブサ』のプロデューサーもやってる石田ショーキチさん。
小学校の頃から聴いていたレベルで大ファンだったので、ライブ出させてもらって打ち上げもお話できたときは大興奮でした。

ほかにも、Number Girlのアヒト・イナザワ氏も参加していたLuminous Orangeとか、

死んだ僕の彼女とか、

その道では有名なバンドとライブをしていました。

インディーズレーベルのマネージャーからも「面白そうなライブだし楽しみにしてます」みたいに声を掛けられたこともあります。

僕の場合、音楽的にすごかったってよりは「静岡にそういうジャンルをやってる人が少ない」「そのジャンルで特化する」みたいな、こだわりある感じをぷんぷん出していた気がします。
マーケティングっぽいポジションの取り方してたんだと思いますが、当時は制作者としての意識の高さで勝負していた感がありました。

「こういう人と一緒にやりたい!」って自分の意図を強く持っていたし、陰キャのくせに「やりたいです!」って言えちゃうし、ビジョンを叶える力は昔から結構高かったはずです。

国内外問わず業界人の間でひっそり興味を持たれており、「このまま行ったら売れるんじゃないか?」という予感がありました。

意図の伝達レベルが低かった

じゃあ、今なんで会社経営者やってるかというと、バンドが売れなかったからです。
たくさんの原因があると思いますが、ここでは組織を束ねるうえでの意図の伝達レベルの低さを取り上げます。

当時の自分を振り返ると、意図の伝達レベルが低かったため、メンバーの創作性を発揮したり曲作りの感度を引き上げたりする能力は皆無でした

意図ではなく指示によって組織を束ねていた象徴的なエピソードが作曲方法です。
僕の作曲方法は以下のような形でした。

  1. モチーフになる楽曲を3曲(a,b,cとする)ほど聴き込む

  2. 楽曲の中から自分が好きな要素を分解し、書き留める

  3. 各楽曲の好きな要素を組み合わせる
    -例:楽曲aっぽいギターのフレーズに楽曲bのドラムを組み合わせる
    -楽曲aのコード進行で楽曲cの歌メロを歌う)

  4. メンバーには「楽曲bのドラムを聴いておいて」と指示する

このやり方をすると、楽曲は最低限のクオリティまで短期間で到達します。
一聴してもわからない程度にはアレンジしていますが、プロのフレーズを再現しているだけだからです。

メンバーからすると「なんだかわからないけど言われるままやってたら、それっぽくなった」みたいな程度のモチベーションでやっているし、指示が伝わらないことも多々ありました。

一方しかイメージを持っていない状態

当時は若かったこともあり「なんでわかんねーんだよ!」ってキレるタイプだったんですけど、一方だけがイメージを持って指示をしている状態でバンド活動をしていたように思います。

創作を評価されていたわけではない

自分が20歳の頃はインターネットもそこまで発達しておらず、元ネタが見つけにくい時代でした。

情報量が少ない時代だったから、オリジナリティが高くてセンスがあるように見えます。
実際にはオリジナリティがある天才なわけじゃなくてお勉強ができる秀才タイプなだけですが、地元では少し変わった存在になれるわけです。

このやり方でプロまで行けて長く活躍できる人もたくさんいると思いますが、自分の音楽的レベルは特別に高かったわけでもないので、すぐに才能らしきものの底は見えて行き詰まりました。

ただ、行き詰まった結果会社をやるようになったんですが、会社ってすごい楽しいなと感じることも多いから、いまは満足感が高いです。

音楽はどうすればよかったか?

唯一、自分の音楽的レベルを乗り越えてステップアップできる可能性があった方法は、メンバーへの意図の伝達だったのではないかと思います。

双方が同じイメージを持って話している状態

こんなふうに「こんなビジョンを実現したい」という意図が伝達できたら、自分の想像の枠を超える楽曲が作れたのではないかと考えています。

でも、それができなかった。

できなかった理由は明確です。
自分のセンスに対して中途半端に自信があったし評価されていたから、自分の感覚で納得できないものはダサイと思っていたし、自分の楽曲を否定されるのは怖いなと思っていました

要するに、20歳そこそこでチャレンジングな姿勢を取らなくなり、それなりの評価で満足していたんだなと思います。

文章にするとすごい小物感があるんですけど、こういう感覚を持っている経営者とかマネジメント層の方もいるんじゃないでしょうか?
いなかったらすみません。

経営にもクリエイティブはありそう

たまに、「バンドと会社って対局じゃないの?」って聞かれるんですけど、会社こそ最高にクリエイティブだなと思います。

新しいものを作りたい!

クリエイティブとは創造的ってことだし、創造って辞書を引くと以下のように返ってきました。

1 新しいものを初めてつくり出すこと。「文化を―する」「―的な仕事」「―力」
2 神が宇宙・万物をつくること。「天地―」

出典:Gooトップ

僕の場合、バンドをやっていたころに自分ひとりでは本当に新しいものを生み出せなかった後悔がありました。

ただ、社内外に意図を伝えることで会社がオリジナリティを身にまといながら進んでいるように感じます

会社経営する中で意図を伝えることが少しずつ身に付いた結果、昔と比べたらお客さんや社員さんからの反論って歓迎すべきものではないか?と思うようにもなりました。

やってること、やろうとしてることはこれです。

双方が同じイメージを持って話している状態

念のために書いておくと、どんな絵を描くか、描く絵に対する合格基準を事前に決めること、自分の想像になっているかの審美眼を持って絵を見るのは恐らく経営者の仕事です。

じゃあ、社員さんの仕事は完全に精巧な塗り絵を描くだけかというと、多分そうではない。

あくまで絵自体は経営者の責任とコントロールの範囲内に収まる必要があるけれど、絵の中での表現は、基準値を超えているなら自分の想像を上回ってくれてよいです。
舞台監督(経営者)と役者(社員さん)の関係とたとえてもいいかもしれません。

そうやって、お互いが自己決定しながら作っていく絵=会社が一番クリエイティブなんじゃないかなと思いました

実際に世の中見渡すと「描きましょう!」って言ってくれることばかりじゃないと思うんですけど、僕が「この絵が描きたい!」って言ったらみんな付き合ってくれるので、その点は間違いなく自分たちの会社の原動力です。

ちなみにバンド楽しい期です

20歳そこそこで秀才がやるような手法を使って音楽活動をして、その能力の低さからいち早く挫折したんですけれど、30歳を過ぎてから「品質はさておき、クリエイティブなことにチャレンジしたいな」と思うようになりました。

そんなわけで年1回ライブするくらいのペースですが、最近またバンドをやってます。

いい年こいてアマチュアが曲作って歌詞書いて世間に披露するのはイタイかもしれません。

ライブ動画を見ると自分で聴いても昔より下手だし体力切れしてるけど、クリエイティブを発信する行為は経営発表会でもこのnoteでも歌詞でも変わらないし、自分のクリエイティブさを保全し、育むために、みんなで曲を作ることって必要だなと思いました

「創作意欲は枯れてもパンを食べる」って表現、30歳過ぎて、さえない、売れないバンドマンやってる自分じゃなきゃ出ないワードって感じがして好きです。

他にも「意図を伝えて、メンバーが作っているフレーズを信じる」みたいなことは自分の中で以前より重要度を高くしました。
そのほうがクリエイティブなものが生み出せる可能性があるからです。

意図の例ですが、ハードコア・パンクやエモは音圧の静と動のダイナミックさが大事なジャンルだと思うので「ダイナミックさのピークをここで出したい」とか「ここは性急に」とか、以前よりやりたいことの伝達に重きを置けるようになったんじゃないかと思っています(が、どうでしょうか…)。

新しいものをもっと作りたい

僕たちの会社はいわゆるWEBマーケティング業です。
特にSEO(Yahoo!/Googleの検索上位表示に向けた最適化)やTwitter/InstagramなどのSNS運用といった戦術を強みとしているので、自分たちが直接的に何かを生み出す存在ではありません。

ただ、支援業という形態だからこそ、支援先のさまざまな会社が新しいものを作る手助けができるのではないかと考えています

お客さんと、あるいは社内で、みんなが意図を飛ばしたり受け取ったりしながら新しいものを作れる会社があったら面白いなと思いました。

このnoteを書いた意図は、静岡でクリエイティブな会社を作っていきたいぜって宣言したかったからでしょうか。
そんなわけで応援よろしくお願いします!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?