見出し画像

正解ってなんだよ?

昨日、一昨日は所属させていただいている「舞台の学校」で夏に上演するオムニバス形式のミュージカルのオーデションだった。
オーデションといってもお稽古兼審査のような形で行われたのだけど。

昨年8月に引き寄せられるようにここを訪ねた時、代表はじめ、子供たちがあまりにもフレンドリーで驚いたものだった。もちろん、来客への応対や挨拶の仕方をしっかり教育されているのだろうなとは思ったけれど、それでもそれがちっともわざとらしくなくて、大人の私がすっかり恐縮してしまうくらいだった。
そして、レッスンのおしまいには、私一人のために、みんながその夏に公演した「卑弥呼」から抜粋して歌と踊りを見せてくれた。表現することが大好きだというその純粋なエネルギーに圧倒され、自然に涙が溢れ出した。恥ずかしいことには涙はとめどなくこぼれ落ち、最後は「ブラボー!!」と叫んでいた。
まぁね、いい歳こいた大人はそんなことしませんわね。
でも、私は昔から感動は素直に伝えちゃうんだよね。

秒で入会を希望した。

が、冬の間は何かと予定が入り、意にそまぬ舞台にも結局最後まで関わってしまい、体調も崩してなかなかお稽古に行けなかった。
4月から仕切り直して、予定も見直して(結果、それまで以上に忙しくはなったけど)週3回のお稽古を確保することができた。
正直言って、子供が主役の舞台に、大人がちょろっと出させてもらうんだ…くらいの気持ちでいた…実際問題として、ヒップホップやジャスダンスに関しては全くの素人…複雑すぎる振り付けは覚えられないし、覚えなくてはいけない歌も10曲以上あり、邪魔しないように、足を引っ張らないようにそっと後ろの方にいさせてもらうだけでありがたや、と、思ってたんだよね。
ところが、いざ台本をいただいて楽譜も配布されて、ざっくり見てみたら、これまでみたこともない、ましてや出たこともない世界がそこに広がっていた。
お稽古が始まると、子供たちの真剣さがこれまた素晴らしい。
うわ。。。いい歳こいて。。。って、言い訳がましいこと言ってた自分が恥ずかしい。

週三回の他に週1〜2回のバレエのお稽古もしているし、こちらの発表会にもエントリーしてしまった。4月からは事務所でゴスペルを教えることにもなり、さらには東京のNPO法人のメンバーとしても活動が始まった。
自宅から「舞台の学校」に通うには車で1時間近くかかる。しかも夜の運転はなかなかにしんどいものがある。
それでも2時間のお稽古が終わると、ああ、今日も参加できてよかったなと思えるのだ。

おっと。本題にいつまでも近づかないな。
「正解ってなんだよ?」だった。

これまで演技のレッスンを2年以上してきて、何度か舞台にも立たせていただいて、
それでも私は表現することの軸?核?みたいなものがわからず右往左往していた。
シナリオ読解に至っては、「正解はこちらです」と言われたこともある。
とある舞台でも、ある役者さんの言い回し(表現)と私のそれを比べられ、「Nの方が正解。」と言われた。
いつの間にか、私は表現の正解を探し、発見できないまま当たり障りのない表現をするようになっていた。
どんどんセリフ恐怖症になって行った。
こう発したら否定されるかも。
この人物の年齢は?性格は?場面は?季節は?時間は?
考えすぎて何も出てこない。

ところが、
今度の舞台は違った。
オムニバス形式でどんどん物語が進んでいくという特殊な作り方でもあるせいか、登場する人物は全てお客様の想像に任せていいんだなと思えたんだよね。
私の台詞回しが正解か不正解かなんてどうでもよくて(まあ、演出家の中ではある程度のイメージに近づけてほしいと言うアドバイスやジャッジはあると思うが)私がその瞬間に発した言葉に乗っかった感情が作り物かそうでないかだけが判定される。
そんな感じだった。
否定されないんだ。正解を言わなくていいんだ。
こんなオーデション、初めてダァぁぁ!
いや、もちろん、基本的な技術は必要だよ。

このオーデション中にすんごいものを見てしまった。多分、一生忘れられないと思う。
ものすごく辛くて、深くて、今回のテーマとも言える場面がオーデション課題だったんだけど、滅多に厳しいことをおっしゃらない代表が、急に険しい顔になって、子供達にあることを諭したんだよね。
そして、役を自分と仲の良い友達に置き換えてごらんと指導した。
次の瞬間から、舞台が一変した。
それまでなんとなく演じていた子供たちが、ボロボロ涙をこぼし、嗚咽し、ありったけの悲しみや苦しみを表現したんだ。空気が変わったと誰もが感じた瞬間だった。代表も涙ぐんで見ておられた。
その後に続いた他のメンバーも素晴らしかった。
見ているメンバーも涙ぐんでその世界に没入していた。
思いを見ている人に届けるには技術だけあってもダメなんだ。役を生きるってこういうことなんだ。(よく聴く言葉だけど。そして、わかっているつもりだったけど。)
そして、こんなふうに一瞬で物事の核の部分を捉えられた子供たちの感性と美しい魂に心打たれた。

正解ってなんだよ?

むしろ正解のない問いかけの連続こそ舞台表現なんじゃないのか?
少しだけ私も成長できたかも。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?