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着物の魅力に目覚めて…

幼少期から抱えていた「私は要らない子だったのではないか?」という心の不安が解消されて、さあ、動き出そうと初めに着手したのはなぜか断捨離でした。
「要らない」の反対側にあるのは「必要、欲求」
いろいろなものを抱え込んで手放せずにいたのではないかと思い、もう読まないと思われる本はお世話になっているカルチャーに寄贈することにしました。
彫金、ガラス、デザイン、切り絵、手芸など、
かなり専門的な本もありましたが、段ボール3個分の本は必要な人のところにちゃんと届き、一週間ほどで全部なくなったそうです。
ガラスクラフト作家時代の作品や材料も捨てました。あ。でも電気炉一台と高価なガラス板はまだ手放せずにいます。

次に20年前に亡くなった母の着物を手放すことにしました。
母は着物道楽で、桐の箪笥に沢山の着物を収納していたのは知っていました。
しかし、母と暮らした家を処分する時に、ろくに中身を見もせず、ほとんどを処分していたのです。桐の箪笥に保管していたからといって、管理が万全ではありませんし、虫喰いやシミのある着物の方が多かったことも事実です。それでも数点は持ち帰って保管していました。
それさえも、もう処分しても良いだろう。着物には特に興味はないし、第一、小柄な母の寸法では、私が着られるものはありません。

とはいえ、当時にしては高価だったろうと思われる着物はさすがにゴミに出す気になれず、着物好きな友人に見てもらったところ、ピッタリだったのです。
やれやれ、よかった。
と、思ったのですが、一点だけ、シミだらけで着ることのできない着物が妙に気になりました。
どうしたらいいだろうと友人に相談すると、「とりあえず呉服屋さんに持って行って、クリーニング可能かどうか聞いてみたらいいよ」と教えてもらい、ダメ元で行ってみることにしました。

さあ、これが
後になって思うと亡くなった母の企みとしか思えないんですね。
着物って素敵なのよ。
着物って華やぐのよ。
着物って癒やされるのよ。
やっと、振り向いてくれたわね。
と、
空の上でほくそ笑んでいるのではなかろうかと思われるのです。

初めて自分の意思で呉服屋さんに足を踏み入れた私は、
まんまと着物の魅力にハマってしまいました。
母の着物は予想通り、どうにもならないほどの傷みようで、諦めるしかありませんでしたが、
お店に展示していた大島紬から離れられなくなってしまったのです。
着物の知識などゼロで、それまでの人生で着物を着たのは大学の卒業式と、33歳の厄祓いくらいです。
カカシのように立ったまま、何が何やら。。と思いながら美容師さんに着せてもらった記憶しかありません。
この先、冠婚葬祭があったとしても、着物を着る機会は永久に来ないだろう。第一、私は着物なんか着たいとは思わないし。

さあ、そんな私が
「普段着として着物を着ましょう!」と、声高らかに叫ぶようになるまで
半年もかかりませんでした。

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