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全ては父の応接室から始まった

父は私が小学校6年生の正月に亡くなりました。
私が小学校2年生の時に病に倒れ、その後4年の闘病を経て彼方の世界へ旅立ちました。
父が私とは血のつながりがなかったことは父の死の10年後に知ることになるのですが、最近になって、私の憧れやこだわりや美しいと信じるものは、なんと言っても父の影響が大きいのではないかと思うようになったのです。

父と母が15歳も歳が離れていたことも、父が再婚だったということも父の死で初めて知ったのでした。そのくらい、私は夢見る夢子さんで、自分の世界しか見ていなかったのでしょう。子供にありがちなのかもしれませんが、一人で部屋に篭もり、空想の世界で遊んでいました。
父は新築の家に移り住んで一年後に病に倒れ、ほとんど寝たきりの生活になりましたから、私にとって父の応接間は秘密基地だったのです。
そこには世界文学全集や
西洋美術史全集や
東海道五拾三次や源氏物語絵巻の版画レプリカや
当時にしては高価なステレオセット、
なぜか暖炉までありました。
父が明治生まれでありながらいかにハイカラさんだったか想像できます。

父とはあまり話をした記憶がなく、声も思い出せません。でも、笑い方はとても特徴的で、それだけは覚えています。
私がピアノを習いたくて習いたくてたまらなかったある日、父はサプライズで木目調のアップライトピアノを用意してくれていました。
目を細め、ちょっと自慢げにピアノに案内してくれた父に、私はありったけの感謝の言葉を言ったのだろうと思います。父はそれを聞いて、例の独特な笑い声をたてて、「たくさん練習しなさい。」と、答えました。
秘密の宝物がたくさんある父の応接間に、さらにピアノが加わったのです。
私が1日の大半をその場所で過ごすことになるのは当然でしょう。

私の感性はほとんどがここで育まれたのです。


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