その後
前職を辞めてから約半年が経った。
転職活動がうまくいかずニートを経た私がどういう経緯で今生きているのか、記させてもらう。
【10月】
退職直後、様々な企業の採用フォームに応募を送る。面接に進める会社もボチボチあったがことごとく連敗。一社内定したが、なんか違くて辞退。
めんどくさくなって友達の紹介で不動産仲介の営業職で採用をいただいた。11月から勤務になり新たな一歩を踏み出した。
【11月】
不動産仲介を一日で辞めた。
職場の雰囲気最悪、パソコンを一日中睨んでいて激しい頭痛に見舞われる、雇用保険の契約等の入社時に必要な手続きが一切行われないなどの圧倒的“向いてなさ”を感じ翌日の出勤時間にTELで退職の旨を伝える。
「はぁ、はい(笑)」
じゃねえよ!!笑うな!!あの店長、ほんと嫌い。
あの判断は決して間違っていない。損切りを正当化してくださった方々のおかげで立ち直れましたありがとう。
程なくして生活に難が出てきた為、カラオケでの深夜バイトを始めた。
【12月】
恋人に振られた。
11月の時点で距離を置いていた。それは別れの前兆で、終わりはもっと前から私の首を絞めかけていた。今でもたまにあの頃の夢をみる。その度に胸が痛み、涙腺に鞭を打つ。泣いたらだめだと言い聞かせるように。
就活に関してはその分野では日本のトップを占める大手企業の実習に参加し、内定を得た企業があったが、それも辞退。死に触れられる貴重な機会であったがそれを日常化することが怖かった。死はたまに姿を出すから丁度よく生を感じられるのだ。
(※死に携わる企業でした)
求職活動の方向性を変え、自分は何を楽しいと思えるかというシフトチェンジを図った。結果、とある企業で内定をいただき、そこに就職の決意を固める。
バイトは週3〜4で入り、時給1,400円の日々を繰り返した。年末はみんな入りたがらないので暇代表として私が名乗りを上げた。激務を経た私は、新人とは思えないスピードで仕事をこなした。
【1月】
年始も勿論バイトの日々。
久しぶりに顔を出す面々が私の成長ぶりに驚いている。ふふっ、君らが帰省してのんびり過ごしている間、私は更なる進化を遂げたのだ。幸福や温和と引き換えに成長を得たこの瞳には血にも近い涙が滲んでいた。
だが今月末でこのバイトも退職。
なんだかんだ大勢のスタッフと仲良くなれた。
内数人は遊ぶ約束をする程だ。嬉しい限りである。
けどもう戻ってこいとは言わないでね。
【2月】
正社員として新たな生活がスタート。
怯えながら仕事を学ぶ日々。24時過ぎ終電で帰ることもしばしば。慣れるのにも苦労したが人の良さに救われ努力することができた。
常に脳裏には仕事とお金のことしか考えていない。滞納している分の国保の分割を申請しに区役所へ行く休日。区役所のおばちゃんに近所のスーパーの情報を教えていただいた。ちゃんとそこで買い物したよ。
【3月】
仕事をする中でいろんな出会いがあった。
ゴリゴリの接客業なのでお客様に対して腑が煮え繰り返りそうな感情を抱いたり厨二病のように黒炎で焼き尽くす妄想も一通り終わった。
だがそういう輩どもは人として苦労してきたのだろう。
誰にも救われず誰にも支えられない。人知れず涙を流している可哀想な人間に違いない。そんなことを考えながらも結局は黒炎で燃やす。クソが。
INTPの私、向いていない職業、サービス業。辞めます。
そういえば初任給も入った。想定していたよりも税金が高く手取りは少なかったが仕方あるまい。これが今の日本の姿なのだ。
そして今、4月。
桜が咲き、散った今、生きている。
ああ、春や、白濁な夜、と岡村靖幸が新曲を口ずさむような春。
世の中の新生活ムーブに巻き込まれ私も新生活らしい新生活を始められたような気がする。たくさんのものを捨て、たくさんのものを得た。
新たなこの息吹を殺さないよう大切に大切に生活していく。絶やさず自身にも他人にも敬意を持ち、どこからか愛を感じられるように。
桜の散り際に巻き込まれぬように、私は私の幹を太くする。
いつか全てを実らすように。
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