見出し画像

【vol.36】呑まれ飲まされ吐き沈み

平日の飲酒、それは小さな幸せと大きな明日への不安と負担を孕む。


職場の付き合いで平日にも関わらず僕は21時までお酒を飲む。お酒に呑まれる。飲酒によるメリットは精神的浮遊感と酔っている自分に酔えることくらい。メリットに反してデメリットは大きい。二日酔いや行動が鈍くなることである。そして一番の問題は本日は平日真っ只中の水曜日。明日も仕事だということだ。金晩や土晩なんていくらでも死んでいい日なので次の日に予定がなければ多少無理な飲み方もするのだが、平日は違う。
平日は5時~5時50分の間に起きれないと遅刻する。なんなら5時50分は走らないと間に合わない。確立された早起きは地獄なのだ。加えて僕は根っからの夜型なので早起きは苦手である。そこにアルコールが加わったら寝坊まっしぐらなのだ。

今の時点で明日仕事を休もうか迷ってる自分の情けなさに嘆かわしさすら覚えるがそのくらい明日の朝が不安である。そもそもお酒に強い方ではないので普段は1~3杯の間でセーブするのだが周りの先輩方が結構な酒飲みなのでそれに合わせてなんとか5杯を飲みきった。先日3杯でゲロを吐いた自分にしてはえらい進歩である。頑張ったねよしよし。

乗り物が得意ではないので電車に揺られる今も少しのことで内容物が飛び出してしまうのではないかとヒヤヒヤしている。
去年の誕生日、バスに乗るだけで体調を崩し目の前がブラックアウトしたことがある。そのくらい嫌いだ。電車通勤できれば辞めたい。


社会人、障害が多すぎる。無駄な付き合いによる金銭の出費や時間の浪費、したくないことをしていることによる精神的消耗。こんな生活をしているだけで寿命を削っているってマジ?自分に問いたくなる。

何かの映画が小説か曲の歌詞か、すっかり忘れてしまったがやりたくないことをやって苦しむだけの日々を“緩やかな自殺”と表現しているものがあった。まさに僕は“緩やかな自殺”を実行している。
やりたくもないつまらない仕事をし、一緒にいたくない人たちと時間を共にし、サブスクの無限供給によって観ようとも思っていない動画を見続ける。
時間を、人生を、寿命を、有限なものを無駄に消費し続けている。
いつから私はこうなったのだろうか。もしくは造られた時点でこうだったのか。どちらにしろ絶望。

どう足掻いてもネガティブにしかならない文章を今日も記す。これも人生の浪費の一部なのかも。
不特定多数の人が見るものだしどうせならもっとためになることとかキラキラ楽しいことを発信したいという気持ちはある。ホントに。
性に合わないことはしばらくしないつもりだけど少しでも自分を変えたいなら慣れないこともしないとね。
人生の転期はそういう小さなものから生まれるのかも、なんてね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?