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出会いの季節、アルバムの季節

アンドロメダです。みなさまお元気でしょうか。

さて、先日私は1stアルバム『ドッペル・ミュータント』を出しました。まあアルバムとは言っても、今のところはデジタルリリースという形でboothでのデータ販売のみとなっているのですが。

また、各種音楽配信サービスでも聞けるようになりました。ぜひ通勤通学や寝る前など、好きなタイミングで聞いていただけると幸いです。

そんなわけで今回は、このアルバムについての話を全部まとめた記事となっています。アルバムを作った経緯から、各曲のこだわりやテーマまで、書きたいことを全て書こうと思います。どうぞ、お付き合いください。


1stアルバムだなんて大層な

まずは急にアルバムを出した経緯や背景の話から。
ここ3年ほど、アンドロメダの音楽活動は、年に1曲を出す程度のゆったりしたペースで進んでいました。しかし、なぜだか急に曲がたくさん書けるようになり、アルバムに必要な10曲が揃ってしまいました。これだけ聞いても「経緯」と呼べるほどの流れは読み取れませんね。これを説明するためには、曲の制作順から見ていくのが最も分かりやすいと思います。

ただ、一口に制作順といっても、曲は一瞬で完成するわけではないので、「作り始めた時期」「ある程度形になってきた時期」「ほぼ完成した時期」を反映したExcelを全く使いこなせていないクッソ雑な図を用意しました。

全体版
サロニカとLITDを除外して拡大した版

先ほども述べた通り『もう寝る。』の後から怒涛の勢いで曲が完成していくのがわかりますね。ここには二つの要因があります。
一つは、『もう寝る。』を投稿した「無色透名祭」というイベントの性質上「どんな曲を作ったか」すら秘匿しなくてはならず、曲の完成からフィードバックまでの間に1ヶ月のラグが発生したことです。その結果、その間に別の曲を作り始めているので『もう寝る。』へのポジティブな感想は他の作業中の曲に取り組むモチベーションにつながることとなり、好循環を作ることができました。
もう一つは、『もう寝る。』の作曲の少し前にドラム音源の「Addictive Drums 2」を購入したことです。このドラム音源は有名で使い勝手がいい音源なのですが、実はアンドロメダが最も尊敬するアーティストの一人であるナユタン星人さんの使っているソフトでもある(正確にはナユタン星人さんが使用しているのは「2」ではないAddictive Drumsの方)のです。適当にプリセットから鳴らした音にすらナユタン星人を感じてしまうので、当然ながらテンションが爆上がりし、作曲のモチベーションが向上しました。

ドッペル・ミュータントとは

そんなこんなで完成したアルバムの中身の話に移っていきます。まずはタイトルについて。
『ドッペル・ミュータント』というタイトルは実はTwitterのアンケートで決めたものです。

とはいえ、この選択肢を見て薄々お気づきの方もいるとおり、このツイートをした時点で既にアンドロメダの中では『ドッペル・ミュータント』一択でした。
(ちなみに、アンドロメダは『サロニカ』の曲名でも同じことをやっています…ゲスいね)

「ドッペル(doppel)」はドイツ語で「二重の」という意味で、英語の「double」に相当します。もちろん「ミュータント」はそのまんま、変異体という意味です。つまり「ドッペル・ミュータント」は「二重の変異体」という意味になります。
じゃあ何から変異したのかって?答えは生命そのものからです。
まず自然界でも特異な動物である人間=第一のミュータントであり、そしてその中でも普通でない人間が第二のミュータントだと言っているわけです。

現実世界で人が十人十色であるように、このアルバムに収録されている曲は多種多様です。そこに込められているのは明るい感情だったり暗い感情だったり様々ですが、ドッペル・ミュータントたちがどんな気持ちを抱くことがあったとしても、「その感情はあなたのものだ」と肯定し、前を向く助けになってほしいという願いをこめてこのタイトルを採用しました。

各曲の詳細な解説

ここからは各曲の歌詞や曲のこだわりポイントまでじっくり解説します。おそらくとんでもない文章量になっているので、目次を使って読みたいところに飛んでから読むことをおススメします。


①サロニカ

アンドロメダが2番目に公開した曲です。
Salonica(Salonika) はギリシャの都市、テッサロニキ(Θεσσαλονίκη / Thessalonikē) の別名であり、公開しているMVの背景はテッサロニキ市街のドット絵となっています。
この曲のテーマは希望、そして平和への祈りです。テッサロニキという都市とその歴史をモチーフにしつつ、歴史上や現在起こっている戦争や災害などについても思いを馳せながら書きました。このテーマになったのには、作曲時ちょうど始まったのが某国による軍事侵攻だったことも関係しています。

作曲時にまず手を付けたのはサビの「牢獄の上で眠ろうよ サロニカ」というフレーズです。サロニカというタイトルだけ先に決めていたので、テッサロニキについて調べていたときに急に思い浮かびました。そこから前後に(つまりAメロ←Bメロ←サビ→間奏みたいな形で)曲を伸ばしていって、オケの雰囲気がだいたい固まった後にメロディと歌詞を付けました。

夕暮れに黄昏る僕を 風はいつも優しい匂いで包んでく
命が脆すぎるせいで 瓦礫の中埋もれた愛しさが手放せない

街に迫る絶望の波 僕らは強がりでも笑おう

あまりに飾り気のない歌詞ですね。「瓦礫の中埋もれた愛しさ」は大事な物か、人か、はたまた風景や記憶か、とにかく愛しいものすべてを指しています。何かを失うことは辛いことですが、辛いことは愛していた証拠だからその事実を否定せず、ただ受け止めてほしいという願いがここに込められています。「波」のイメージは2番でも登場しますが、これはテッサロニキが海に面した街であることから海戦のイメージ・津波のイメージなどを重ねています(まあ歴史的にはテッサロニキはだいたい陸から攻められているので、これは先ほども述べたように他の災害や戦争のイメージが大きいです)。

Aメロのメロディは「優しい」の「い」のところと「埋もれた」の「た」のところだけ変位しているのですが、これがいい感じにアクセントになっていますよね。コード的にはⅣM7→ⅠM7→Ⅱm7ときてサブドミナントマイナーコードのⅡm7-5に移っています。サブドミナントマイナーって、ドミナントコードほど露骨に起伏を作ることなく綺麗に流れていく感じがして、まさに寄せては引いていく波のイメージに合う気がしませんか?
Bメロからサビにかけてのドラムは、ナユタン星人の影響を強く感じますね。『ギンギラ銀河』とかそっくりですね。
あと、アンドロメダは「イントロのフレーズが曲中ずっと後ろで流れているやつ大好き部」なのですが、この曲ではAメロの後ろで聞こえるピアノがちょうどイントロのモチーフの変化形となっています。

僕らの愛したこの町を一緒に眺めよう
塔の上から見下ろして 声を響かせよう
牢獄の上で眠ろうよ サロニカ
朝日が海を照らすのが見えるかな 

良いサビですね。希望を失わないでいてほしい、というのに尽きます。

しかも編曲がめちゃくちゃいいですね(自画自賛)。特に木琴のかわいい音色がとてもいい仕事をしている。ドラムもwowaka-ナユタン・メソッド(サビ後半でライドシンバルを叩き始めるやつ)からのダカダカダカダカ…ダン!!!という最強のコンボを決めていて、気持ちよさが半端ないです。

煙と悲しみの日々を 僕らいつか明るい光で忘れてく
牢獄も瓦礫の海も 街の人の命に溶け込んで生まれ変わる

街に寄せる平穏の波 僕らは生きているから笑おう

どんなに壊滅的なダメージを受けようと、そこに人がいれば街というのは復興していきます。街って生き物みたいですよね。「街の人の命」は「lives of people of the city」という意味だけでなく「街の、そして人の命(lives of people and the city)」というニュアンスも込めた表現です。「波」は2番では荒波から穏やかな波に変わっています。どちらにせよ、雄大な海の前では人ひとりの命がいかに軽いものかを感じますよね。

編曲面についてはリメイク版でBメロを静かにするアレンジに変更していて、ちょうど「街に寄せる平穏の波」と歌っているところでピアノのアルペジオが左右を行き来するようになっています。

僕らの愛したこの町を一緒に眺めよう
塔の上から見下ろして 声を響かせよう
牢獄の上で歌おうよ サロニカ
夜風が歌を運ぶのが聞けるかな

僕らの愛したこの町を一緒に眺めよう
塔の上から見下ろして 声を響かせよう
牢獄の上で眠ろうよ サロニカ
朝日が海を照らすのが見えるかな
明日の笑い声を夢に見よう
僕らの日々は 街は生きている

いい曲すぎる~~~~~~!!!!!!!!!!
歌詞についてはもう言うことないので曲について解説します。この曲は転調せずにサビを2回引き伸ばすので、1回目はギターで「ギュワ~ン」とやらせてみたり、2回目ではミクさんに「Ah~」と美声を出していただいたりしています。そしてドラムのキメのついでにアコギをピロ~ンと弾いてみたり、とにかくやりたいことを全部盛りしています。そして最後の最後まで木琴はいい仕事をします。

この曲のプロトタイプが出てきたので貼っておきます。オケを一通り作ってからメロディを付けたので、この段階ではボーカルもサビしかありません。


②創らせろ

サロニカの後に作ったものの、公開タイミングもなく放置している間に他の曲と比べて相対的にクオリティが低く感じるようになり、お蔵入りになりかけていた曲です。
この曲のテーマは創作者のプライドです。普段なら「ありきたりで安っぽく聞こえるから(要するに逆張り)」という理由で絶対に書かないテイストの歌詞なんですが、そんな自分にもう一段階逆張りしたくなって書いたのでこんなひねくれた感じになりました。

せっかく逆張りで歌詞を書くなら、メロディも普段の自分に逆張りしたい!ということで、最初からサビは思い切りのよすぎるメロディにしようと決めていました。曲全体を通して意識したことは、一歩一歩重たい足取りでもがきながら進んでいる感です。イントロのフレーズも「もがき感」をかなり出したつもりなのですが、どうでしょう。

冒頭に流れるタイピング音らしき音は、曲全体がだいたいできた後に「口遊みながら作曲している風景」を演出するために追加しました。カタカタ言ってますが実は全部マウスの音なんです。スマホのマイクで録った音をさらに加工してあるので意外と分からないかもしれませんが、2回カチャカチャやってるところなんかはよく聞くと完全にダブルクリックです。

息を忘れて筆を走らせる 何か書けそうな予感がするから
だけど顛末はもう知っているのさ 予感なんてしょせん予感のままで

創作をやる人なら誰しもこの感覚はわかるでしょう。ちょうどこのころは自分でもあまり納得のいく作品が作れておらず、いわゆるスランプに陥っていた時期でした。

Aメロから起伏の大きなメロディですが、これは創作の気まぐれさ、波を表現するためには平坦にすべきでないな、と思って作りました。特に「何か描けそうな予感が」のところとか波に乗って上がっていく感じでまさに曲を作っているときの気分そのままです。

無為な時間を 紛らわせる 音の海で
それは 僕以外の 誰かが 僕の波を超えた証

「時間」の読みはもちろん「とき」です。
さっきも言及しましたが、創作のエネルギーって波みたいな性質があって、それがときどき大きくうねって高くなる点が発生し、それが作品になるみたいなイメージを個人的に持っています(物理学で出てくる「ゆらぎ」のイメージが最も近いと思います)。誰かの素晴らしい作品を聞いてそれに浸るのは簡単ですが、「こいつらばっかり運よく高い波を掴みやがって…ギリリ」という悔しさも忘れてはいけません。そんな感じのことを表現した歌詞です。

ここのドラムをよく聞くと、ハイハットのリズムのみ3拍おきに刻まれていてポリリズムになっています。追い越されていくことを表現した…とかではなく、ただ普通のドラムじゃ物足りなかったから加えただけのアレンジです。

それで僕を負かさないで
虚勢の背中崩さないで
仮想の僕を殺さないで
プライド入った注射を刺している

創作活動というのはよく「命を削る」行為だと言われます。実際悩んで悩んで、それでも何も生み出せないときの苦しみというのは絶大で、それを経験した人同士でないと分からない事ってあると思います。そして創作というのは(少なくとも僕は)作っている間は自分の才能をはちゃめちゃに信じないとやってられません。「自信を前借りしてドーピングしてる」みたいなイメージだったので、それを3行で表現したのちに最後に「注射」に喩えています。

サビのメロディは、これ以上ないくらい清々しいですね。楽器隊も急に本気を出すのでめちゃくちゃ開放感があります。
あとこの曲もサロニカと同じく「イントロのフレーズが曲中ずっと後ろで流れているやつ大好き部」なので実はサビでもかすかに鳴っています。

息を忘れて筆を走らせる その間だけは僕でいられるから
才能の壁なんて言葉はあるけれど 誰が見たのさ
息を忘れて筆を走らせる 何か書けそうな予感がするから
特別でありたいのが幼さならば なんて若返りだろう

個人的に、この曲の中で一番ありきたり感を払拭するのに貢献している歌詞だと思っています。メンタル絶好調のときのアンドロメダの内心はこんな感じです。結局のところ、「中二病を拗らせて自分が特別だと思っている」という指摘は創作者には効きません。なぜなら、それぞれの人にとって自分が本当に特別であるからこそ、それぞれの中に違う世界が生まれて違う作品が生まれるからです。幼稚でも不器用でも特別なことに変わりはないのです。

メロディも、ここは1番よりも高らかに伸ばす箇所が出現しています。いいですね。その調子で行っちゃえ!

井の中でも 威張れぬのが 哀れかもね
だけど 足掻くのをやめるのは 蛙として負けだと思う

「い」の中、「い」ばれぬと言うミニ韻と、「足掻く」「蛙」という中くらいの韻のおかげでなんだか語感がいいですね。このへんは特に試行錯誤したわけではなく勢いに任せて書いたんですが、それにしてはなんか不思議なまとまり感があります。

それで僕を負かさないで
虚勢の背中崩さないで
仮想の僕を殺さないで
こんな曲だって命の吸殻

さっきは注射(クスリ)に喩えたので、次は煙草かなって。身体に悪いことをしているときが一番生を感じますよね。あっもちろんアンドロメダは未成年なので酒も煙草も一度も口にしたことはありませんよ。薬物もね。

こういうところで全音符でビャ~~っと鳴ってるギターって良いですよね。音の切れ目が分からなくて、脳内に走るストレスのノイズみたいな感じがします。あとここのドラムとか、一回失速したところをよいしょって引き戻してくれる感じしませんか?

誰も僕に見向きやしなくて
縋る意味も感じなくて
痕を傷を刻みたくて
負ける気なんて到底ないから
虚構の僕をいつか超えてやる

これ、もともと最後の歌詞は「仮想の僕」とか(何度か変えている)だったんですけど、「虚構の僕」にすると「今日この僕」にも聞こえて面白かったのでそれを採用しました。どうせ誰も聞いてくれないし大して良いものも作れないのになんでこんなことやってんだろ、って思うんですけどやめられないんですよね創作って。やっぱり変なホルモンとか出てるんですかね。

ラスサビ入りは後ろでミクさんがピャーーーーーと叫んだり、一番最後も「超えてやる~~~~~~~~ァッ↑」って言ってたり、曲全体を通して意外と調声をいじくっています。この「一生懸命叫んでる感」を出すためにサビの音符はほとんどビブラートつきで揺らぎまくってたりします。

この曲もプロトタイプが出てきたので貼っておきます。サビでハモリがずっとシの音を踏んでいてめちゃくちゃキモいんですが、その不安定さも悪くないような気がして、上ハモにするか下ハモにするかかなり悩んで現在の形になりました。


③からっぽの歌詞.txt

もう寝る。の後に作った曲です。ちょっとしたラップパートを作ってみたかったのと、歌詞のみならず人々の言葉の使い方に思うところがあって書きました。

テーマや歌詞に関しては前から書いていた解説記事があるので、こちらをどうぞ。ここでは音の話をします。

この曲は聴いて分かる通りシンセサイザーを活用(というかほぼ全てシンセ)した電子音楽寄りの曲なのですが、この系統は処女作である『Love In The Dark』以来書いていなかったので最初は没を覚悟していました。しかしいざ音色を作り始めると楽しくなってきてすぐ完成しました。
キックとクラップは2,3個のサンプルをレイヤーしてあった気がします。普段レイヤーというものをそこまでしていなかったのですが、曲調が曲調なのでリズム隊の存在感を重視しました。
1番と2番の間の間奏では音がうねる箇所がありますが、そこはフェイザーやフランジャーではなく、ボーカル用のピッチシフターを無理やりかけて変な音を作り出しています。曲調によってはもっとおもしろい音が鳴りそうですね。

この曲に関しては、上に貼った記事内でも言及している通り歌詞を完全に書ききってから曲に取り掛かったのですが、歌詞を書き終わって読み返した時にほとんどのメロディを思いついて、それをほぼ修正せずそのまま使っています。なので歌詞を書いた時点で作曲自体はほぼ終了していたといっても過言ではないのです。というわけでほぼ完成している音源をどうぞ。


④残滓

いつだかに作った曲です。
この曲のテーマはもちろん…だけではなく若さです。
タイトルは『残渣』のつもりだったけど悩んで、Twitterでアンケートしたら『残滓』が勝ったのでそっちにしました。

特定の季節に結び付いた曲は意識的に書かないようにしているのですが、この曲を書いたのにはいくつかの理由があります。まず「夏という概念」に興味があったこと。これは、創作物の中の「夏」がすごく多義的で、いろんな思いを込めて描かれることが多いのはなぜだろう?とふと考えはじめてからずっと抱いていた感情です。ピコン『死ぬにはいい日だった』とかGuiano『凍るサマー』とか好きなんですが、これらには一言では表現できない大きな負のエネルギーがこもっているように感じます。アンドロメダとして夏に思い入れがあるというよりも、むしろ一歩引いた視点から「創作物の中の夏の正体とはいったいなんなのか」を追求したいと思ったというわけです。もう一つの理由は、チャイムの音および学校を彷彿とさせるモチーフを取り入れたいと思っていたこと。これはr-906『Möbius』のせいです。

そんなこんなでテーマが最初から決まっていたので、音の方向性としてはシンセを使わず、素朴にギター・ドラム・ベース・ピアノで作ることにしました。最終的にバイオリンとヴィオラ、ベルも加わりましたが、思い描いていたとおりの素朴で優しい雰囲気を演出できたのでかなり気に入っています。
さて、前置きが長すぎるのでそろそろ歌詞の解説を。

思い出すことも 忘れ去ることも
知らなかったこと いつか気付いてしまう
熱が下がらない 夜じゃないみたい
先延ばす未来 やり残した宿題

このままどこかへ このままどこへでも

先ほど述べた「夏の正体とはなにか」について、この曲を書いたときのアンドロメダの答えは「失うこと」です。「夏」は「青春」や「若さ」と言い換えることができると思いますが、単に生まれてからの経過時間という意味に限らない「若さ」というのは、「無知でいること」だと思います。もっと詳しく言えば「終わりを知らないこと」です。
子供の頃、夏休みって永遠に続くもののように思えませんでしたか?人生が有限だということを、理屈でなく実感として理解していましたか?「夏」とか「青春」とか「若さ」というものは、その当時は暑くて苦しいものだったはずなのに、振り返ったときに輝いて見えるものです。誰も青春しようと思って青春していないのです。それが有限で貴重だと分かっていないからこそ、無邪気に消費できるのです。そして、「知る」ことはできても「知らなくなる」ことはできないという不可逆性が存在する以上、夏を夏として見るようになった人は、その夏にもう戻れないことが運命づけられているのです。

アンドロメダの曲全般に言えることですが、特にこの曲は個々の歌詞が組み合わさってストーリーを構築しているというよりも、曲を貫く複雑な感情・哲学があり、その輪郭をそれぞれの言葉の輪郭で近似することによって表現しているので、その哲学をなんとなく分かってもらえた時点で曲を8割くらいは理解できたといっても過言ではありません。

(読者)あの、すごく言いづらいんですけど……
(メダ)はい。なんでしょう。
(読者)文章が長すぎて……もうさっきの歌詞見切れちゃってます…
(メダ)アッ………もう一回貼りますね…

思い出すことも 忘れ去ることも
知らなかったこと いつか気付いてしまう
熱が下がらない 夜じゃないみたい
先延ばす未来 やり残した宿題

このままどこかへ このままどこへでも

「思い出す」にしろ「忘れ去る」にしろ、一度忘れないといけません。つまりもうこの時点で、さっきの話からすれば夏は去っているのです。
次の2行はその当時にしか感じ得ない苦しさと、時間の無邪気な消費を表しています。

Aメロは、ベースの一定のリズムが曲に推進力を与えつつ、学校のチャイムを少し改変したフレーズが音色の異なるピアノ2台で左右交互にずっと繰り返される形になっています。みなさんはチャイムのフレーズだと気付きましたか?
そして、Bメロでは長三度上というなかなか不思議な転調をします。ここはちょっと面白いポイントなので音楽理論的な背景を解説します。

こーのーま|ーまー|どーこーか|ーへー
C# | F#m | Fm | C#
Ⅰ | Ⅳm | Ⅲm | Ⅰ
こーのーま|ーまー|どーこーへ|ーで|もー
C# | F#m | F#7 | F | C
Ⅰ | Ⅳm | Ⅳ7 | Ⅲ  (転調前)
    Ⅰ#7 | Ⅰ | Ⅴ(転調後)

(Key=C#→F)

ディグリーネームにすると何をやってるか分かりやすいですね。
一回目ではサブドミナントマイナーからⅢmに流れて優しい雰囲気を演出して、かと思えばいきなりⅠに解決してちょっとだけ違和感を残しておく。
そして二回目では同じことが繰り返されるのかな、とリスナーが勝手に予想したところを、Ⅳ7というコードを入れてちょっと裏切る。でもルート音が同じで、本来メジャーなⅣのコードなのでまだ異常事態だと分からない。その隙にⅣ7を転調後のキーでのⅠ#7(つまりⅤ7の裏コード)だということにして、Ⅰに解決してしまう。さっきと同じルート音の動きだったはずなのに、急にキーが変わってサビに連れて行かれてしまうというわけです。
穏やかでずっと続きそうなAメロから、ここで一気に「めまぐるしさ」の方面に曲を傾けてみました。

ちなみにこの曲、1番サビ入りまでで2分もあります。思い~~~~~じゃないのよ。しかしこのうんざりするくらい長い曲構成も、意図して作ったところがあります。夏の長さとか、待ち遠しさ、茹だるような暑苦しさを表現するのにちょうどいいと思いませんか?欲を言えば「長いようで一瞬で、一瞬なようで長い」曲だという感想を持ってもらえていたら100点なのですが、さすがにまだその高みには到達できていませんね。

目覚ましみたいな不快な音で
それは僕に終わりを告げた
永いようで一瞬に過ぎる夏を
惜しまないことができる能力

「目覚ましみたいな不快な音」というのはチャイムとも捉えられますが、特定のものを指してはいないです。「夢からの目覚め」=「知ること」というイメージではあります。「惜しまないことができる能力」というのはさっき説明したとおり「若さ」のことです。この曲がありきたりで無責任な適当エモソングとして消費されないためにも、絶対にサビには曲を特徴づける印象的な歌詞を入れようと決めていました。それがここです。

手放しにしたいな二人はここで
終わらない孤独を心に飼う
青いようで真空に透ける声を
恐れないことはできない、今日
終わる

「手放しにしたい」はこの次の『減法混色』で登場するちょっと変な日本語「まぜこぜる」と並んで、「あえての文法崩し歌詞」シリーズです。サビ後半はありきたりエモみたいな歌詞ですが、ちゃんと意味はあって、まず「終わらない孤独」というのは愛の有限性について、「真空に透ける声」というのは若さを失いかけている最後の輝きのことを表している…つもりです。

サビの最後「恐れないことはできない、今日」では元のキー(C#メジャー)に戻っています。ここの動きは完全に『サウンド・オブ・ミュージック』の『My Favorite Things』ですね。突然ボカロ曲とはかけ離れたリファレンスが飛び出してきましたが、これは音楽の授業のおかげです。この曲はジャズナンバーとしても有名ですが、今回持ってきたのはオリジナルのミュージカルのイメージです。さっきも述べた通り「めまぐるしさ」を表現しつつうまいこと転調のつじつまを合わせるなら、ドミナントモーション(5度下行進行)の連続でどうにかするのは結構自然な発想だと思います。

きみの輝きは 水や空気のように
無限じゃないこと いつか気づいてしまう
それを知ったとき 大切にしようと
抱きしめたらもう 光はなくなってた

このままいつまで このままいつまでも

1サビとほぼ同じです!!!!!!もうわかるでしょ!!!!

編曲面では、Aメロ後半にベルが追加されています。いいですね。
Bメロの気持ち悪さは1番よりさらに悪化し、「マイナーコードのまま半音ずつ上がって変なところで伸ばす」という逆に清々しいレベルの裏切りを見せています。ここはある意味ではサビの「不快な音」にも対応していて、ああ夏は終わったんだ、と悟ってしまった瞬間の感触の消化不良感みたいなものを表現するためにこうしています。

目覚ましみたいな不快な音で
それは僕に終わりを告げた
振り返ったとたんに消えるきみの
手を離すことができたから

ここまで真面目に読んでくださった方なら「振り返ったとたんに消える」というのが拍子抜けなくらい素直な表現だということがわかるでしょう。
ここで大人になったのです。そして今から突入するラスサビはもはや「大人」として聞くほかないのです。

花火みたいな綺麗な色で
一生夏は終わりを告げた
あの日の空の色風のにおい
今の僕にはもうわからない
幕切れにしたいな懐かしい場所で
曖昧な記憶も愛しくなる
幼さも感傷もはしゃぐ声も
忘れないことはできないから
僕の──

ラスサビです。もう語ることがありません。
ロングトーンの「は~~~~~~~」で誘導なしに転調してラスサビに突入するの、めちゃくちゃ良くないですか?あと「もうわからない」のスネアのずらしは個人的にとても気に入っています。特に伝えたいことなので、強調のために点を打つような感覚でスネアをバシッと打ってみました。

この曲の制作段階での仮題は「夏の曲」だったようです。そのまんますぎますね。サビから伸ばして間奏を作り、その後でAメロやBメロに取り掛かったみたいです。


⑤減法混色

メインフレーズだけは何となく以前から頭にあって、それを天動説の完成後に形にした曲です。
この曲のテーマは自分を大切にしてくれる相手と、自分をまとめて愛することです。

タイトルの「減法混色」はインクなどの「特定の色の光を吸収することで色を表現するもの」の混色法のことで、異なるインクを混ぜれば混ぜるほど光が減って暗くなっていくことを指します。
これは歌詞にもある通り、自分の色と相手の色が交わることで濁ってしまう、つまり相手の迷惑になったり、自分に何かを依存した存在にさせてしまうことへの恐れや悲しみから連想してつけたタイトルです。

この曲に影響を与えた(少なくとも、アンドロメダの意識にのぼった)作品を挙げると、まずナユタン星人さんの『乙女座流星群』『パラレリズム恋心』『銀河電燈』があげられます。1曲目はラスサビの展開、2,3曲目は全体的な曲想などを明らかに受け継いでいます。

この曲も「イントロのメロディずっと流れてるの好き部」の活動で作った曲なので、イントロの音にはめちゃくちゃこだわりました。メロディを奏でているのはフルート+ピアノ+木琴のトリオです。この3つは丸くて優しい音をしていて、繊細な情緒を表現しなくてはならないこの曲にぴったりだと思い採用しました。

誰かの言葉とか思いとかどっかで聞いたこと
綺麗なとこだけを混ぜこぜてぼくにした
それをこぼしてただけなのに生憎きみはさ
わたしをキャンパスにしろとでも言いたげだな

この曲では「ぼく」は自分のことをなんでもない存在だと思っているので、こんなことを言っています。「綺麗なとこだけを混ぜこぜ」たつもりなのに自分のことを綺麗なものだと思えないというのがまさに「減法混色」というわけです。しかしそんな綺麗とは思えない自分の感性のことを好きだと言ってくれて、話を楽しんで聞いてくれる人も世の中にはいるものなのです。
「わたしをキャンパスにしろ」って歌詞……今考えるとこれめちゃくちゃエッ…だな…全然そんなつもりはなかったんですけどね…

いっそぼくの色できみの全てに描こうか
きっと二人以外誰も見ない小さな絵を

タイトルに関連してお絵描きの話をしています。この曲での「描く」という行為は文字通り描くことだけでなく「思い描く」ことも指していて、つまり「きみ」の「ぼく」に対する働きかけは「ぼく」自身も心の奥にしまっているけれど捨てきれない夢や妄想を呼び覚まして言葉にさせようとしているのです。それにはもちろん「ぼく」の個人的な目標も含まれているかもしれませんし、少なくない割合が「きみ」との未来の話でもあるでしょう。

ここのメロディは恐ろしいくらい平坦になっています。その意図は2つあり、一つは「いっそ」から始まる歌詞なので呟くように、ぽろっとこぼした言葉の雰囲気を表現することです。そしてもう一つは曲の起伏のため、つまりこの曲はコードがずっと同じなので、メロディの起伏の激しさに落差を付けて展開をダイナミックにしているというわけです。歌のメロディは歌のないインスト曲に比べて「どうにでもなる」のでありがたいですね。

きみとぼくの歩いた足跡
靴が汚れていく きみを汚してる
純粋なきみの雨で
ぼくはぬかるんだ

「ぼく」はうっすら「きみの時間を奪ってくだらない話ばかりしている」=「きみを汚している」ような気持ちになっており、それを雨降りのなか歩く情景に重ねています。しかし「きみ」は本当に心から「ぼく」といる時間を楽しんでおり、その純粋さはここまでずっとくよくよしていた「ぼく」の薄暗い気持ちを解くほどに明るくて、「ぼく」にとってはどうしようもないものに映るわけです。「ぼくはぬかるんだ」という歌詞はそういう「どうしようもなさ」をうけて泣きそうになったり、心のなかの固体な部分が溶かされたりする感覚を汲んだ表現です。

もちろんサビの後ろでは木琴がひとりでイントロのフレーズを演奏し続けています。
調声面で言うと、「純粋な/きみの/雨で/ぼくは/ぬかるんだ」という風に細かくブレスを入れています。

少し肌寒いのも忘れてきみに
語るぼくの世界のはじまり
何回でも忘れても
また教えたげるから聞いて

この曲には数回「世界」という言葉が登場するのですが、それらは一つの大きな世界(The world)というよりも各個人の見えている狭い世界(One's world)というニュアンスで使われています。だから「ぼくの世界のはじまり」というのは最初の「誰かの言葉とか (中略) 混ぜこぜてぼくにした」という部分とほぼ同じ意味です。「きみ」が「ぼく」の世界を見たいと言ってくれるのなら、そして言ってくれるからこそ「ぼく」もそのままでいられるというわけです。

1サビでは「ぼく」が言いたいことを全部言えていないので「聞いて」でメロディを解決させないまま終わらせるようにしています。サビのメロディは最後に向けてだんだん高くなるような形になっていますが、そこで解決せずふっとメロディが終わるのもくよくよ感が増していいですね。
ドラムに目を向ければ安心と信頼のwowaka-ナユタン・メソッドも健在です。

夜空は黒だから何もかも吸い込んでくれる
ぼくのさ下手な絵も瞬きで星になる
きみが現れてからはもう逃げ場はなくなり
気付けば赤色も青色も現れたな

一生で初めての色がパレットにも増えた
きっと混ぜこぜには光が必要だったな

再び「描く」話をしています。夜空というのは「ぼく」のくだらない妄想をくだらないと一蹴してくれる(=夢を吸い込んで、遠い存在としての「星」に変えてくれる)存在だったのですが、「きみ」は星なんかよりはるかに明るく輝いているので「思い描く」ことも可能になったというわけです。ここだけで「夜空」「星」「光」「色」みたいな言葉が何重にもメタファーとして折り重なっていますが、これはアンドロメダが「ぼく」に自身の最もネガティブで弱い部分を落とし込んでいるからです。というかこの曲、アンドロメダの曲の中でもぶっちぎりで詩的だと思います。『Love In The Dark』や『残滓』よりも。

「きみが現れて」以降で後ろに流れているフレーズをよく聞くと、『天動説』のイントロを彷彿とさせるメロディになっています。そういうことです。

きみとぼくの歩いた足跡
いつもギブとテイク 疑心暗鬼すら
純粋なきみのことで
ぼくは一杯だ
今日が昨日になって薄れたきみは
いつかぼくの世界も忘れる
何回でも薄れても
また教えたげるから聞いて

「いつもギブとテイク 疑心暗鬼すら」というのは恋愛に限らず人間関係の苦しみのことを指しています。1番まではどちらかというと「ぼく」の苦しみの話だったのが、焦点がだんだん「きみ」に移っているわけです。
「ぼく」は「今日が昨日になって薄れ」ていくことで「きみ」が離れていくことを恐れ始めており、しかし積極的にそれを拒む姿勢は取っていません。
余談ですが、1番の「汚れていく」に対して2番で「ギブとテイク」で重ねているのちょっとテクニカルで気に入っています。そこで敢えてメロディを変更してブルーノートを踏んでいるのもちょっとしたこだわりポイントです。

この後の間奏ではギターソロがありますが、アンドロメダは何の楽器も弾けないので完全な「嘘ギター」です。脳内のギタリストに「切なさ全開のギターソロお願い」と言って弾いてもらいました。ちなみにここでもよく聞くと『天動説』のフレーズが出てきます。

ゆるり流れる空を背景に
語るぼくの未来、もしものお話
純粋なきみのせいで
ぼくも僕じみた
「明日も世界がありますように」
掛けるぼくの小さなお呪い
夜はじきに終わるけど
まだきみと居たいから

ここで、「ぼく」の抱えているものが一気にすべて言語化されます。
未来のことを語るのって恥ずかしいですよね。僕は絶対に笑わないで聞いてくれるってわかってる相手にしかそういうの話せません。
「明日も世界がありますように」というのはなかなかドラマチックな歌詞ですが、これは2サビ「今日が昨日になって薄れた きみはいつかぼくの世界も忘れる」というのと対応していて、「こんな日が続けばいいのにな」「離れないでいてほしいな」という気持ちを表しています。

ふたりぶんの世界をあわせて

いつかきみの話も聞かせて
ぼくに

今の今は時間も忘れてきみに
語るぼくの世界のはじまり
何回でも忘れても
また教えたげるから聞いてよ

説明不要……ッ
「いつかきみの話も聞かせて」というセリフが「ぼく」から出るの、めちゃくちゃ「愛」を感じてとてもいいですよね。

ラスサビで敢えて歌詞を減らして伸ばすのは、先ほど挙げたナユタン星人『乙女座流星群』から(もしかすると『メテオ』もそうかも)来ています。初めて聞いたとき「ここで伸ばされると急に口語らしくなって本音をぶちまけてる感あって良すぎる…」となって絶対自分でもやろうと思っていました。
裏ではこれまでのほぼ全部のフレーズが一気に鳴り始めます。ギターもイントロのフレーズを奏でるんですが、この音が良い感じに歪んでるのでせつなさや寂しさも全開になっていていいですよね。

この曲の制作過程、ほぼメロディとコードだけみたいなファイルとほぼ完成形みたいなファイルしかなかったので前者を貼っておきます。この曲は雰囲気を固めつつメロディだけ先に決めて、そこからしっかり打ち込むのと歌詞を書くのを同時にやっていった気がします。


⑥天動説

この曲のテーマは相手の持つ自分にとっての魅力を大切にすること、すなわち一種の愛です。言わずもがな、『減法混色』と対になる曲です。いわゆる「アンサーソング」みたいなのを昔から作ってみたかったので、それを最初から想定して作りました。とはいえ、先に作ったのがこっちなのもあって、単体でも十分成立するような曲にはしています。あと、アルバムの中で一番ナユタン星人っぽくしようと意識して作った曲です。アンサーソングもナユタン成分も自分としては「あからさますぎたかな」と思っていたのですが、音の雰囲気が違ったからか感想を見るとそこまで露骨に感じた人は少なかったみたいです。まあ一番の要因はタイトルがアンサー然としていないことだと思いますが、逆に露骨に対になってるってわかるのはちょっと品がなくないですか?(全国の露骨なアンサーソングに土下座)

天動説が優勢だった時代に地動説を唱えた人々が相手にされなかったように、現在の我々にとって天動説というのはもはや非科学、でたらめの領域です。しかし、昔天動説を信じていた人々はみな愚かだった、と言い切ることはできませんし、もしかすると多くの人にとって理解できないことを話す人がいたとして、その人の頭の中には、あなたにとっては驚くべき世界が広がっているのかもしれません。この曲では、そんな「みんなには分かってもらえなくても、私はあなたを信じたい」と思う気持ちのことを描きたかったので『天動説』というタイトルをつけました。というか、これだけ説明しちゃったらほぼ歌詞の解説終わりですね。

この曲も「イントロ(中略)好き部」なので、イントロのフレーズはできる限りキャッチーに、それでいてテーマに合うようにこだわりました。実際Bメロ以外のあらゆるパートで鳴っているので、アルバムを全部通して聴いても印象に残った方が多いのではないでしょうか。

「ねえどこに行くの」「決めてないよ」
夕日を吸い夜闇を吐く青いアスファルト
「話がしたいから」じゃ足りないか
散歩以上家出未満のお出かけには

導入です。あえて言葉を選ばずに言えば「青春」って感じがして「エモい」ですね(めちゃくちゃ感じ悪い人みたいになっちゃった)。

メロディにはけっこう隙間が多いです。これはせっかくナユタンを意識するならバンドでやれそうな曲にしたいという気持ちがあったからです。

「仮に」で始まる陳腐な例え話が
突然私の手を引いて飛び出した!

「私」にとって「あなた」の話がどれだけ魅力的なものなのか、別世界に誘ってくれるものなのかがわかりますね。ここでもう一度確認しておきますが、『天動説』と『減法混色』は対になっています。かたや「どっかで聞いたことの混ぜこぜ」って言われてたのが「突然私の手を引いて飛び出した!」ですからね。人間っておもしれ~~~~!!!!

編曲としてはここではギターとピアノくらいしか鳴っていないのですが、それはナユタンリスペクト(逆に言えばピアノを曲中ずっと鳴らすのは模倣ではないという意思表明でもあります)です。

やがて 夜は消えて 太陽は昇るのに
手を離せば 離れていく 見えなくなる光線!
あなた 一人だけが 唱えてた天動説
分からないを 私はただ 繰り返した

サビです。「夜は消えて」という表現に引っ掛かりを覚えた方もいるかもしれません。夜から朝になることは一般的に「朝が来る」「夜が明ける」と言うことが多いです。「朝が来る」はまだしも、「夜が明ける」という言い方はどことなく朝を楽しみにしている感がありますよね。しかし「私」の意識としては真逆で、「数時間後現れる太陽が夜を消し去ってしまう」という解釈をしています。さらに「光線」というのは太陽光線として解釈してもよいですが、「あなた」のことだと取ることも可能です。そっちの方がよりナユタン的ですね。

この曲のメロディは、Bメロの最後「飛び出した」で最高音、サビの最後「繰り返した」で最低音が出るという珍しい形になっています。脳内でバンドがこの曲を演奏しているのを想像したとき、サビの最後一番低い音をボーカル含め全員が鳴らすのってそれはそれでめちゃくちゃカッコよくないか!?と思ったのでそうしてみました。

「ねえ明日もしも」の常套句
月の光受けた木々の黒板に描く
地球が真ん中で星が回る
常識とか冗談とかどうでもいいよ

「ねえ明日もしも」はどう考えても「世界が滅んだら」みたいな話だろうと想像できます。それで「大切な人の最後の日に、私も隣にいられたらいいな」なんて考えたりしますよね。ちなみにそれに対して『減法混色』では「明日も世界がありますように」と歌っています(安易に考え方を揃えなかったのもこだわりポイント)。
「常識とか冗談とかどうでもいいよ」というのは「他のだれも見向きもしなくても好きだ」という意味でもありますし、同時に「他でもないあなたの話だから好きなのだ」ということも表現しています。

特にここの編曲で言うことはないですね。黙ってこの後の「嘘ギターソロ」を聞けェッ!!嘘ギターソロの最後には若干ピアノも主張してきます。これは完全に脳内のバンドのキーボード担当が「ちょっとくらい俺もカッコいいとこ見せてもいいだろ!」って乱入してきた結果です。
この曲は(1番)→A→ギターソロ→B→サビ→シンセソロ→落ちサビ→ラスサビ(転調)という欲張りセットみたいな構成をしていますが、その割にはテンポも展開も早いので4:30もあるとは感じませんよね。アンドロメダのファンでバンドやってる方はぜひともカバーしてみてください。

街の明かりで作った星座を覚えてる
あなたのつけた名前ごと忘れずに

二人でちょっと高いところから街を眺めている情景描写は、完全にフジファブリック『銀河』の影響ですね。この曲はナユタン星人が最も影響を受けたと何度も公言するレベルの、いわばアンドロメダからみて音楽的な祖父みたいな曲です。
ここで今更過ぎる愚痴を言わせてほしいんですけど、宇宙テーマの曲ってめちゃくちゃ書きづらくて、というのももちろん書くこと自体はそこまで難しくないんですけど、あまりに既出のテーマすぎるので相当うまいことやらないとオリジナリティを出せないんですよね。望遠鏡なんか登場させた日には絶対にBUMPのなり損ない以外の何物としても認識してもらえませんし、万有引力で惹かれあう二人だなんだとか言ったらそれこそナユタンを超えなくてはならないし、いかなる天体でも祈りを捧げた瞬間負け確定です。これがこの曲のMVをなかなか出せない理由でもあります。

やがて 夜は消えて 太陽は昇るのに
ふいにきっと 重力とか 消える気がするの
あなた 一人だけの 気まぐれな天動説
分からなくて 私はまた 尋ねるから

天動説の「私はまた尋ねるから」に対して減法混色の「また教えたげるから聞いて」が対応しているのは言うまでもないですが、「重力とか消える気がするの」と言っているのは「あたりまえの存在が離れていく」ことへの潜在的な不安を感じますね。「私はまた尋ねるから」というのも「尋ねるから(そのときは隣にいてね)」という気持ちが見え隠れしています。基本的に天動説は光、減法混色は闇属性って感じで対比になっているのですが、ここだけは「わたし」も不安を表現しています。

この後のシンセソロ、いつかここで大暴れするアレンジが見たい。
ファンの皆様、アレンジ・リミックスはいつでもお待ちしております。

いつか 光を捨て この星を諦めて
風が 止むころには 命が止むから
独り言だけれど 私だけ天動説
唱えてみる あなたのこと 捉えてみる

「唱えてみる あなたのこと 捉えてみる」はどうしても使いたかったフレーズです。完全にはわからなくても、「あなたの世界を知りたい」という気持ちのほうが大事なので。

「独り言だけれど」のあたりはよく聞くと『減法混色』のフレーズが流れています。曲順でこの曲が減法混色のあとに来ているのは、初見ではこの2曲の対応に気づかないようにするためです。逆だったら多分「あれ今さっきの曲のメロディ流れてたな」って気づく人が多いんじゃないでしょうか。
あと調声の話をすると、「私だけ天動説」のところはちょっと音程を下にズラしています。このあと本気を出して落差をつけてもらうために暗くしているイメージです。

やがて 夜は消えて 太陽は昇るのに
手を離せば 離れていく 過去未来の交点!
あなた 一人だけが 唱えてた天動説
まだ聞かせて! 朝が来れば 忘れるから
きっと あなただけが 描き出す展開が
この星ごと 紡ぎなおす 辞典になるから
見せて宇宙の色 聞かせて宇宙の声
どんな星よりまばゆく光るあなた!

「交点(公転)」「展開(コペルニクス的転回)」「辞典(自転)」みたいな掛詞を紹介する以外、ラスサビって特に言うことないんですよね。これまでの曲全体のまとめなので。掛詞を序盤から出してもいいんですが、やりすぎてもあからさますぎて白ける感じがするのでラスサビまでセーブしていました。

編曲面で言うと、パッパッパッパー↑って音でラスサビに突入しますが、ここで転調すると同時にこれまでずっと鳴ってたシンセのアルペジオが2倍速になって盛り上がります。もちろんwowaka-ナユタン・メソッドも当然のように使っています。ボーカルのメロディに関して言うと、これまではサビで最低音を更新していましたが、最後は満を持してメロディを変更し、最高音をぶっ叩いてしかもダメ押しにもうちょっと上げるという構成にしています。ライブのトリでこの曲流れたらめちゃくちゃ盛り上がりそう。

これは、冒頭で説明したドラム音源Addictive Drums 2を購入した当日か翌日にテンション全開で作った音源です。「もうこんなん俺実質ナユタンやん」って言いながら打ち込んでたらイントロが出来ました。

そのままのテンションで作ってたら、なんかメロディと展開と歌詞が全部決まってしまいました。お前のおかげだよ、AD2。


⑦Love In The Dark

アンドロメダのVOCALOID処女作です。ちなみに歌ものとしては人生で2番目に作った曲です(1曲目を書いた時にはボカロを持っていなかった)。テーマはまあ…聞けばわかる通り片思いとか僻みです。

この曲は、片思いをしていた当時の心境をできるだけそのまま、心のうちを素直に音楽として表現する、つまりは「片思い中のアンドロメダ観察記録」みたいなイメージで作った曲です。この曲の攻撃力はノンフィクション故のものなのです。
しかし作ったのが3年前なので、作詞作曲時の気持ちや詳細な経緯などの記憶があまりありません。そういう部分はどうにか想像で補っていきます。

君の声が 背中抜ける 心なんて 無いも同じ
意味を思えば ねぇまだ出ない このお化けは 何者なの?

初手からなかなかキツい歌詞ですね。
断っておくと「君の声」はあくまで想像、記憶の中のものです。この曲はイラストにもある通りベッドの上で悶々と片思いをこじらせている曲なので、曲中の全ての描写は「そんな気がする」「そういう記憶がある」にすぎません。
「心なんて無いも同じ」というのは、「あなたを思いすぎて心はもう擦り切れてしまった」ということです。片思いでそこまで行った恋が幸せにつながる気がしませんね。「お化け」は恋の病そのものを指していると思います。

明日になるのが愛おしいけど
明日重ねても何もできないじゃない!
確かにあたし 誇れるようなものはないけど
独り占めだけは得意なの!

君に会える明日が待ち遠しいけれど、明日がきたところで私は何もできずただ君を見つめる以上のことはできない。私は君にとって価値ある存在ではなくて、君のことが好きである存在以上の何物でもない。でもその一点では誰にも負けていないはずだ。
みたいなことだと思います。しんどい

あぁ 君が 横にいるみたい
あああああ

きみに
Love In The Dark

いや、拗らせすぎだってば。
このLove In The Darkというタイトルは、一見するとめちゃくちゃえっちな響きがするけれどいざ聞いてみると暗闇なのは部屋だけでなく心もだった、という逆ギャップ萌えを狙って付けたんですが、リア友からもコメント欄からも一切「えっちな曲かと思った」みたいなコメントが来てないところから察するに、みんな真面目にちゃんと聞いてから感想言うんだなぁ。えらい。

か弱いような 強いような 君の手が 心抉る
あぁひねくれ者か単に頭が悪いのか もうあたしは到底分かる気がしないんだ
あぁ毎日毎晩頭の中に現れて もうヒトの思考を掬って巣食って消えてく

「君の手が 心抉る」は、だいたい好きな人の手をまじまじと観察するとだいたい「思ったより大きい」か「細い」のどっちかの感想を抱くと思うんですけど、それが不意に寝る前に頭に浮かんでくることがあったのだと思います。「人の手なんて、至極どうでもいいはずなのに…!?」ってね。
しかも改めて読むと「ひねくれ者か単に頭が悪いのか」のところめちゃくちゃ最悪の歌詞ですね。恋を理性で処理するなんてそもそも不可能だと思うんですが、それで苦しまなきゃいけないのが人間の定めなんですね。

悲劇のヒロインは要らないけど
悲劇未満にはだれもなりたくはない!
確かにあたし皮肉なほど意地悪いけど
君の前でならキレイなの!

「悲劇未満には」というのは要は「伝えないままにする」という選択肢を自分の中で必死に否定しているわけですね。「君の前でならキレイなの」は自信のない人間が恋愛したとき一度は自分に言い聞かせたことのあるセリフなんじゃないでしょうか。自分で書いた恋煩い記録なだけあって、今読んでもちゃんとしんどくなりますね…

もう 夜が あたし狂わせる
あああああ

きみに
Love In The Bed

In The Dark

あ~~出たよこいつ。夜のせいにし始めた。
でも、片思い中、夜ってめちゃくちゃ苦しくないですか?特に調子の悪い夜になると文字通り自分でない何かが頭蓋骨をこじ開けて侵入してくるみたいな不快な感覚があります。アンドロメダだけなのかなこれ。

この曲はさすがに古すぎて(制作環境がCubaseでなかったので)、制作途中の音源は見つけることができませんでした。残念!

ちなみに、当時好きだった子には振られました。


⑧20センチの積雪

冬の曲です。テーマはもちろん冬、というよりは消えたいという願望です。
20cmという長さは、成人の胸板の厚さをイメージした数値です(実際は平均するともう少し厚いらしい)。つまりは人間が埋もれるのに必要な最低の雪の量ということです。

この曲を書くにあたって、いわゆるミクゲイザー(合成音声によるシューゲイザー)というジャンルに大きく影響を受けました。特にkinoue64さんの楽曲は自分にとってミクゲイザー(およびシューゲイザー)の入り口の役割を果たしており、とても衝撃を受けたのを覚えています。そのためこの曲もそれらの曲とある程度は共通点を備えていますが、完全にシューゲイザーに分類してしまうとそれはそれで首を傾げられるくらいの雰囲気になっています。シューゲイザーほど強烈にギターの音を歪ませたり、空間系のエフェクトをかけていないので、比較的ドライな音で殴る方向性です。

この曲はちょっとした縛りのもと作られています。実はAメロの最後とBメロ後半を除いて大部分のメロディの階名が「シ・ド・レ」のみとなっているのです(階名なので「移動ド」です)。暗い曲だからといって露骨に「ラ」を基調とした動きだらけにするのではなく、「ド」の強い重力圏から脱さないメロディにしてみようという挑戦でした。結果的に単なる短調よりも鬱屈した雰囲気になりました。

この曲の歌詞については、ほとんど心の声をそのまま順に記述しているようなものなので、みなさんが受け取った情報に付け足して面白い話はないような気がします…まあこの曲だけ何も言わないのもそれはそれで気持ち悪いので一応やるんですけれども。

明日はたくさん雪が降るらしい
そしたら僕を雪が埋めてくれると期待してさ
庭を寝床にしてみるよ
だからもう僕を起こさないでね

2行目の語順、「雪が僕を」にしなかったのは1行目で「雪が~~」と伸ばしているため、その繰り返しになるのを避けるためです。

しんしんと埋もれて
混ざる純白
生とか死はもう
関係ない世界だ

でも僕の身体は宿す
この憎らしい体温を

この曲の大事なところは「消えてしまう」ことなんですよね。直接「死にたい」というのとはちょっと違う。iroha『炉心融解』のラスサビにある「僕のいない朝は 今よりずっと素晴らしくて」というのが近いです。でもこっちは炉心融解ほど清々しくありません。それはなぜかと言えば身体が、命がそれを邪魔してくるからですね。

冷たいよ
融けた

体温が勝っちゃった。この「融けた」には、ひとしきりメンタルが落ち切った後の、全然爽快ではないんだけど何か体重が減ったような、妙な虚脱感みたいなものが詰まっています。

生命を忘れて
何もないになる
喜怒哀楽も
関係ない世界を

でも僕の身体が拒む
この積もりゆく願望を

消えたいよ

ここの歌詞、「でも僕の身体が拒む」の前と後に「~を」が来ていて、どっちに繋がっているか分からないですよね。どっちもです。
こういうのに限りませんが、歌詞というステージ上では文章が分岐していたって、一場面に同一人物が二人出てきたって、品詞を確定させないような言葉遣いをしたっていいので、固定観念に囚われ過ぎないように(しかし独りよがりになりすぎないように)表現を開拓できると楽しいですよね。

あと、最初にメロディの大部分が「シドレ」縛りだという話をしましたが、2番に入ってから裏で鳴っている不穏なピアノも「シドレ」縛りになっています。もう少し過激化させると「シドレだけで曲作ってみた」になりそうですね。でも既に普段やらない曲調+吹っ切れすぎている歌詞+キモすぎるメロディの過激要素が揃っているので、1stアルバムの尖り曲枠としては十分すぎるほど攻めたかな…と思っています。

この曲は製作途中の音源が残っていました。曲自体はワンコーラスできていて「今から音をちゃんと作るよ」という感じの段階です。


⑨もう寝る。

無色透名祭Ⅱに投稿した曲です。この曲に関しては記事がすでにあるので、よければこちらもお読みください。あとなんかめちゃくちゃフォロワーさんからの人気が高いです。

まあでも、過去の記事に任せっきりってのも寂しいので、裏話もすこし。

この曲を作ったとき、まず思ったのは「これは絶対に伸びないな」ということです。もちろん数字に囚われた創作なんてしたくないのでそれ自体はどうでもよかったのですが、「いまどきこんな地味な曲をいいものと本気で信じて作る人なんて他に誰もいないんじゃないか」とだんだんおかしく思えてきて、公開される頃には自分のセンスを疑う段階にまで到達していました。

ところが、いざ公開されたらどうでしょう、再生数やいいね数のような単純な数字はもちろんしょぼいですが、それに対して返ってきた感想の熱量が明らかに違っていてびっくりしました。これを真面目に聞いて真面目に心が動かされる変な感性の人が、自分の他にもけっこういるんだなって。失礼な話ですが、私は自分の曲を好きと言ってくれる人も含めたリスナー全般を心のどこかでは信用しきれていない部分があります。この曲についても正直に言えば「どうせほとんどの人間の目にはありきたりなラブソングか、ふわふわした雰囲気だけの曲として映るのだろう」と高を括っていました。しかし、実際にはそんな反応を返していたのはイマジナリー嫌なやつだけだったみたいです。
しかしながら、この曲はある意味では人を信用しきれないからこそ書ける曲でもあります。どうしようもないという諦観や絶望が、誰かに優しくするための必要条件になっているというのは、皮肉なことですね。

ちなみに、白寝ねんねさんボーカルの曲は既にもう1曲できているので、どんなイラストや映像にするか定まったら多分投稿されると思います。


⑩ドッペル・ミュータント

アルバムの表題曲であり、タイトルだけ決まっていながらなかなか作れなかった曲です。動画として公開しているのは初音ミク&アンドロメダ版、アルバムに収録しているのは初音ミク&meda-25版です。

タイトルは冒頭で説明した通り「普通の人じゃない者たち(つまりはみんな)」のことを表しており、この曲はそんなミュータントたちに勇気を与えたたいという願いを込めて作りました。

タイトルを決めてからまずイントロのメロディをいろいろ作りました。どれもあまりに納得がいかないので、最初の方はまともだったプロジェクト名がだんだん「ゴミイントロ」とか「かす」とかになっていきましたが、現在の形のものができたときは「これだ!!!」と大声を出しました。そこからAメロ、Bメロ、サビと順に作っていきました。ボーカルのメロディはとにかく騒がしくて楽しそうな雰囲気を重視しました。

この曲は古き良きボカロポップ/ロックって感じの編成ですが、隠し味としてギターにロックオルガンを重ねています。小節の頭に若干遅れてドゥウィ~って鳴っている音がそれです。あと木琴をメインフレーズの一音ごとに左右交互で鳴らしています。この2つがあるとないとでは雰囲気がかなり違います。

何億年の歴史の先に僕たちがいて
なんか滅亡できそうな空気が出てきてる
何度でも命のこと考え続けて
最終結論「死ねないし生きるのも罪」だし

感情がなんかムジュンしているらしい
分からなくてどうしよう!

この曲の歌詞の構成としては、うっすらと「1番は人間(1つ目のミュータント)、2番は変人&人外(2つ目のミュータント)」を意識して作りました。
ということでここは「人間」がいかにミュータントかというのを表現した歌詞です。欲望を意志で抑制するわ、結構な数が自死とかするわ、発達しすぎた感情のせいで行動制限されるわ、そんな生物はまあ他にいませんよね。
ここの「最終結論」はあくまでアンドロメダの思うものなので、すでにドッペル・ミュータント的すぎるかもしれませんが。

アンドロメダ歌唱版があるのでその裏話をすると、この曲はテンポが速いわりにメロディがかなり上下するので、きれいに歌うのがけっこう難しいです。いや、本当にちゃんと難しかったです。でもさっきも述べた通り1番は人間、2番は変人と人外なので、1番の歌詞はアンドロメダが歌いきらなくてどうする!とミクさんの心配を振り切って歌いました。

生命ぶってる僕らミュータント
本能の履行もできずに
結局は僕らミュータント
「ぼくを見て」が勝ってしまうの
そう僕らミュータント
だと気付いてしまった日から
迷ってる僕らミュータント
この気持ちもきっとプログラム

この曲の歌詞は意図的にかなり分かりやすくしています。というのも、アルバムの表題曲としてメッセージ性を最も強く持たせたかったからというのと、人間×ボカロ歌唱限定の投稿祭に投稿することが最初から決まっていたので、可能な限りポップさを失わないようにしたかったからです。その結果どうなったかというと、回りくどい言い方や比喩を取り入れていないので特段解説することがなくなってしまったというわけです。

血が 意識が 心が 魂が
抜けるその日まできっと分からない
僕はなんなのさ

ナユタン星人『パーフェクト生命』のサビ後半「ねえもっと近づいて」みたいなパートが欲しかったので増やした部分です。もともとは掛け合いにしようかと思っていたのですが、むしろ二人で騒がしく歌ってたほうが明るくていいな、と思ってユニゾンにしています。

何光年の宇宙の先に辿り着くとき
僕らみたいな宇宙人がいたら笑えるな
何度もさ、人間みたいに喋れなくて泣いたけど
なんか結局このままでいいような気もするし

発想がなんかヒヤクしているらしい
分からなくてどうしよう!

たまに自分が周囲と比べてあまりに劣った無能な存在に感じられるときってあるじゃないですか。そういうとき「自分だけが人間じゃないんだ」と言いたくなりませんか?この曲の「ミュータント」という言葉はそういう感覚からも来ているのですが、それとボカロという本当に人間ではない存在を重ねた歌詞です。

2番のメロディ変更っていいですよね。こっちがアンドロメダじゃなくてよかった。ついでにAメロ前半はチップチューンっぽくしています(多分ファミコンと同じ音色数にしているはず)。これはボカロというデータ上の存在の表現と、歌詞にある「宇宙人(との交信)」っぽさの表現を兼ねています。
あと、サビ入りのドラムのブレイクも個人的に気に入っています。

人間ぶってる僕らミュータント
いつのまにできた普通から
はみ出した僕らミュータント
ステータス振りがまだなの
あっ、そう僕らミュータント
だけが歌える歌もあるかな
悟った僕らミュータント
開き直らせてもらうよ

ここで歌われているのはドッペル・ミュータントとしての開き直り、意思表明です。

ちなみに、MVのこの部分でちょっとチラ見えしているドッペルくん(仮名)が横から出てくると見せかけて下から出てくるのは、ナユタン曲に毎回「上からくるぞ!」のコメントが付くことのオマージュだったりします。

名付けてドッペル・ミュータント
動物もどきの人もどき
騙ってドッペル・ミュータント
人間の時代は終わりだ
そうドッペル・ミュータント
だと気付いてないお前もさ
踊ってるドッペル・ミュータント
人かどうかなんて分からない

ラスサビです。最初に第一のミュータントは人間だとしましたが、そもそもこの世に普通でない人間なんているんでしょうか?この曲はドッペル・ミュータントを肯定する曲ですが、同時にすべての人間を愛する曲でもあるのです。つまりは、存在しないしょうもない人間像に囚われて自分を見失うんじゃねえぞ、と言いたいのです。

さらに言えば、人間とボカロ歌唱の曲として制作するにあたって、この曲にこっそり忍ばせたもっと過激な思想があります。
人間とボカロの違いなど、ない」というものです。
ボカロPとしての経歴を持つミュージシャンが増えている昨今では、界隈の内側からも外側からも「なぜボカロでないといけないのか」という問いがなされることがしばしばあります。
しかし私はこう問い返したい。「なぜ人間でなくてはいけないのか」と。
歌声が好き、キャラが好き、それらは人間でもボカロでも同じように成立する理由ですし、それで十分だと思いませんか?どっちも等しく個性があって、どっちも変なんですから、その事実だけを受け入れて粛々と音楽を楽しめばよろしい。「人間の時代は終わりだ」という歌詞に込められているのは両方のテーマに共通する「属性ではなくそれ自身を見ろ」というメッセージです。

血が 意識が 心が 魂が
抜けるその日まできっと分からない
僕がなんでもさ 変でも 意味不でも ダサくても
生きてしまうなら、ならばせめて
僕は僕でいよう

そういうことです。(解説放棄)

あと映像で「抜けるその日まで」がガタガタ震えているのは、吉田夜世『オーバーライド』のオマージュです。いきなり何を言い出すんだ、って感じかもしれませんが、このオマージュは「リスペクト」というよりもむしろ完全に個人的な「宣戦布告」「ライバル宣言」みたいなものです。
ここから始まるのはめちゃくちゃ私的でしょうもない話なのであんまり真剣に読まないで欲しいのですが、私は吉田夜世さんに対して勝手にクソデカ嫉妬感情を抱いています。まあ『オーバーライド』自体そこまで好きじゃないのに持て囃されやがって、という気持ちも当然あるんですが、嫉妬の種はもっと前に遡ります。2年前、r-906さんが代表曲『パノプティコン』のstemデータを自ら公開し「REMIXしたら全部聞きに行く」と、突如としてREMIX企画が始まったのです。このチャンスを逃すまいと、アンドロメダを含むたくさんの人がこれに飛びつき、多くのREMIXは数日以内に投稿されました。そうして投稿された中に、アンドロメダのREMIX吉田夜世さんのREMIXがあったのです。ありがたいことに拙作は2024年5月現在Youtube上で1.1万回も再生されており、チャンネル内ではダントツ1位の人気を誇っています。しかし、この1.1万回の内訳を見れば「最初の1年に2000回、残りが9000回」と序盤は低調でしたし、さらに言えばニコニコでは600回程度しか再生されていませんし、いいね・コメントもほぼありません。言うまでもないですが、吉田夜世さんのREMIXはそれに比べてめちゃくちゃコメントもあって評価されています。許せない、絶対俺のREMIXの方が出来がいいのに、フォロワーだけ肥やして偉そうな顔するんじゃねえぞ、と思いました。彼に固執しなくても他にもたくさん嫉妬する先はいるだろ、という意見は至極真っ当なのですが、他のパノプティコンREMIXで4桁以上再生されている作品はどれも「すごい」と唸らせてくれたものだったので、余計に嫉妬が育ってしまったというわけです。誤解のないように言っておきますが、私は吉田夜世さんのチャンネルを登録していますし、『I know 愛脳』なんかはちゃんと好きで高く評価しています。とりあえず「てめえと同じくらいにはデカくなるから待ってろ」という意味です。吉田夜世さん無許可で名前を出してすみません。
特定のボカロPへの恨み言を吐く段落だけで1000文字も使ってしまった!

さて、申し訳ないのですが『ドッペル・ミュータント』に関しては製作途中の音源がありません!!!
この曲はせっかくの表題曲なので、親しい友人にも誰にも聞かせず完成まで温めることにしていました。基本的に曲を書き出すのは完成時を除けば誰かに共有して聞いてもらうときだけなので、これと『もう寝る。』みたいな秘密裏に作っていた曲は途中の音源が残らないのです。


最強の曲順とは何か

曲を曲単体で聞いてもらうのと、アルバムとして聞いてもらうのでは大きな差があります。アルバムにはアルバムとしてのタイトル、ジャケット、そして「曲順」という概念が存在するからです。
このアルバムの曲順は、半分くらいの曲ができた段階で決まっていました(というより「この順番でこんな曲が聞けたら素敵だな」と思うタイトルを並べていった)。その配置の意図や狙いも少しだけ解説します。

まず最初に『サロニカ』を置くことは最重要事項でした。10曲の中で一番希望に満ち溢れていて、オープニングとしてふさわしいと感じました。それに加えてなんとなく自分の中ではサロニカが代表曲という意識があったので、それも踏まえて自己紹介がてら1曲目に配置しました。
次に『創らせろ』と『からっぽの歌詞.txt』を配置。この2曲はどちらも創作行為が歌詞に織り込まれていて共通項があったので連番にしたいと思っていました。4曲目には『残滓』を置いてリスナーを夏という世界に誘い、雰囲気をガラッと変えることが決まっていたので、そうなると『創らせろ』を先にすればリスナーは2曲目で動画として未公開の曲に辿り着けるし、3曲目と4曲目のジャンルが異なることによって「このアルバムの世界の中に引き込まれた」感覚をより強く味わってもらえると思い、この曲順も確定しました。
4曲目は『残滓』にしました。これは後の2曲に繋げられる曲がこれしかないという理由です。
5,6曲目は『天動説』と『減法混色』。主役級の2曲だという意識だったので、真ん中に配置したいと思っていました。またこの2曲は対になっているので連番にするのは確定事項でした。しかも「肌寒い」「雨」と言っているとおりなんとなく秋~冬くらいのイメージがあるので、直前に夏の終わりの曲である『残滓』を配置すれば季節感のグラデーションを作ることができます。この2曲間の順番は悩みましたが、アンサーソングであることが簡単に勘づかれないようにしたいこと、前半にキャッチ―な曲が偏り過ぎるのを防ぎたいことなどから『天動説』を後ろに持ってきました。
7曲目は『Love In The Dark』。これは恋愛的な要素を含むことができる曲が前の2曲のみだったからです。また、『天動説』で盛り上がったリスナーの心を暗闇に引きずり込みたいという目的もあります。
8曲目に来るのは『20センチの積雪』です。LITDで沈み切ったメンタルを受けきれるのは君しかいない!君に決めた!ということで、ギターの轟音でブン殴ることで強制的にメンタルをネガティブに傾けさせるための人事です。
そして9曲目には『もう寝る。』を配置。ここで一気にMPが全回復します。こういう落差を有効に使った表現というのをどうしてもやりたいと思っていました。この曲がアルバム内でもっとも遅く、10曲目は最も早いというのも良いコントラストとして働いていると思います。
そうして、満を持して最後に登場するのが『ドッペル・ミュータント』というわけです。1曲目と同じくらい明るく、強いメッセージ性を持った表題曲でアルバム全体を総括し、明るい気持ちで聞き終えてもらいたいと思って配置しました。

自分としてはこれ以上の理想的な曲順・構成はないと思っています。聞いてくださった方はどう感じましたか?各曲についてだけでなく、アルバム全体としての感想もX(Twitter)などでツイートしていただけるととてもありがたいです。めちゃくちゃ喜びます。

音源が揃ってからの話

このアルバムについて語るなら、ジャケットの話は外せません。
まず、タイトルやメッセージ・テーマは最初から決まっていたので、自分の中でどんなジャケットがいいか長らく考えていました。そして、ある日天啓を得ます。異形頭を描いてもらえと。
なぜ異形頭にしたかというと、もちろんアンドロメダが個人的に好きだからというのもあるんですが、冒頭で述べた通り『ドッペル・ミュータント』というタイトルに込められたメッセージは「普通じゃなくてもいい」ということなので、「人間ベースなんだけど確実に人間ではない」というのが一番の理由です。これが既存のキャラクターだとメッセージ性が薄れますし、たとえばケモノ系かあるいはロボット然としすぎているとそれはそれでズレてしまいます。
とはいえ、異形頭にもいろいろあります。武器、花、機械、虫、文字や記号など様々です。今回はアルバムのイラストなので、どうせなら音楽に関連した頭にしたいと思いました。そして雰囲気としては「キャラデザ単体でみれば怖いけれど、やさしい雰囲気がする」という塩梅ならテーマと合って完璧だな…というあたりまで考えたところで、それを実現してくれそうな絵師さんを探し始めました。そして今回依頼させていただくことになったNさんのTwitterに辿り着き、このイラストを見た瞬間に確信しました。

これだ
この人に描いてもらうしかない

そしてすぐさま(嘘です、緊張しながら長いこと依頼文を練ったので、すぐではないです)依頼したい旨、および上に書いたような理想の雰囲気、そしてドッペル・ミュータントのテーマ設定に至るまでをDMしました。そこからは送られてくるキャラデザの草案やラフに狂喜しながら一直線で進みました。スピーカー頭をいざ実際に描いてもらうと、ちょうどスピーカーが目のように見えてとても不気味ながらカッコいいし同時に優しい雰囲気もするという120点のものが帰ってきてもう大爆発しました。ちなみにその爆発でできたのが京都盆地です。

正直このジャケットあまりに良すぎますよね。1stアルバムでこんなカッコいいの出しちゃっていいの?本当にNさんには感謝でいっぱいです。

サブスク配信はsprayerさんで行いました。無料(複数プランがあるうちの無料なのを選んだ)で、申請の手続きも分かりやすくて良かったです。いまのところ絶対に収益が出るようなファン数じゃないので、無料が一番ありがたい。しかもどうやらプランの切り替えも簡単らしく、今後アンドロメダの知名度が大きく上昇してある程度の収益が発生するようになったら、収益が自分により入ってくる有料プランに(曲やアルバム単位で)切り替えればいいわけなので、とても便利。ありがとうございます。

あと書くべきことは…あ、ジャケットや、BOOTH販売ページの商品画像、購入したらしれっとついてくる歌詞カード的なやつは実は全部Aviutl(動画編集ソフト)で作りました。色調補正とかエフェクト類の使い勝手が良すぎてちゃんとした編集ソフトを入れられないんですよね(バカすぎる)。もしおすすめの画像編集ソフトを知っている方がいれば、よければ使い方込みで教えてください。

おわりに

ここまで読んでくださって(読んでいなくても)ありがとうございます。この3万文字もある(からっぽの歌詞.txtともう寝る。の記事まで含めればもっと)記事を隅から隅までちゃんと読んでくださった方はいるのでしょうか…?

最後に、今回アルバムを作っての感想を少しだけ書いて終わりにします。
ます、自分の曲を初めてアルバムという形にすることができて、大きな達成感を感じています。曲順やアルバム全体の雰囲気を意識して制作するのは初めてでしたが、数年後もっとステップアップしてから見返したとしても、充分聴く価値があると思えるようなものができたと自負しています。後世では「アンドロメダの初期曲で一番の名曲を決めるスレ」とか立つのかな。また、制作過程で曲を見直したり、この記事を作ったりして自分のこれまでの活動を改めて省みることができました。意外なことに、この歳にして思想が全然変わっていないことにも気づきました。もう老い始めてるかも。

そんなわけで、アンドロメダおよび『ドッペル・ミュータント』を、今後ともよろしくお願いいたします。
では、みなさんさようなら。アンドロメダでした。

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