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幸せになる権利

新しい年が、新しい生活がはじまって、
1日がとても長く、しばらくは頭がパンクすること日々が続きそうです。

そんな生活の中で感じた事を観察しようと思って、
風邪を引いて眠れない中!
たった今はじめたnoteに、
私がホイスコーレに来た理由の一つで、うまく言葉に出来なかった事を書いている記事があったのでシェアします。

デンマークでは、
「誰かの幸せになる権利をお互いに邪魔しないこと」
が自然と行われている気がします。
ホイスコーレでの集団生活や、前のセメスターからいた生徒の話、相手との折り合いをつけながら自分にとって最大限居心地の良い空間を作っているルームメイトを見てそう感じます。

特に、火曜日の夕方の小さなグループでお互いのことについて話す会では、
聴く・尊重する・話す(意見を持つ)が自然に行われていることを実感。
6人のグループでは、各々がめくったカードに書かれたテーマについて2・3分で話すというゲームでは、話した後にそれについて自然と自分の考えを話したり、そうした事がお互いを知る良い機会だと言って、みんな、終了時間も気にせず続けているのが印象的でした。

満員のホールの中に、ぎゅうぎゅうにつまったテーブルは
周りの声が気になるかと思ったら
みんな顔を近づけてじっくり話を聞けるちょうど良い距離感。
テーブルにはギンガムチェックのクロスと赤いろうそく…

日本とデンマークやスウェーデンの教師と生徒の関係の違いを聞きながら、どちらが良い悪いじゃないと思える考え方に心が温かくなりました。

===メモ (一部抜粋、改変)===
自分で自分の幸せを潰す、こと(堀 潤さん)

*日本では、一人一人がそれぞれの幸せを自由に目指すことができる権利が本来保証されています。
でも、時々、誰かが幸せになろうとする権利を、暴力や精神的に追い詰めることで奪い取ってしまう行為を見つけてしまう。
誰かが何か自分の思いを伝えようと、意見をしたらみんなでボコボコに叩いて黙らせてしまうこと、ネットでも時折見かけます。なんで自由に意見を言ったらこんなひどい目にあうんだ、なんで自分の気持ちを述べただけでこんなに否定されなくてはいけないんだ。やがて怖くなって、面倒になって黙ってしまう。

*実は、僕たちは、一人一人が幸せになる権利が与えられている一方で、ある責任を負っています。
それは誰かの幸せになる権利をお互いに邪魔しないこと。

誰か一人が決めた幸せの形に合わせ生きるのではなく、それぞれが自由に自分の幸せの形を追い続けることができる。誰かの自由が侵害されていたら、「大丈夫か?」と声を掛け合い、皆で議論し解決策を見つけ出す。まだまだ課題は山積ですが、民主主義というのはこうした国のことを言うのです。

*民主主義の反対語が何かわかりますか?
辞書を引くと「独裁」などとでて来ます。一人の権力者が人々の生きる方向性を決めてしまう国のあり方です。でも、僕は民主主義の反対語は「沈黙」だと思っています。

例え独裁者がいなかったとしても、人々が沈黙して、何も語らなくなってしまえば誰かの大きな声に従って生きなくてはならないからです。だから、僕は勇気を振り絞って誰かが発信した声を拾えるだけ拾って一緒に考えたいと思って、今の仕事を続けています。どんな声でも、そこから皆で議論し、前進していけばいいんです。黙ってしまったら何も始まりません。

*「若い世代に伝えたいことは何ですか?」
「誇りを持って生きてください」
「むのさんの言う誇りとは、どのような意味ですか?」
「簡単じゃないですか。あなたが、あなたらしく生きることですよ。誰にも制限されることなく、あなたが、あなたらしく生きること」。

*「わかった、と思ったらそれは後退。わからない、から物事は始まる」というメッセージです。すぐにわかったと思わない。なぜ?なぜ?と問い続け、発信を続ける。とても立派だと思います。沈黙してはならないのです。

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せっかくの機会だから系統的にまとめて投稿したかったけれど、そう思って考えているうちに時間だけが過ぎてしまいそうなので、こころの向くままに投稿します!

サステイナブルビルディングのオリエンテーションでさっそく小さな焚き火を体験🎶
丸い枝のハウスに30人入って出てくるのは、サザエさんみたいで愉快だった😂

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