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記憶

最古の記憶というものを覚えているだろうか?
大げさに最古の記憶と言っても、ウホウホと穴ぐらで貝ばかり食べていた頃のことだとか、恐竜が地上の支配者だった時代の話でもない。
一番幼い頃の記憶、原風景ということだ。
 
記憶というものほど至極当てにならないものはない。
忘れ、思い出し、自らにとって都合のいいように改変を重ね全くの別物になっていくものだから。
 
保育園に通っていた時分、誰が呼んだかエッチ隊なる組織が結成されていた。
主に男子5,6名で活動し、保育園の先生の胸を触ったり、女子のスカートをめくったり、エッチな(と言っても保育園児レベルの)言葉を連呼したりと、子供のあどけなさを笠に着て、健全に欲望の限りを尽くしていた。
隊長と畏敬を込めて呼ばれていた男の子は、母親の趣味で、チェッカーズをモデルに茶髪に染め、後ろ髪を伸ばしたオオカミカットの少年だった。
傍若無人の振る舞い、麻のごとく乱れる秩序、さくら組カオスティックマインド。
 
そこに立ち上がった少年が一人。そう、不肖、僕である。
正義感からだった気もするがそれはもう忘れた。
止められないムーブメントになっていたエッチ隊の悪行を、さながら聖域の守護者のごとく、体を張って声を大に先生や女子を護る。
そのたびにチェッカーズの少年とはよくやりあったものだ。
 
時は経ち、少年とは悪友になり、酒の席で、ふと思い出したのでその話をした。
僕にとっては疑いようのない確かな記憶。そのはずだった。
話をすると、怪訝な顔つきで悪友はこう言った。
「何言っとん、エッチ隊の隊長はお前やったやん。」
 
脳天直下型青天の霹靂。
くだらない冗談を言っているようでもない。
その後、半ば喧嘩の勢いで隊長の押し付け合いをしたが、お互い譲らず真相は露と消えた。
現在の性格から考えると、あながち隊長であってもおかしくはないと多少なりとも思えることが、
幼かったころの、小さな誇りを疑うことになっている。(自分の記憶を信じてはいるが)
未だに僕の人生において最大級のミステリーである。
 
3,4歳のころ、田園地域の真ん中にある、コンクリートの長屋が六棟ほど並んだ
町営住宅に住んでいた。これが僕の最古の記憶ってやつだ。
昼間、母親が家事に精を出しているのをつまらなく思い、外に出て歳の似た子と遊んでいたのだろう。
日が傾くほどまで小さな世界を満喫して、家に帰ろうと近道をする。
迷宮のように思えたコンクリート長屋群で、最近発見したゴールまでのショートカット。
壁と壁の間の生活排水路、その両端の10センチを足場に進める寸法だ。
 
遊びが楽しかったので高揚していたことと、帰りが遅くなってしまった焦りから、
まるで忍者のように(幼い僕が忍者を認識していたかは不明だが)
ピョンピョン跳びながら軽やかに玄関に辿り着き、高らかに、ただいま!と宣誓する。
そして母親に今日の冒険譚を事細かに教えてやるのだ。
 
物事は上手く運んでいるときほど足元をすくわれるとはよく言ったものだ。つまり転んだ。
小さな子が転ぶことなど日常茶飯事だが生活排水路というドブにダイブした経験は初めてだ。
汚泥と異臭が顔から服までぐっしょりとなった僕は激しく動揺した。
早く抜け出さなければと顔を袖で拭って、起き上がろうとしたときにやつはいた。
ドブ色に馴染んだモーモーと鳴くあいつ。ウシガエルだ。
 
突如として鼻先にエンカウントした怪物に、前後も忘れ、泣きながら走った。
あと思い出せるのは、我が家に着いた安心感と、母親からの、なにしたんかね!風呂に入り!
という叱咤と指示、その後すべてを帳消しにするように観た機動戦士ガンダムZ。
確か可変したアッシマーが飛行していた。
 
その原風景から今日まで、カエルという生物に対して少なからない恐怖と好奇心を抱いてきた。
オタマジャクシから手足が生え、しっぽが切れて成体になる様子もホラーだと感じたし、
今でも大きなウシガエルを見ると、鼻先に居たあいつの記憶がフラッシュバックする。
 
この最古の記憶は疑うことはないだろう。
なにしろ証人は僕と、もうすでに生まれ変わったであろう、あいつしかいないから。
母親が覚えているかは尋ねたこともないが、確かめようとは思わない。
すべてを理解できるほど世界は狭小ではなく、事の真相は数限りないからだ。
 
ともに小さな世界を分け合って生きていくうちに、恐怖や好奇心は友情に変化していった。
さらには真っ暗で静かな夜に、雨乞いのオーケストラを聴かせてくれる音楽家となり、
畑の果実を虫から守ってくれる、敬意を払うべき大切な仕事仲間となった。
 
お前はさっきのあいつかい? 
問いかけるも返事はなく、梨の木からピョンと跳んで僕の肩に乗った。

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