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元セーラー服の自己紹介

ep.1 
『あんなに泣いて、卒業が悲しいのね。』
大泣きして教室に入るのを嫌がる少女は、先生の説得と腕力によりやっと着席した。
彼女は、単に別れが嫌だったのではない。卒業式のための一張羅のスカート姿を友達に見られるのがとてつもなく嫌だったのだ。うつむいた顔からぼたぼた落ちる涙は、新品のプリーツにゆっくりと滲んだ。


ep.2
解体現場で汗をかく青年は、幾度となく仕事以外の付き合いに誘われていた。
仲間とは良い関係でいるが、仕事終わりの大衆浴場や、夏のビーチに誘っても、青年は絶対に来ない。ある日、なぜ付き合いが悪いのか、と職場の仲間にしつこく問われると青年は、こう答えた。
『僕は、脱げないからです。』


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ご挨拶

僕は元女子で、現在一児のパパです。
トランスジェンダー男性とも表現することができます。
海外での性別適合手術を経て、戸籍上は女性から男性に変わりました。


家には、ユーモア爆発女①と、ユーモア爆発女②がいます。妻と、娘です。
私の父としての威厳は、彼女らの気分によってあったりなかったりします。


僕の自己紹介文を色々と考えましたが、エピソードを伝えることが、よりリアルかと思い、そうすることにしました。


ep.1の少女と、ep.2の青年は、どちらもかつての僕です。他の数え切れないほどあるエピソードは、追って紹介していこうかと考えていますが、とりあえず2つ。


さて、上記のエピソードに、あえて書いていないことがあります。


それは、

“どちらの時代も、楽しい思い出がたっぷりあった”

ということです。文章だけを見ていると、なんだか窮屈な生き方だけを想像してしまうと思います。実際にそのように伝えることもできますが、それはどちらかというと嘘になります。友達もいたし、なんなら爆笑して転げ回ってました。


僕はメディアを通して、LGBTQ当事者の生きづらさのみを伝えたいわけではありません。


ダイバーシティや当事者意識と叫ばれる中で、思うことがあります。


世の中、当事者であることの方が少なくね?と。


飢餓、災害、人種差別、戦争、病気、家庭環境...。
あらゆる当事者からすると、僕は非当事者の場合も多くあります。あなたに私の気持ちは分からないでしょ、と問われたら、きっと頷いてしまいます。


だけど、『非当事者であること』と『無知でい続けること』は別の問題だと思うのです。


知ることで認識し、理解に繋がり、自分の考えが少しずつ構築されます。
自分の考えが出来るから、色んな人と、色んな議論が出来るのです。
色んな議論が出来るから、凝り固まらず、前進するのです。


僕の考えはこうです。


僕自身は、『LGBTQ当事者が自分らしく生きていくために、みんなで手を繋ごう』などと、思っていません。僕自身のアイデンティティを理解して受け入れて、とお願いするつもりもありません。嫌いだと言われても、仕方のないことです。文句も喧嘩も悪口も、言えばいいんです。人ですから。


ただ、
LGBTQということだけで、別の人格を演じて生きるのは、残念だと思うのです。
LGBTQということだけで、仕事に就けないのは、もっと残念です。
最悪なのは、それらが理由で死刑になる国が2022年の今も存在しているということです。


ドローンが空を飛びまくるこの時代に、です。



僕は、こういう残念や最悪を1つでも減らしていきたい。
そのために、ally(アライ)を増やしていく活動をしていこうと、記事を書いています。


さて、今回はこのへんにしておきます。


真面目に思いを語ってしまいましたが、以上を自己紹介とさせていただきますね。
他の記事も、よかったら読んでみてください。
そして、フォロー、スキやコメントをいただけると飛んで喜びます。

ここまで読んで下さってありがとうございました。

こうがでした!


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