湊かなえ著 『カケラ』
近頃、本を読んでいると、数日前に自分でブログに書いたことと、ほぼ同じ文章が記されている時がある。もちろん初見だ。
シンクロニシティとか、引き寄せとか、スピリチュアル系の人達が喜びそうな出来事だが、なんて事はない。今、自分に興味のあること。アンテナがそこに気付くだけの話だ。
その本をわざわざ選んで読んでいるのは、私なのだから。
人が見ている範囲なんていい加減なものだ。普段は気にも止めずスルーしているのである。
見ているつもりが、見えていないなんて事は、山の様にあるんだろうな。自分が情報を選び取っているだけなんだ。
美容クリニック院長の美人外科医が、ある少女の自殺の真相を確かめる。
美容クリニック院長の橘久乃は、テレビの討論会などにも出演する、人気の美人外科医だ。
ある時、脂肪吸引を受けに来た故郷の同級生から、かつてのクラスメート、横網八重子の娘が高校卒業後に自殺した、という話を聞く。
少女は、大量のドーナツに囲まれて死んでいたらしい、という奇妙な噂が流れていた。
八重子は肥満体型で、同級生から体型イジリをされていた。地味で陰気な少女だった。
自殺した娘も同じ肥満体型だったが、スポーツ万能でクラスの人気者だった。明るい性格のはずの彼女はなぜ死んだのか。
この作品から二つのテーマが読み取れる。
思い込みと単一的な承認欲求。
フィルターを通して歪められる真実。
久乃の同級生、元ボーイフレンドとその息子、
少女の同級生、中学校の担任、高校の担任、そして母、八重子。
物語は、様々な人間のフィルターを通して語られる。そして語り部によって、景色が180度変わる。
フィルターが変われば、親子の愛情でさえいくらでも意地悪な見方ができる。
どれも真実に聞こえるが、真実とはなんぞや。
ここにも正義や固定観念が現れる。
自分のフィルターを疑う。自分の正義や当たり前を疑う。
自分を幸せだと思っている人に対して、
それは違う、あなたは幸せじゃないと、自分のフィルターを押しつけ、
違う側面を見せることによって、大きなお世話どころか、他人の人生を不幸に変えてしまうこともある。
美意識という恐怖心。
美しいことに何故人は惹かれるのか、醜いとは何か。
何に人は恐怖し、恐れおののくのか。恐怖から差別は生まれる。
ホモサピエンスが生き延びていくために、集団の中に生きるということは、欠かせないものだった。
心理学者アブラハム・マスローが提唱した欲求の5段階説。
⒈生理的欲求
⒉安全欲求
⒊愛と所属の欲求
⒋承認欲求
⒌自己実現欲求
集団から逸脱したり、目立って攻撃されたりするのが怖くて、声の大きな人や多数決で意見の多い方に迎合するくせに、胸の内では、自分らしさや自分だけに向けられた賞賛や評価を求めているんだよね。
アピールはしない。人と比べないで欲しい。だけど、個性に気付いてほしい。どうするばいいんだ、って話。結局、学校だけじゃなく、世の中全般的に、アピールしなくてもわかることで人を判断するようになるわけよ。
そう、見た目。美人かブスか。ハンサムかブサイクか。背が高いかチビか。痩せているか太ってるか。
自分自身に置き換えて考えてみる。
さほどお洒落に興味はないけど、とりあえず身ぎれいにしておこうか。という時のとりあえずは何を基準に言っているのか。
とりあえずの基準があるということは、基準より上、基準より下が存在するのだ。
考えれば考える程、自意識という重苦しい鎧が煩わしくなってくる。
全部かなぐり捨てて、いっそ他者貢献だけに生きていけたら、今より楽な人生を送れるのだろうか。
マスローの欲求の5段階説の上には、自己超越欲求がある。
成功者がたどり着く境地。何かの使命に生かされている、無我の境地というものだそうだ。
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