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白洲正子著「ほんもの」

私が白洲正子という人を知ったのは
いつ頃だっただろう。

おそらく10年以上前のことだと思うが
元々、明治、大正、昭和初期に活躍した
女性に興味があり、いろいろと乱読して
いるうちにたまたま知ったのだろう。

「白洲正子」という名の文字の美しさ
青山次郎につけられたあだ名「韋駄天お正」
という、疾風のごとく駆け抜ける神々しい
イメージに強く惹かれた。

薩摩隼人の血を受け継ぐ
はっきりとした顔立ちと強いまなざし。

圧倒的、ぐうの音も出ない

私とはあまりにもかけ離れた存在ではあるが、

ほんものを探求し続けた彼女から発せられる
言葉に触れると、いつも心の安定感を得られる。

白洲正子(1910〜1998)
薩摩藩士の伯爵樺山家に生まれる。
随筆家。4歳で能を習い始め、
14歳で女性として初めて能舞台に上がる。

同じく14歳の頃、
アメリカのハートリッジスクールに入学。
18歳で白洲次郎と結婚。

青山次郎、小林秀雄に師事し、
骨董収集家としても著名。
著書「能面」「かくれ里」「西行」など。

本書は、何気ない日常のエッセイから始まる。
おしゃれについて、好きな俳優の成田三樹夫の死
笠智衆について。

北野武(当時はビートたけし)が
能について「昔のロックンロールだぜ」
といったことに
白洲は、
「私が子供の時からお能にとりつかれた
のもまったくおなじものなのだ。」
と共感する。

私にもなじみのある名前がでてくるので
すいすいと読み進めていた。


「むうちゃんが死んだ。」

まるで、カミュの異邦人の冒頭1行目
「きょう、ママンが死んだ」のよう。

「銀座に生き銀座に死す」の章は
軽いエッセイを読んでいたはずの目前に
唐突に現れる。

執筆時期も1958年と大幅に遡る。

むうちゃんとは銀座の文豪バーのホステスで
本名を坂本睦子という。

ある日、一人のホステスがアパートで
睡眠薬を飲み自殺した。

享年43歳。

世の中に幸福というものがあるとすれば、
それは他人に喜びを与える以上の幸福はない。そして、そのために、人はどれだけのことを忍ばねばならぬことだろうか。
はた目には、単に「華やかな前半生と、孤独な後半生を」送ったように見えるむうちゃんも、実は神様から選ばれた極く少数の真に
「幸福な」人間の一人であった。

白洲は、出会った時の彼女の印象をこう語る。

どこの誰やら見当もつかない。ひっつめの髪に地味な着物、白粉っけひとつない女性は、奥さんだかバアのマダムだか、そのどちらでもないように見えた。

しかし、底無し沼に引きずり込まれるような魔性の女を

美しい物で人の心を掻き乱さぬものはない(略)むろん生まれつきの美貌と素直な性格にもよるが、(略)極端にいえば、彼女は単なる素材にすぎない。が、ただの自然素材ではない
人間の手によって、美しく磨き上げられた
彼女は、名実ともに、純粋な、日本の女であった。

と表現する。

まるで、白洲が愛した骨董の品々のようだ。

肉体に刻まれた男の名前の系列は
彼女の成長の跡を物語るかのようだ。
曰く、直樹三十五、菊池寛、小林秀雄、
坂口安吾、河本徹太郎、大岡昇平etc、etc。
さながら昭和の文学史の観を呈する。

睦子はのちに、
大岡昇平の著書「花影」のモデルになるが
白洲は、睦子がちゃんと描けていない
肝心の魔性が出ていないとし
この作品を痛烈に批判している。

かつての愛人の作品が
単なる風俗小説と揶揄されたのとは対称的に

白洲の眼力は、睦子を同性の視点で
彼女に対する哀惜と哀悼の念を持ちつつも
日本の女の一つの姿を深くえぐり出している。

骨董が、様々な人間の手を経ていくうちに
深い味わいが出て、
唯一無二の逸品の器になる様に
睦子にもある種のほんものを見たのだろう。


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