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鈴木真砂女著 『銀座に生きる』

今生のいまが倖せ衣被

「無味乾燥に一生を終わるよりも、恋の一つもしたほうがいいんじゃない。」

NHKで放映された「あの人に会いたい」という番組に、鈴木真砂女が出演した時の映像を観た。

なんとまぁ、お可愛らしい方なんだろう。

詳細な放送時期などは分からないが、出演当時はおそらく、既に90歳を超えていただろう。

樹木希林の『一切なりゆき』の中に

女が徳のある、いいシワのある顔相になるためには、本当にとことん自分のエネルギーを使い果たさないと
生きるのに精一杯という人が、だいたい見事な人生を送りますね
つつましくて色っぽいというのが女の最高の色気

という、名言が記されていた。

まさしく彼女のような人のことを言うのだろう、と思った。

身長146cm、体重41キロ。華奢で小柄な体。和服姿の美人である。

数々の試練を乗り越えながらも、苦労の影を背後に感じさせない、擦れていない。その佇まいは一輪の百合のように美しい。

無邪気な可愛らしさと、知性と、人を優しく包み込むような器の大きさ。

仕事帰りに立ち寄る小料理屋に、こんな女将がいて話を聞いてくれたら、嬉しいに決まっている。

自らも、妻でも母でもなく、水商売を天職だと言っている。

鈴木真砂女(1906~2003年)千葉県鴨川市にある、創業300年の老舗旅館・吉田屋旅館に、三姉妹の三女として生まれる。

俳人。銀座の小料理店「卯波」の女将。
女優の本山可久子の母。

あるときは船より高き卯波かな

人生は波の頂上に佇つときもあれば奈落に落ちるときもある。そしてまた浮かびあがる。

真砂女は日本女子商業学校(現嘉悦大学)を卒業後、22歳で日本橋の靴問屋の次男と恋愛結婚し、一女をもうける。

賭博癖のあった夫は結婚7年目に蒸発。
真砂女は娘を婚家に残し、実家の吉田屋旅館に戻る。

その後間も無く、旅館の女将をしていた長姉が亡くなる。父母の強い説得により、姉の夫と再婚し、28歳で女将の座を引き継ぐ。

稼業を守る為、愛のない結婚生活。

2年後、吉田屋旅館を定宿にしていた
年下で妻帯者の海軍士官と道ならぬ恋に落ち、駆け落ちをする。
その後実家に帰るが、冷え切った夫婦関係が続く。

稼業を継いだ頃、俳句を始め、大場白水郎の「春蘭」、久保田万太郎の「春燈」に入門。

第2次世界大戦、不審火による旅館の全焼、再建などの苦難を乗り越えつつ、俳人としても活動する。

50歳の時に離婚。生家を追われ、無一文から銀座一丁目に小料理屋「卯波」を開店。女将となる。


椅子9席のカウンターと、八畳間を二つに仕切った小部屋の八坪半の店は、連日俳人達で賑わった。

鈴木真砂女は96歳でこの世を去るまで、恋の句を多く詠んでいる。


かくれ喪にあやめは花を落としけり

かつて道ならぬ恋に落ちた相手とは、その後40年の付き合いであった。
妻子ある人の葬儀の際、寺の門の表の暗がりに佇んでひそかに一人で通夜をした。


秋風や裸足の爪の貝と化し

海辺で育った真砂女が、裸足で砂浜を歩く時、その爪先にはさくら貝のようなピンクのマニュキュアが塗ってある。


この浜も魚が少なくなって名物の地引網も消え、子供のころ拾った美しいさまざまな貝も波が打ち上げてくれなくなった。
現実は夢のように薄れてゆくものばかりである。しかし漁火はまだまだ盛んに青く赤く沖に燃えている。さくら貝は浜から姿を消したが、
せめて足の爪の色をさくら貝と見立てよう。

歳を経ても薄れることのない、瑞々しい女学生のような感性が

あまりに美しくて、何故だろう目頭が緩んでしまった。








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