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たましいと名前
自分の名前を名乗るとき、相手の名前を教えてもらうとき。どちらの瞬間にも、わたしのなかでは、ちょっとしたドキドキとワクワクが生まれる。
名前って、誰もがひとつずつ持っている大切なもの。
古代では、名前は魂に相当するものと考えられていた。だから、やたらめったら名乗ることはなく、特に女性は、親以外であれば結婚相手にしか本名を明かさなかった。
名前を教えること、それはつまり、相手に魂を委ねるということを意味していた。
現代にそんな話を持ち込めば笑いものにされるだろうけど、人から名前を教えてもらったとき、あるいは名刺を受け取ったとき、わたしはこっそりその人の名に思いを巡らせてみる。
名前にこめられた思い、姓の由来、文字の雰囲気、声にしたときの響き・・・そして勝手にドキドキしたりワクワクしたり、忙しい笑
名は体を表すというけど、これってあながち間違いじゃないかもと思うこともあって、おもしろい。
実はわたしは大人になるまで自分の名前が好きではなく、もっとハイカラな名前だったらなあとか、こんな珍しい姓じゃなくてよくある姓ならよかったのにと思っていた。
でも今は、字面も響きも肌になじむこの名前が好きだし、珍しい姓は逆に覚えてもらいやすいから、満足している。(年をとったということかな…!)
わたしの名前「いつこ」は「伊都子」と書きます。先日女子高生に「明治っぽい名前!」と言われました笑
そしてこれは最近気づいたことなのだけど、ていねいに名前を呼ばれると、わたし今ここに生きてるんだなあと、ふとうれしくなる。
これって、魂が喜んでるってことなんじゃないかな。
人でもモノでも、名前を知ることではじめてその存在が明確になる。だから、人から名前を呼ばれるとき、その人のなかには紛れもなくわたしの存在があって、相手の魂とわたしの魂が、少なからず呼応しているはずなのだ。
魂なんて言うと大げさだけど、きっと誰だって、自分の名前をやさしく扱ってもらえたらうれしいと思うんだ。名前は魂と同じ、たったひとつの大事なものだから。
、、、と、こんなふうに語ってみたけれど、わたしは名前の研究者でもなければ、魂とはなんぞや?を解明する学者でもないので、これはわたしがいつも感じている、いわゆるどうでもいい話。
(名前といえば、映画『君の名は』。この話もそのうち万葉集とからめて書きたい)
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