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再確認した毒親ぶり

自分の親が毒親(母)だと認識したのは大学院の進学をきっかけに一人暮らしを始めた頃になる。
きっかけについては別の記事で経緯を記載していこうと思う。

本件があまりにも衝撃的すぎるので、
まずはジャブとして毒親あるあるについて紹介する。

カースト最上位にいると思っている

独自のカーストが存在しており、そこの頂点にいると認識している。
ex.家庭内、友人、職場

家族内のカーストで例を挙げると、
毒親(母)>兄>父・私>妹
可哀想なことに毒親にとって妹は『ペット』的存在なので、妹が24歳にもなって未だに支配しようとしている。そんな妹は毒親を徹底的な無視を貫いている。
私の立場は『手懐けられなかったペットだが唯一の自慢』。私は常に正論を言うので、言い逃れできない彼女はいつも「私のこと誰だと思っているの?私はあなたの親よ?」と捨て台詞を吐き、『自分の立場が上なので自分が絶対』のような感じで逃げる。理解できない感覚だ。
自慢というのは私のタグが「院卒」で「大企業に勤め」なため、職場や友人に「私が育てたのだ」「偉いのは私だ」と主張するためのツールに使われている。

私は生きてきた中で、一度も毒親から人として認識されたことがない。

常に人を見下す

人を見下すのは身内だけでなく、身内以外にもしている。それも無自覚に。
「あの人は可哀想だから」「あの人は頭がおかしいから」「あの人はデブだから」 だから~なんだと勝手にシナリオ作りをする。
その作ったシナリオがやがて真実だと思い込み、周りに言いふらす。

自分に都合が悪いことがあると逃げる

兄が婚約していない状態で当時付き合っていた彼女(現:妻)を妊娠させたとき、兄が無責任な対応だったため彼女のご両親が状況説明を聞きに我家へ向かっていた。
私は到着10分前にその事態を知った。お相手のご家族の気持ちは痛いほどわかる。本来なら私たちがお相手のご家族へ行って謝るのが筋だと思っている。
私は覚悟していたが、あろうことか毒親は逃げたのである。
毒親が放った言葉を今でも覚えている。

「私は何も悪くない。悪いのは相手でしょ」
「私は関係ないでしょ?なんでその場に居合わせなきゃいけないの?」
「彼女が悪いのに」
「私は話したくない。話さない。家に上がり込むなんてなんて非常識なの。信じられない」

いや、信じられないのはお前だよと心の中で突っ込んだ。
私は「そうはいっても同席するだろう」と思っていたのだが、逃げたのだ。

結果、父と彼女のご家族で話し合いになった。

逃げたエピソードは数々あるが、もう1つ紹介したい。

私が中学生時代に豚インフルエンザに罹った。
今で例えるなら日本で新型コロナウィルスが流行りたて(2020年4月ごろ)の時である。
テレビでは危険性を煽っていた。
豚インフルエンザに罹った私は毒親が看病してくれると思っていたが、
彼女は逃げたのである。
私一人で過ごすのは難しく、代わりに妹が看病してくれた。
妹の存在は大きい。もし妹がいなければ私は死んでいたかもしれない。

呼吸するように嘘をつく

幼少期から「今週の日曜日にディズニーに行くからね」、「○○に食べに行くよ」と嘘をつかれ「この前行くって言ったよね?」と言うと「私は疲れてるの。どうしてわからないの?そんなこと言えるの?」と反論されて終わる。
小さい頃から約束を破られ続けると親以外に友達に対しても信じられなくなり、常に疑うようになる。
私は克服しましたが、妹はそれが原因で友人との約束を苦手としている。
最近妹から言われて腑に落ちたのが、

「あの人は嘘を言った自覚がないんだよ」

上記以外にも毒親あるあるはあるが、また次の機会に紹介しようと思う。

再確認した毒親っぷり

ジャブは終わったのでここから本題に入る。
前置きとして、
私は一人暮らしをしており、毒親の連絡先は全てブロックしている。
また、毒親に合うのは数カ月に1度。
日常生活に毒親がいないため、毒親の存在を忘れていた。

直近で毒親に会う機会があった。
それは妹から父が危篤状態であることの知らせがきっかけだった。
この時は毒親からも連絡があるかもしれないと考えブロックを解除していつでも連絡を取れるようにしていた。

念のため毒親に連絡をし状況を伝えた。
そこで驚いたのは、

「○○駅からバスが通っているからそれで行きなさい」

危篤状態なのにも関わらず、バス?
当時は不安な気持ちが勝っていたため、言葉を受け流した。

救急外来の待合室で妹と毒親に会った。
毒親は普段と変わらず

「あんた早かったわね。バスできたの?」
「タクシーだよ」
「どこの駅から?」

それ以降は無視した。なぜ今その話をするのか理解できなかった。
妹から待合室への経緯を聞いて毒親の行動に引いた。

妹は実家に住んでおり、普段から地元の用事でも必ず化粧をする。
そんな妹が化粧せずにすっぴんで病院へ向かおうとした時に、毒親は化粧をし始めたのだ。
さらに、バスで向かおうとしており、妹がタクシーで行こうよと言ったら
「誰がお金だすのよ?」
という始末。(もちろんタクシー代は妹が払った)

待合室ではfacebookをいじり心から心配している様子はない。

2-3時間後に医師がきて、状況説明を聞いた。
私と妹は相槌を打ちながら聞いていたのだが、医師が私と妹の方をみて会話をするので医師が去った直後に(医師に聞こえるような声で)

「私を誰だと思っているの?私は妻なのよ!」

毒親の行動や言葉を一切無視し、それよりも父が一命を取り留めたことに安堵した。

毒親を無視し続けた結果、
「あなたたちは何よ!私が倒れたとき休んできてくれなかったじゃない!」

私と妹が休んで病院へ行ったことが、ないことにされていた。
それよりもなぜ今自分を比較しているのか。
毒親は腹痛で救急車に運ばれて命に別状はなかったが、父の場合は急性心筋梗塞だったため命を落としてもおかしくはなかった。
だから待合室にいるのにと思っていたが、それも無視した。

術後に医師からコロナのため父が病室に運ばれていく時のみ会うことが出来ないと言われ、医師と共に移動する時に、これ以上毒親を興奮させるのはめんどくさかったので、医師の状況説明は毒親に任せるようにし、医師と毒親の距離をとった。

医師からの説明が終わったタイミングで父が運ばれているのを見た。父の術後姿は心が痛くて声が出なかった。力を振り絞って「お大事に」と言った。伝えたい言葉は沢山あったが、口にしてしまうと絶対に泣いてしまうから言えなかった。
私が泣いてしまったら、妹も泣いてしまう。
私と妹は綱渡り状態だった。妹も私と同じような気持ちを思っていたと感じた。

父に声を掛け終わった後に毒親をみたら、父の術後姿を動画で撮っていた。
私と医師はその行動にかなり引いていた。私は考えることを後にした。

父がエレベータに入った後、毒親にどこへ向かったらいいのかを聞いた。
「そんなの忘れちゃった」
「っは?なんで忘れるわけ?医師と話してたでしょ?」
「パパの顔をみたら忘れちゃったの。なんで私を責めるの?」
と逆キレ。

医師から術後の説明と、4階という言葉がかすかに聞こえたのでそれを頼りに行ってみたら4階で合っていた。
再度医師から説明を受け、入院に必要になるものを妹と共に揃えた。

毒親は私は仕事があるからと、医師の説明を聞かずに帰っていった。

私は再度、彼女が毒親だと認識した。


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