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別れと決別によって愛が成就する。

これまでも何度かあちこちに書いていますけれど、私は1年で1回、50回約1年という長い時間と歴史という豪奢な舞台にのみ降りてくる、なにがしかの「神」を、1年に1回だけ見届けられればそれでいいと思って大河ドラマを見ています。

こういってはなんですが、私の評価ハードルは大変低いです。はい。

そんなハードルの低さにもかかわらず、一昨年・昨年と大変素晴らしいドラマを見せていただいき、心からありがとうnhk。

で、それに比べて今年はもうダメかもわからんね、などと思っていた時期もあったんですけど、まさか西郷どんが、40回を過ぎてこんなに心奪う大河に化けてしまうとは。

いやだってね、大久保は自分達がして来たことを無駄にしないためには、今は悪鬼になっても西郷隆盛を切り捨てなければならないという決断をしたということですよね。

これはすごい描写ですよ。

大久保が、西郷の背中を追って走り出し、西郷を救うために出世し、ようやく肩を並べて共に支えあうようになり…というその経緯をつぶさに見て来たからこそ、西郷を断ち切ることが、一蔵が西郷の優しさにすがってしまう大久保自身の弱さへの決別であり、政治的な勝利でもあり、大久保に絶対に必要なことだと視聴者としてわかるんですよ。

ぶっちゃけ西郷を捨てることが大久保の西郷への愛の成就なんですよ。

西郷は、侍の世を壊すことはできたけれども、民が本当に安心して暮らす国にするにはどうしたらいいかまでは思いを届かせることができなかった。

それは西郷の資質の限界であったし、先に走り出したものの宿命でもあった。

今、斉彬から受け継いだバトンを持って走っているのは、大久保です。

西郷を理解し、愛し、彼の思想に本当に共感するからこそ、一蔵は西郷を捨てなければならない。

西郷はそれを理解しており、だからこそ自分を裏切った大久保利通を許し、変わらず愛するという決意をする。

そしてそれを以って、ほとんどエムパシーだろっていうレベルの共感力を持つ吉之助という人間もまた完成するわけです。

多分ここで大久保を許せず、傷ついたまま帰郷したならば、西郷どんというドラマはリアルだったかもしれないけれど、ものすごくスケールが小さくなったと思うんですよ。

父親の代から幼なじみ同士だった、そういう兄弟というか、同胞というか、深いところで通じ合った人間に裏切られる。しかしそれを心から許す。

そこで初めて、西郷が、ずーっと子供の頃から、共感力でもって人の心を動かし続けて来たことにツケを払うんです。いやまあ払いきれなくて西南戦争まで行くわけですけども。

別れと決別によって愛が成就すると同時に、なんかね、ポエム的に語ると、運命というものが彼らを祝福しながらも相応しい末路を用意するのです。

そういう、すごく大きな、物語的な描き方をついに成立させたんです。

この西郷と大久保のドラマを真正面から描き切ったっていうのが今年の大河のすごいところで、そりゃ瑛太が明治編のトメクレにもなるってなもんだわ。いや、最初は驚きましたけど、この内容ならトメは大久保利通以外はありえませんね。

この西郷と大久保を描き出すために、歴史パートは大幅に端折られてたわけですけど、いや、あの、全然ありなんじゃないでしょうか。史実を追うドラマだったら、この二人の関係性は成立しなかった。ごくごく昔ながらの古い大河ドラマになっていたでしょう。

というわけで、土下座します。

中園先生、スタッフの皆様方、色々と文句たれてすみませんでした!

面白いです、西郷どん。個人的には神大河です。

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