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今だから語れる西郷どん②1-5回をまとめてレビュー「つまり吉之助は運命の人と出会う」

ざっくり第一回から、お金、軍事力、感情をキーにして西郷どんを見直してみます。

全部をガッツリ見直す時間はないけので、勢い重視で。
公式HP、それからまとどん、あとは自分がこれまで書き散らかした文章などを見返してストーリーを思い出し、気になるところだけピンで見直します。

今回は、

第一回 薩摩のやっせんぼ
第二回 立派なお侍
第三回 子供は国の宝
第四回 新しき藩主
第五回 相撲じゃ!相撲じゃ! 

まで。軽くレビューしつつ、行ってみましょう!さて、新しい景色が見えるかな?

運命の人

この序盤五回は、要するに、西郷にとって運命の人である島津斉彬との衝撃の出会いと衝撃の再会の話になります。

主人公の吉之助は斉彬に二度出会います。第一回で出会い、第5回でもう一度出会う。

最初は名もなき「やっせんぼ」の少年として。二度目は藩士・西郷吉之助として。

見直してみると、最初に出会った時の、

「自分より弱いものを見捨てる奴はクズ」
「か弱きものの声に耳を傾けるものが真の侍」

という斉彬の言葉が、吉之助を強力に規定していったことがわかります。

第二回で、ふきちゃんのために自分が借金を返すと言い出す吉之助というのが、放送当時はどうにも解釈できなかったんですけど、そうか、吉之助は「自分より弱いものを見捨て」たくなかったんですね。

吉之助は斉彬の言葉通りに成長した。

もちろん、ふきちゃん、それから子供時代の半次郎を救おうとするエピソードは、緊縮財政によって共同体が破壊されるにまで至った薩摩藩の厳しい状況をも描いていますが、それにしても相撲大会で再会した時の吉之助が、実は斉彬の言葉通りの人間に成長していたのだ、と理解するのは、明治編の始まった今見ると大変切なく、やるせない思いがします。

子供は、出会った大人によって一生が決まる。

優れた大人に出会ってしまったとき、良きにつけ、悪しきにつけ、子供は飲み込まれてしまう。

特に小吉(吉之助)は、元々の共感力の高い子供でした。
それに加えて、怪我によって利き腕の右腕が上がらなくなると言う、侍の子としてのアイデンティティが崩壊したところを救われる。

それはもう言葉に出来ないくらいの強烈な体験であり、強烈だったからこそ、血肉になるまでに斉彬の言葉を吸収してしまった。

とすると、ふきちゃんと半次郎もまた、出会った大人に何かを強く規定されてしまった子供たちということができるでしょう。

半次郎の末路は言うまでもないので、残るふきちゃんがどんな形で再登場するのか。

救いがあってほしいと思います、せめてふきちゃんには。

郷中、幼馴染

経済の面からは、薩摩の財政問題と緊縮財政に苦しむ人々が、軍事力という面では郷中という薩摩藩独特の武士の組織が描かれますが、この郷中の描写はよかったですね。

つまり、いざ戦さってときには、町内ごとに軍列を組むってことでしょう。同じ町内で育った幼馴染ということは、同じ釜の飯を食って育ったどころか、文字通り生死を共にすることになる。

そう意識して育っていくのですから、我々からは想像もできないほど強い絆が彼らにはあるんですね。

個人的には、藩がどのようにして藩士を管理しているかが見えたのが面白かった。

ああ言う町内(郷中)をいくつか、赤山靭負のような重臣クラスが担当する。
時には師として二才たちに学問や世間のあれこれを教え、揉め事を起こせば顔役として面倒を見てやり、要望があったら聞いてやり、見込みのあるものは出世させ、戦になったら兵卒として率いていくわけですね。

そういう仕組みをちゃんと抑えるのが西郷どんのいい所です。寺田屋騒動とか、禁門の変なんかを思い出すと呑気なことは言ってられないですけど、私はこう言う説明が入るのが好きでねえ(しみじみ)。

妙円寺詣り、妙円寺詣りの御礼参り(笑)という習俗も、「this is 薩摩」で大変美味しゅうございました。

確か町田先生によれば、この郷中間の切磋琢磨()によって西郷は交渉力を身につけたとのことなので、もうちょっとここら編は見たかった気がしますね。

緊縮財政

お金の面はどうでしょうか。

こちらの面では、先代の家の借金を返すために人々を苦しませる島津斉興が描かれます。

借金を返すことに何も間違いなどありません。人間として当たり前のこと。しかしその正しさによって多くの人々が苦しみます。

ふきちゃんら貧農はもちろんのこと、次第に下級武士たちも追い詰められていく。賄賂の横行やら不正やら横領やら。罪を犯せば共同体から弾き出されて生きていくすべもない。

そういう絶望的な状況の中、人々は英邁の評判高い世子・斉彬に期待を寄せていくのですが、その斉彬も金の話で失脚と言いますが、対外防衛をちゃんと考えなきゃダメだと進言したことで、父親と決定的な仲違いをするに至る。

国防→金がかかることだから!!(おおおおい!)

なにしろ薩摩のかかえる借金は、250年間無利子で返済しなければならないという莫大なものですから、これをコツコツ返して行こうってなったらそりゃなんにもできない。緊縮になるに決まってるんです。

斉興は難しい財政再建に取り組む真面目な(真面目すぎた)人物で、彼は彼なりに覚悟を持って財政再建に取り組んでいて、調所広郷を採用して実際になんとかした。

しかし斉興には、民を安んじ、国を守るという為政者の覚悟が足りないんですね。
自分のやり方で何とかやってきたという成功体験があるだけ。

一方の斉彬は一種の天才というかね、その時代の精神を体現できる人物でした。

西郷どんでは、斉興役の鹿賀丈史さんはほとんど動きません。
動的な役者である鹿賀丈史が、静かに、しかしエネルギーを鬱々と溜め込む。

風林火山の、動かざること山の如しっていうあれなのかな、武士がこうと決めて動かない時の迫力たるや、いや役者さんの演技は素晴らしかったですけれども。

斉彬は、阿部正弘に父親の犯した不正を訴え出るという反則技で、幕府から藩主交代の支持を取り付けますが、それでも斉興は藩主の座から動かないんだからまさに「山」ですわ(笑)。

結局、力技of力技のロシアンルーレット、自分の命さえかけて、斉彬は父親を退けます…というのが島津家パートの、そして序盤のハイライトでした。

とはいえ、なりおきが薩摩藩の財政を立て直していなかったら明治維新における薩摩の躍進はなかった訳です。
そこが歴史の面白さで、誰にも自分の果たすべき役割があり、なりおきもまた自分の役割を果たしたと言えるでしょう。

しかし、この親子の確執にがっつり巻き込まれて、薩摩の財政再建を主導した調所広郷が自害し、斉彬の腹心・赤山靭負は切腹を命じられることになります。

中の人のエロくて曲者な印象を裏切って、爽やかで気さくさな赤山先生が素晴らしかったのはもちろんですが、調所様の重厚な真っ当さも素晴らしかったです。

主人公のアポなし突撃にも対処し、「百姓が死んだらこん薩摩も死んでしまいもす!」とまで言う吉之助に、隠し田のことを内心知りながらも「そこまで言うならやってみろ」とやらせる。

吉之助が隠し田を発見したその後の描写は特にありませんでしたが、しかし逆にそれによって調所様が自身の権限で問題にしなかったろうことがわかります。

序盤ではもう一人、重厚な大人が出てきます。第三回で西郷家に100両を貸してくれる金貸しの板垣様です。

この人は豪商と言っていますが、要するに親分衆で、吉之助がこの人のお眼鏡に叶うと言う形で西郷家は金を借りることができるんですが、

「あなた様なら、借りた金を返さないと言うことはありますまい」

とうこの時の板垣さまのセリフね。私はこれを言うために板垣さまは出てきたと思います。

信用とは何か、借りた金を返すことだ、と板垣様は言う。

「西郷どん」は、藩の金で食い詰めた脱藩浪士たちに酒と飯と女を与えて使い捨てて戦うような、そういうヒリヒリの幕末ドラマではないということを宣言した。で、それを武士ではなく、親分衆の一人が言うわけですよ。

仁義礼智信の「信」というものが、江戸末期、武士のものではなく、商人のものになっている。ここは非常に印象に残りました。

弱いものを見捨てない、借りた金は返す、そういう価値観を身につけた吉之助は、役所内ではすこぶる評判が悪い(笑)。

しかし代替わりの相撲大会というお城の舞踏会には、城下の郷中メンは皆々招待されています。

役所とは違う、自分を高く評価してくれる人々に後押しされるように(実際は新八がお腹が痛くなったので)吉之助はデビュー!

王子様を射止めてダンスならぬ、殿と相撲で勝負をして投げ飛ばして牢屋にぶっこまれることになるのでした。

(シンデレラとか、人魚姫とか、時々少女漫画ならぬロマンチック説話の改変をぶっこんでくるんですよね、このドラマ)


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