死と向き合う

私の母は私が当時20歳のとき。

前日は妊娠7ヶ月の私のために生まれてくる孫のための買い物に付き添ってくれた。

元々心臓弁膜症という大きな病気を持っていた母でした

特に体調が悪そうな感じもしなかったけど。

しんどい、辛いが口癖の母でした。

大丈夫?と聞いても大丈夫と言いながら、

いつものように自然の笑みの母でした。

買い物が終わり、孫が産まれてくることをとても楽しみにしてくれた母。

あと数ヶ月だねと。
無理しないようにねと。

じゃあまたね。

それが母の最後の言葉だった。

翌日、内職の納品を終えて帰宅したとき。

留守番電話が入っていた。

泣き声で何をいっているのかわからないけど、姉の声だと思った。

とても嫌な予感がして。

胸騒ぎがした。

何度も再生してなんとなく聞き取れたことが。

お母さん危篤

そう聞こえた。

夫の職場に連絡をして

お母さんが危篤かもしれないことを伝えて、車で2時間ほどかかる地元へ帰郷。

あの日のことは部分的に記憶をなくしている。

私、どうやって病院に向かったのか覚えていないけど。

もう話すことは2度とないと言われた母がベットで横になって。

ただ、機械で動いているだけだということを医師から説明されて、何をいっているのだろうと。

くも膜下出血。

CT画像をみて、私は立ちすくんだ。

お母さんもう死んでしまったの?

昨日とても元気だったのに。

こんなことあるの?

こみあげるように涙がでてきた。

お母さん、孫みると楽しみって言ってたよね。

なんで?

あれから27年の月日が経ちました。

毎年、娘の誕生日前にあれから何年経ったんだと思うのです。

死を受け入れることはなかなかできないこと。

しかし、あれから一度も話できず、その度に泣いたことがある。

その時、お母さんはもういないんだと思うのです。

今ではそんな無念な人生を送ってたまるかと。

母の分まで人生謳歌しようと。

それが私が唯一できる親孝行だと思って、今を生きています。

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