見出し画像

娘が初めて「ママ、ごめんね」と言った日

娘のことをnoteに書いたことがなかったけれど、今2歳4ヶ月の娘は、意思を持って何かをやろうとし、できなかったり阻まれたりして怒り、嘆き、またやってみることを繰り返している。
とてつもないパワーと、叫び声と、全体力を使って。
やりたい気持ちに付き合いつつ、一緒に生活するのに必要な根気は増すばかり。

そして今日、それは起こった。

夕食時の食卓で、はしゃいで腕を振り回していた娘が、コップに入っていたコーヒー牛乳を床にぶちまけた。
「あーこぼれたね、ふこうか」といってキッチンに向かう私。
いつもなら、
娘「こーひーぎゅうにゅう?」
私「そう、コーヒー牛乳こぼれちゃったね、ふいて片付けようね」
娘「ないない?」
私「こぼれたら飲めないからないないだね、コップ気をつけて持とうね」
娘「こーひぎゅうにゅう?」(以下、繰り返し)
というやり取りになるところ今日は、ペーパータオルで床を拭く私に娘が、
「ママ、ごめんね」
といった。
私はびっくりして、5秒くらい固まってたと思う。
これまで、娘が私を叩いたときなんかに「痛いよ、ごめんねは?」と促して言わせたことはあったけど、娘が自分から謝ったのは初めてだった。
私は急速に満たされた気持ちになって、
「大丈夫だよ、ごめんねって言ってくれたの?そっかーありがとう、大丈夫だよ、大丈夫」とはしゃいで返して、
娘は「うんー!」とにこにこしていた。

言葉で伝え合うことができるってこんなに楽なのかーーーーー!
という驚き。
「え、めっちゃ楽じゃない?わかりやすい、満たされる、なんかこれまでのことが報われた気がしてきた!」
って思って、ああ、そうか、と。

娘の中には、前から「ごめんね」はあったのだ。
概念としてというのか、気持ちとしてというのか、分からないけど、
言葉でいうところの「ごめんね」はずっとあって、たまたま今日は言葉と結びついて私に届いたっていうだけで、
これまで幾度となく床を拭く私を見ながら、娘はきっと今日と同じ気持ちだったんだ。
いつからって分からないけど、言葉がついてこないというだけで、全部もう娘の中にあるように感じた。
それと同時に、娘との言葉なしのコミュニケーションを3年(妊娠期含む)やってきた私は、不安で寂しかったんだと気づく。
分かりたいし、分かり合ってるって思いたい、何よりも、
娘との繋がりを感じたかったんだなと思う。
娘が自分のことを伝えようとしてる、彼女なりの発達で精一杯の表現をしているって分かっていたけど、それはどこか自分とは切り離された感覚で、
「なんだ、伝えてくれてたんだね、満たされないと思ってたけどすでに満たされてたんだね」という体感が得られたのは今日が初めてだった。

なーんだ、ってかんじ。
なーんだって思って、たくさん娘を抱きしめて、この気づきを話して、
娘は興味なさそうな、そんなこともう知ってるかのような、ただおもちゃのところに行きたいだけのような顔をしながら聞いていた。

そしてその数分後、
お菓子を自分で出して食べようとする娘に、
「あ、だめだよ、今日のぶん食べたでしょ、お菓子終わりだよ」といったら、
「ママ、ごめんね?(てへぺろの顔)」っていったから大いに笑えた。
成長って、表現っておもしろい!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?