見出し画像

コロナ陽性対応を経験して

9月2日、私は呑気に、過去の恋愛供養のnoteを書いていた。
読んだ人はけっこうおもしがってくれて、「やったね〜」と思っていた。
そんな気分だったので、社長が熱出してると聞いても、「本人が尿路感染って言ってるからそうなんだろうな」くらいにしか思ってなかった。
念のためPCR検査を受けると聞いても、「受けといた方が安心だよね」と流してたところに、検査結果陽性の知らせ。
、、、、、
、、、、、
、、、、、???
「訪問介護サービスのお客様であり社長である者がPCR検査を受けて陽性だった場合、その瞬間から事態収束まで、何をどうすればいいのか」
わ、分からない、、、というところから、
その日、分単位で会社のみんなと対応を開始し、2週間のサービス提供停止、事態が落ち着いたのは1ヶ月以上経ったあとだったように思う。
この経緯と学びは会社としてもまとめていて、そのうちお届けできると思うので、今日は陽性対応が終わったあとのことを書きたい。
(これは全部個人的な記録です。ほんとに!)

コロナ陽性対応とは何か

「社長が陽性で2週間、みんなまとめて休みになるんだって」
この意味とインパクトは、業種業態、その人の職種、生活環境によって全然違う。
訪問介護の会社のでぃぐにてぃにとっては、
「今日この瞬間からケアを全キャンセル、全お客様に連絡、他社にお願いできるだろうか、ご家族はどうか、保健所の人と話さないと、新宿区の人に連絡して相談して、、こんな小さい会社で社長いないって、大丈夫なのかな、いつ戻って来るんだろう、うちしか訪問に入ってないお客様はどうしよう、社員にもっと陽性者がいたらどうしよう、お客様にうつしてたらどうしよう、そうじゃなくても、全お客様2週間訪問不可って、ああ、どうしよう!!!」
だし、
一人経営企画の私にとっては、
「社長不在って、どうしたらいいんだろう、2週間もサービス止めて来月の収入、、、サービス止めるってどうやってやるの?現場のことはみんなに任せられるとして、でも方針は必要だ、方針って言われても頭真っ白だけども、、みんなは大丈夫?やるべきこと何?相談できる人がいない!このまま社長が戻らなかったら?私がしっかりしなきゃ、ああ、どうしよう!!!」
だし、
私個人にとっては、
「私が濃厚接触者ってことは私も検査でしょ?もし私が陽性だったら家族も保育園もすごい人数が濃厚接触者だよね?園に連絡しなきゃ、園に持ち込んでたら、、、基礎疾患ある人って誰だろう、義理の両親が心配、もし陰性でもどのみち娘は2週間は保育園行けない、この緊急事態に24時間子連れ??PCR検査っていつできるの?結果いつ?ああ、わからない!!!」
だった。
今思い出しても、、うん、思い出したくない。
いつだかのnoteで絶賛した、20歳そこらの弊社若手がこれ以上ないパワーを発揮し乗り切ったことだけを記し、経緯と対応は会社からの発信でまとめようと思うのでここでは割愛。

何がきつかったか

コロナだからってことと、コロナ関係なく危機だからってこと、両方がある。
コロナだからきつかったのは、「これでもし誰か死んでしまったら」という不安。私たちの場合は、吉田さん(社長)を失うんじゃないかという不安が大きかった。
一緒に仕事をする中では障害者であることはわざわざ意識しないもので、つい忘れるんだけど、
障害者で基礎疾患ありありなのだ。まずい。
ここに無頓着だった自分が信じられない。
そんな状況で本人から、「もし××日まで戻らなかったり、病院で連絡が取れなくなったりしたら、会社のこと相談するためにこの人に連絡を、、」なんて電話かかってくるのだ。
対応はどうでもよくて、失うことが不安で一人で何度か泣いた。
社員の誰かが陽性なんじゃないか、お客様の誰かが陽性なんじゃないか、誰かを失くすことになってしまうんじゃないか、この不安を持ちながら、変わりゆく状況に対処するのはきつい。

コロナ関係なく危機だからきついのは、体験したことのない状況で誰も正解を知らない、ということに尽きる。
感染対策や危機管理など、マニュアルや方法論が世にあるのは知っているし、それは大いに参考になる。絶対に学んだ方がいい。
でも、この会社の、今の状況への対応として何が正しいかは分からなくて、それはどこにも書いてない。
究極的には「私たちは何を信じて何をするためにこれをやってるのか」を判断と行動の中心に置く以外はない。
でもそんなの完璧に言語化できてることはなくて、作りながら危機を迎えて変化していくっていうのが難しいし果てしない。

危機の1ヶ月を経て残ったこと

サービス再開前日に、対応に奔走した仲間と振り返りをやった。
これも内容は会社から発信しようと思う。
心身疲弊する対応を一旦終えた私たちにとって、ここで必要だったのは対応への評価や、やり残しの確認ではなくて。(それはそれで重要だけど)
どんな体験も人と組織を変える。
危機が終わったら元に戻るんじゃなくて、その体験を得た新しいバージョンになる。
すべてのことを体験として受容し、共に体験したことを祝福し、
お客様や外部への対処でいっぱいだった頭と手を止めて、
自分たちが感じたことややったことを分かち合うこと、
それは自分たちの新しいバージョンの輪郭を一緒に触って確認するということだと思う。
反省やアクションプランはその後でいいんだろうし、そんなの考えなくても勝手に出てくる。
新しいバージョンを作る体験を仲間と共にできたことが、私に残ったことだと思う。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?