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2ヶ月の「自粛」の振り返りと私にとっての意味

今年はnoteまめに書くぞと思ってたのに、
そんな余裕まったくなかった4、5月。今日で5月が終わる。
「こんなにきつい時期、人生であったかな」というくらい心身ともにウルトラしんどかった。
(ウルトラってもう言わないの?)

しんどかった理由は「いろいろ重なっちゃった」
2ヶ月のコロナ自粛で、私にとって一番インパクトが大きかったのは保育園休園。
祖父母サポートは感染防止のためなし、平日の昼間はだんなさんと交代で子供と遊ぶしかない。
小学生以上の子がいる人の話を聞くと未就学児とレベルと範囲の違う大変さがあるので、この点ではまだ楽だったんだなと思う。

次にインパクトが大きかったのは仕事の内容。
保育園休園で、現場のケアの仕事は全部代わってもらった。
1月から今の会社に参画して、現場の仕事の他には、訪問介護の会社でバックオフィス全般と経営企画と人材育成を、
過去資料ひっくり返しながら、四方八方に教えてもらいながら、
どっぷりなベンチャー感の中でやっていて。
リモートでそっちにフォーカスすることになったんだけど、
どうにも全部、時間がかかる。
そしてFAX、書類郵送、電話が連絡手段の介護業界、
(ねえ、メールって知ってる?その印刷物、PCで作ったんだよね?添付って知ってる?ってやつ)
平日昼間に事務所にいられないと進まないことが多すぎる。
緊急事態だろうが、いろんな変更はありつつも訪問介護の仕事は絶対なくならず、業務が止まることもない。

そして同じくらい大きかったのが、これが4月だったということ。
介護制度上、申請しないといけないいろいろ、
要対応な助成金うんぬん、
新卒の入社。

昼間は子供と遊んで、夜から朝方までを仕事の時間にして全部やろうとしたらやっぱりつらくて、体が先についてこなくなり、
比喩じゃなく「起き上がれない」を初めて経験することに。
もし、休園中は仕事が休めていたり、
慣れた職場と業務でリモートでも楽々な仕事だったり、
忙しい時期じゃなかったり、
どれかが違ったら倒れなかったと思う。いやーきつかった。

「それってコロナ前からだよね?」ばっかりだと気付いた
最初の1ヶ月は、いろんな葛藤や迷いが溢れ出て、精神的にもしんどかった。
4月の私は5月末現在の今とは違って、
「これから東京も、イタリアやアメリカのようになるんだろう、3月以前の生活なんてもう2度と戻ってこないのかもしれない」
と思っていた。その中で、
「こんなときは子供のそばで、家族が安心して過ごせるようにしなければ」
「仕事は二の次なわけじゃない、今やるべきことはなにか」
「育児と仕事が同時並行で時間がない、どうすれば、、」
「時間がなくて、子供にせかせか、イライラしてしまう」
「youtube観ていいときとダメなとき、完全に私の都合じゃん、、」
「三食って大変、もう何作ったらいいのか分かんないわ、、」

ってこれ、
コロナによる自粛で制限がかかった状態だから強調されてるだけで、
どれもまったく新しくない、全部もともとあったやつだなと思った。
慣れた日常の中では意識せず流してしまうけど、
どれも元々私が持っていた願い。
今はそれを1つ1つ見に行くことなんだなと思うと、
「そうかそうか、なるほどね」という気持ちになって落ち着いた。
自分が子供と安心して過ごしたい
軽やかに、効果的に、いいねって思うことをやりたい
大人の都合という言い訳でごまかさないフラットさがほしい
などなど、
「そうだよね、ずっとそれ欲しいと思ってたよね」というものが、
葛藤と迷いの奥からたくさんたくさん出てきて、
体がダウンして横になりながら、ひたすら見ていた。
直面してる課題の解決じゃなくて、ここからまたスタートすればいいってことだなと思った。

私にとっての意味
いろんな感情の中にいろんな願いを見つけて、どれも大切なんだけど、
今回ひしひしと感じたのは、自分のこれまでのやり方の限界。
こんなきつかったのは初めてだったけど、程度が違うだけで、これまでやってきたことは全部、じっと同じに思えた。
倒れるまで、動けなくなるまでやって、
私ここから何を得ようとしてるんだろう。

これまで、呼吸するくらい自然に、疑いもなく、
「できる限りのぎりぎりまで頑張って当たり前」
「やったことからしか何も生まれない」
と思っていて、
「何かをやることでしか、居場所は得られない、必要とされない、そのために努力しないといけない、だって私はだめだから」
があった。
「えーそんなことないよ」って言ってくれる人はきっとたくさんいて、
でも私はずっとこれを信じて、とにかく自分を追い立ててきたんだなーと思った。
これをもう自分で止めることを選択できるときなのかも、と思った。
これを止めても、私には願いがたくさんあるじゃないか。
居場所を取りに行かなくても、私ここにいるじゃないか。
これに追い立てられて頑張ったから得られた安心も、繋がりも、できるようになったことも、守れたこともたくさんあって、
それに心底感謝して手放す。
いつか尊敬する人に教わった通りにやってみようと思います。

これが私にとってのコロナ自粛の体験。
明日から娘は登園開始。
私にとっては自粛前とは全然違う日々になりそうです。

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