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シングルマザーの限界を乗り越えた日

「一人で育てるの、大変だよね」
この1年と数ヵ月、この言葉をたくさんかけてもらってきた。
一人だから大変なことも、一人だから楽なことも、どっちもあるから、大変なだけではないんだけど、
「これは本当に無理」って絶望するシチュエーションがある。

それは、遠出した帰りの電車から家までの道のり。

これ以外は気持ちの問題が大きいものが多い。一人で不安とか忙しいとか、そういうやつは、頑張るしかない、頑張れなくもない、まあきついけど。
でもこれは、これだけは。
車の運転ができない私は、遠出は必ず電車移動。
帰宅時間が遅くなればなるほど娘が寝る確率が高くなる。
当たり前だ、大人だって眠い。海の帰り、遊園地の帰り、帰省の帰り、全部そう。
そして荷物が重い。
最小限の持ち物で出かけるのに、帰りに荷物が増えたり重くなったりする現象には名前があるのだろうか、バッグはパンパンで紙袋も下げて、
という状態で、娘、電車で爆睡。
20キロの、完全に脱力状態で抱えても滑り落ちていく、私の宝物。

「これ、一人じゃ無理じゃん」
である。

3キロの頃からずっと1人で育てていたら、きっと感覚も違うだろう。
私の場合、去年は抱っこしてくれるパパが一緒だった。
抱っこして同じ場所に帰る男の人が一緒だったときとのギャップで、「無理、これは無理、腕の本数が足りない」と思うのだろう。
気持ちが落ち込んでいるときは、それを惨めに感じてしまうこともあって、「物理的に無理だし、気持ちも無理だし、もういい、出かけない」ってなってしまうこともあった。

「これだけは気持ちの問題じゃない、シングルマザーには越えられないのだ、しくしく」
って、一人親になってからずっと思ってたんだけど、
先日、ついに、越えられたのだ、この壁を。

祖母に会いに京都に行った帰り。
昼には新幹線に乗ろうと思っていたのに、紅葉がきれいで、抹茶が美味しくてつい遊びすぎてしまい、京都駅に着いたのは夕方。
自由席なんて座れるはずもなく、指定席でさえ並びの二席が空いてない。
あれもこれもと祖母が持たせてくれたおみやげと、欲張って自分用に買った八つ橋などで両手いっぱいの荷物。
膝に乗せた娘は今にも眠りそう。
全部を抱えて帰宅するのは無理だ。歩いて帰れないどころか、タクシー乗り場にすらたどり着けない。
「品川で降りようとして降りられないと困るから、もう諦めて東京まで行くしかないか?いや、行っても同じか?」
と思ってる間に娘、入眠。
ごーんと鐘の音が聴こえた気がした。京都帰りなだけに。

そして新横浜。
もう覚悟を決めるしかない。自分は怪力だと信じ込むしかない。元気があればなんでもできる。
いや、元気はないけど。
と思っていたら、信じられないことが起こった。

娘が、起きた。
「そろそろ降りるよ」と声かけたら、起きた。
こういうシチュエーションで起きたことは過去に一度もなかったから、起きるなんて想像もしてなかった。
後から聞いたら、私が新幹線に乗ってすぐ、「やばいよ、これはまずいよ、とりあえず降りるときは誰かに荷物を頼むか、でもそのあとがまずい」とぶつぶつ言ってたのを聞いていて、「どうやら起きないとまずいことになるらしい」というのを理解し、頑張って起きてくれたらしい。
ぐずりもせず、無言で、口を一文字に結んで、頑張ってくれた。
こうして、完全に私の予想外の、
「普通に荷物持って、普通に歩く娘を連れて、普通に帰宅する」が達成された。

絶対越えられないと思っていたシングルマザーの壁は、娘が越えてくれた。
子供は育つのだ。無理だったことは無理じゃなくなるのだ。
私が何かを克服するよりも、ずっと早く、力強く育つのだ。

こんなに清々しく、あっぱれな越え方を体験させてもらって、嬉しくて、ほっとして気が抜けて、そして気づく。

てか、シングルマザーの壁じゃないじゃん。
結婚してたって母子で出かけることはあるし、
それよりさ、子供2人育ててたら夫婦でも同じことじゃん。
ってことは3人育ててたら常に腕不足ってことじゃん。
シングルマザーの壁なんて、、、恥ずかし。

壁を乗り越え、娘に感謝し、恥ずかしさに気づく。
私だけがつらいんじゃないし、世界は広いし、変化することを体験する。
これぞ、子育ての醍醐味なのかもしれない。

もう帰り道は怖くない、次はもっと遠くに行こう。

家の最寄り駅に着く頃にはすっかり元気になって階段駆け上がる娘。

最後のダッシュは見事だった!

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