出入橋にまつわる【こぼれすぎ話】
先日、きんつば屋の話の冒頭で「今となっては」目立たない出入橋と書きました。ただそれは現在の様子であって、あるサイトによれば、かつてお店の近くに運河があり、市電が走っていたらしいのです。
そのフレーズが、私の好奇心をくすぐりました。
出入橋と大阪駅
❚ はじまりは、素朴な疑問
戦前から続く老舗が、わざわざ寂れた場所に出店するのかなぁ・・・? 久々に mixi の日記を掘り起こしたことで、出入橋の由来やまちの移り変わりが気になって、歴史を少し紐解いてみようかと。🔎
まず、出入橋という地名の由来です。名前のとおり、昔ここには出入橋という橋がかかっていたらしい・・・いや、今も道路の両側に欄干?のような構造物が現存している!そこで、文献や古い地図から橋の成り立ちを調べてみると・・・
驚くことに、初代大阪駅(現JR)の開業と関係があることが判明!初代の大阪駅は、大阪~神戸間の鉄道開業に合わせ、1874(明治7)年に誕生。当時の駅舎は、現在(5代目)よりも200mほど西にあったけれど、かつての位置が出入橋誕生のカギになるなんて・・・🔐
開業して3年後の1877年には、堂島川の北側を流れていた曾根崎川(蜆川、今は現存せず)から大阪駅までを結ぶ梅田入堀川という水路が開削され、鉄道貨物と水運の連絡が図られます。
鉄道はこの頃黎明期で、水運が物流の重要な役割を担っていました。ですから、水陸の連絡のために当時の貨物駅では、水路(掘割運河)や船溜まりが設置されるのは珍しくなかったらしく。
❚ 梅田ステーションのインパクト
水路の様子は、1882年に発行された大坂明細全図にハッキリ描かれてます。梅田ステーション*の左側から曾根崎川に向かって伸びている水路が、梅田入堀川。川をまたいでいる部分には、出入橋の名前があったどぉー!!
ちなみに、出入橋の名前は船が出入りすることからついたらしい。
⛵えぇ〜っ?、案外安直なんやなぁ。🤔
1889(明治22)年に東海道線が全線開通すると、旅客数・貨物輸送量ともに年々急増し、手狭になった初代に代わって、1901年に2代目大阪駅がほぼ現在の位置に建てられます。
❚ 元祖・文教地区?
1911(明治44)年発行の「實地踏測大阪市街全圖」では、曾根崎川から水路を経て梅田入堀までの水運が描かれ、大阪駅も少し東に移動しているのかな?(先に示した大坂明細全図の位置が、めっちゃ雑すぎや~!💦)
この地図で興味深いのは、大阪駅の周辺に色んな学校が集積していること!🙀
調べると、大正時代の初め頃までには大阪駅の北側に府立北野中学(現・府立北野高校)、市立大阪工業学校(現・大阪市立都島工業高等学校と大阪市立大学→大阪公立大学、変遷がなかなかややこしい💦)、府立梅田高等女学校(現・府立大手前高校)、金蘭会高等女学校(現・金蘭会中学校・高等学校)、梅花高等女学校(現・梅花学園)など、多くの教育機関が集積する文教地区でした。
偶然にも、今うめきたで展開されている「知的創造・交流の場」の基になってる!って言っちゃうと、ちょっとこじつけになるかなぁ。😅
ところが、上記のうち北野中学以外は大正末期までに移転します(北野中学は1932年に十三へ移転)。理由は、広大なヤードを持つ梅田貨物駅を建設するため。そして、1928(昭和3)年12月に梅田貨物駅が完成します。
交通は「水路」から「道路」へ
❚ 水路と鉄路が行き交う場所
1937(昭和12)年の地図をみると、大阪駅の北側に何本もの線路や船溜まりが見えます。駅の南西には梅田入堀が、さらにその南には阪神電鉄の出入橋駅と大阪市電の出入橋停留場も!
実は、阪神本線(大阪~神戸間)が1905(明治38)年に開業した時、大阪側のターミナル駅は出入橋駅でした。なぜなら、大阪駅に近い方が乗り換えに便利で需要創出が見込めるから(だけど、1905年にはすでに大阪駅はほぼ現在の位置に移転済みのはず・・・?)。
最終的には、阪神電鉄も梅田まで延伸しちゃって、中間駅になった出入橋駅は1948年に廃止されました。😢
下の写真は1961年撮影の梅田貨物駅。1962(昭和37)年まで、貨物ヤードの南北にあった掘割が使われてたらしい。余談だけど、学生の頃よく分からずに「梅田北ヤード」って言うてたなぁ。
隆盛を極めた梅田貨物駅も、2013年に138年の歴史に幕を閉じ、約14ヘクタールの敷地ではうめきた2期地区開発が進んでいます。
❚ 人やモノの行き来だけではない
一方、出入橋は1935(昭和10)年に架け替えられ、今も姿を残していますが、南北に流れていた梅田入堀川は阪神高速道路の建設のため、1967(昭和42)年に埋め立てられました。
川跡には阪神高速道路11号池田線の「出入橋出口」があり(出入橋なのに入口がない!😆)、梅田・北新地の最寄り出口ということもあってか、平日の1日平均通行台数は10万8103台と、同線の中で最多だそう(2020年度)。
というわけで、きんつば屋さんにちなんだ「こぼれ話」を簡潔にまとめるはずが・・・かなりこぼれすぎました⤵。
出入橋という地名から周辺に目を向けると、土地の役割がこれほどドラスティックに変わっていたとは、本当に驚きました。大阪にはまだまだ知らないコトがいっぱい!👀
想像するに、今はもちろんのこと、往時の出入橋もそれほど華美な橋ではなかったでしょう。けれども、人やモノの往来を支えるだけじゃなく、歴史という時間の「懸け橋」であるところに、敬意を払わずにはいられません。
長文にもかかわらず、最後までお読みいただき、ありがとうございました。