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【4日目-③ ハットゥサ】天は赤い河のほとり ゆかりの地を訪ねて 2020

こんにちは。マティーニです。
今回は天は赤い河のほとりの舞台、ハットゥサについて記します。

ヤズルカヤ神殿から車で10分もかからずハットゥサに到着しました。
入場料が必要なので入り口でチケットを購入(チケット代はツアー代金に含まれています。現地ではガイドさんが購入してくださいました)、チケット売り場の隣にはお土産やさんもありました。ヤズルカヤ神殿の時と同じく、手作りレリーフや動物をかたどった像がメインで売られています。(黒馬の像があれば記念に買っておこうかなと思ったんですが残念ながら売られてませんでした。)

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入り口付近にはハットゥサの復元模型図があります。
まさしく城塞といった感じ。

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実際に一部が復元されています。逆光のせいでくすんで見えますが、本当はもっと明るい土色です。そしてとても高い!
というのも、周りには囲いとなるようなものは何もないひらけた土地なので敵襲に備えて石を積み上げて高台にしなければなりません。このような痕跡がハットゥサのあらゆるところに残っています。想像以上に軍事国家としてのヒッタイトが色濃く感じられる跡が多々ありました。

早速遺跡見学開始です(・ω・)ゞ
ハットゥサの遺跡内は車で移動します。
もちろん遺跡内の移動は徒歩でも自転車でもOKなんですが、外周5キロほどあるので徒歩だと結構しんどいかもしれません。

ハットゥサの見学ポイントは限られています。基本礎石しか残っておりませんので目を見張るような華美なものはあまり残ってないんですよね。
ずんずん進んでいきます

①ライオン門

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左はレプリカで、右が本物です。
今写真を見返すと、ライオン像の周りに積み上げられている石の量と大きさにびっくりします(^^;; 全部人の手で作り上げられたものですからね。
ライオン像は遠目から見ると少々荒っぽく見えますが、実は近づいてみると...

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こんなにも毛並みが細かく掘られています。石像なのに、しなやかで流れるような毛並みを彫刻だけで再現していることに驚きです。当時の職人さんすごい。そして、細かく薄い線の一本一本が等間隔でブレることなく掘られているのも...…感嘆です。
どういう状態で発掘されたのかは分かりませんが、3千年以上前のものが繊細な装飾を今ものこしているのは感慨深いです。
(というか野ざらしにして大丈夫なんですかね)

続いてのポイントはハットゥサで一番高い場所から眺めた風景です。

そうです、「天は赤い河のほとり」最終回で描かれたハットゥサの風景です。個人的には見学初っ端からクライマックスです。

②ハットゥサ 全景

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今にも
「遺跡には今 草生す礎石があるばかり 乾いた風がゆくばかり」
というモノローグが聞こえてきそうです。

同じ画角になるように撮影しました。お持ちの漫画と比べてみてください。
絵や写真では映せる範囲が限られているんですが、実際にこの写真の左右は

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このような形でどこまでもどこまでも空と大地が広がっているんです。
絵や写真だけじゃわからなかった、本当にあのハットゥサの景色の中にいるんだ...って思うとジーンとしました。

ちなみにこの全景の後ろには木々が生い茂る林がありました。しかし人工的に積み上げられた石垣のせいで崖感が強かったです。

風景ももちろん圧巻なんですが、特筆したいのは「風」です。
天は赤い河のほとりの公式ファンブック「イシュタル文書」の中に、篠原先生へのインタビューが掲載されています。その時のハットゥサの印象について以下のように語られています。

「あの場所には風のイメージがありますね。それは、びゅうびゅうじゃないです。そんなに風は強くないんですけど、でも『風』っていう…」
(「天は赤い河のほとりFAN BOOK〜イシュタル文書〜」245頁より)

ハットゥサに行く前、初めて読んだ時には「どういう意味なんだろう」って思っていました。しかし実際行ってみると「ああそういうことだったのか」と納得しました。っていうだけじゃ伝わらないですよね(^^;

ハットゥサは標高1000メートルの丘陵地帯に位置し、肌で感じられるほど風が常に吹いています。風は強いわけではなく、かといって弱々しいわけでもなく。心地よいと感じる風が常に全身を通り抜けていく、そんな感覚でした。
カイルが風の魔力を操るのも頷けるし、ユーリたちの時代にもこのように穏やかな風が吹き抜けていていく中で生きていたのかなと思いました。

全く上手く言い表せてませんが、感覚としては↑の篠原先生の言葉そのままです。本当に!これは現地に行かないとなかなか実感できないと思うので、ぜひみなさんハットゥサへ訪れて「風」を感じてください。本気で感動します!

③スフィンクス門

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周りの石垣と比べると違和感のある作りですよね。
実はスフィンクス2体ともレプリカなんです。オリジナルはハットゥサのすぐ近くボアズカレ博物館にて展示されています。(後述します)

スフィンクス門の近くに地下道(イェル・カプ)が存在します。
写真を撮らなかったのが悔やまれるのですが、本当に凄い造りで...。大きな岩が積み重なってドーム状になり、約70メートルものトンネルを形成しています。地震が起きたら今にも崩れると思わせるような大胆な作りですが、三千年以上も崩れず変わらず在り続けています。なぜこのようなものが作られたのか未だに解明されておらず、緊急脱出用だの兵士の出撃用のトンネルだの色々な説があるそうです。

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地下道の復元想像図と説明文。ほんとなぜ肝心のトンネルを撮らなかったんでしょうか。
(ちなみに。もちろんトンネル内にライトはありませんから出入口の先にある光を頼りに進んでいきます。両方向から通ることが可能なので、お向かいさんから他のお客さんが来ると真っ暗になります。閉所恐怖症の方気をつけて)

地下道近くの城壁外には石の階段があります。かなり残ってます。
そこにある階段がこれまたかなり急でしかも高い位置にあるため長くて.....。運動靴履いててもかなりきつかったです。タイムスリップ当初、ブーツでハットゥサ内を駆け回ったユーリもきつかったはず。とにかく門であれ城塞であれ、敵からの侵入を防ぐことに特化している印象が強かったです。

④王の門

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ガイドさん曰く、皇帝専用の出入り口だったとか?レリーフの人物が(当時は)王様だと考えられたので、「王の門」と名付けられました。現在での研究では、実は兵士だと判明しています。

こちらもレプリカで、本物はアナトリア文明博物館に展示されています。また別の記事で紹介しますね。

⑤王宮跡

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王宮跡地です。皇帝とその家族が暮らしていたと言われています。やはり礎石しか残っておりません。この礎石から想像力を働かせて王宮や後宮の平面図を作り上げた篠原先生本当にすごいです。

王宮といえばやはりカイルやユーリたちをすぐに連想しました♡
ガイドさんに「後宮の跡地もこちらにあるんですか?」と聞きましたが、それは未だによくわかっていないとのこと...。やや残念。
とはいえ、カイルやユーリたちが多くの時間を過ごした場所、そんなところに来られて嬉しい気持ちになりました。


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どこから撮ったのか忘れましたが、ハットゥサを取り囲む山々やボアズカレ方面の写真です。
無骨な岩や礎石がしっかりと残り大きな帝国があった跡がうかがえますが、今ではモグラの穴だらけだったり子リスが駆け回っていたり(目撃しました!)動物たちの住処となっています。
「兵どもが夢の跡」という表現が本当にぴったりな場所です。


⑥大神殿

ヒッタイトの主神である天候神と太陽神が祀られている神殿です。
格式の高い神殿ですが、入口の低い土地に作られています。低い場所に作ったら、敵に攻め込まれた時すぐに狙われるのでは?と疑問に思いました。が、王族だけでなく民衆も訪れる場所なので、比較的出入りしやすい低めの土地に作ったんじゃないかとガイドさん談。
天は赤い河のほとりでも何度か登場していますよね。ユーリが最初に生贄にされそうになったり、ユーリとカイルの婚儀が行われたりした神殿です。すぐに天河へ連想しちゃいます。

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大神殿の礎石図と想像図。そして一番の下の実物が

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こちら。
実物では判別しにくいですが、ライオンをかたどった水場だったようです。日々の生活水のため ではなく、神殿で儀式などを行う際に使う水をためておく貯水所だったらしいです。ちなみにライオンの像は前方後方合わせて4体います。
ヒッタイトのライオンは凛々しいというよりも、愛らしさを感じさせる丸い造形が多いような気がします。

⑦パワーストーン

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その昔、ラムセス2世から贈られてきたと言われる宝石岩です。人が寝そべられるぐらい大きいです!
番外編「オロンテス恋歌」でユーリ・ナプテラが嫁ぐことになっていたエジプト王がラムセス2世ですね。
触れば願いが叶うといわれているパワーストーンで、観光客にも人気です。私も触りましたが、ツルツルのサラサラ。てっきりみんなが触りすぎてなめらかになってしまったのかと思っていましたが、ガイドさん曰くもともとこう言う質感らしいです。
ラムセス2世から贈られたという説も真偽が定かではなく(?)、ハットゥサの遺跡の中でもなんだか異彩を放っていました。

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これは...?もしやハットゥサにあるとされた七つの泉の一つか...!?
などと期待を込めてガイドさんに聞いてみましたが違いました。こちらも貯水所のような役割を果たしていたそうです。そもそもハットゥサに泉はあったのか疑問に思いましたが、あったかもしれないが確たる証拠や跡地はあまりないとのことでした。七つの泉も天河の中だけのお話だったんでしょうか。

このように天は赤い河のほとりを読んで得たヒッタイトや神話の知識が火を噴きガイドさんに色々と質問をしていたら「あなた学校の先生ですか?かなり詳しいですね」って褒められました。
いやあ、ただの日本のオタクです。


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こちらは大神殿の礎石と礎石平面図。
上の図の通り、中庭は存在したようです。天河の中でも、大神殿は室内というよりも屋外という印象が強かったんですが、これを見て納得しました。

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こちらは貯蔵庫に残る壺です。想像以上に大きい!
ユーリがイルヤンカの眼の話を聞いてとっさに隠れたあの壺ですよ。人が余裕で隠れられるぐらいの大きさでした。発掘中のため金網が張られていてあまり近づけません。

いくら大規模とはいえ、世界遺産を野ざらしにして盗掘やいたずらは発生しないのかな?と疑問に思っていましたが、あちらこちらに監視カメラが配置されていました。うっかり粘土版や何かの破片を見つけても持ち帰っちゃダメです。

以上が主だった見学ポイントでした。写真ではなかなかスケール感を共有できないと思うので、以下の動画をオススメします。

トルコ大紀行エピソード5~ヒッタイト物語〜
https://youtu.be/P7RyUVEJTBI

ヒッタイトをテーマにした旅で、ハットゥサや前回紹介したヤズルカヤ神殿、後日紹介するアナトリア文明博物館などを取り上げていて天河ファンには垂涎ものです。私も舐め回すように何度も見てます。

あとはグーグルアース!想像以上に、立体的かつ俯瞰的にハットゥサ遺跡を見ることができます。おすすめのサービスです。


以下ハットゥサを訪れての感想。
最初は「きゃー!ユーリとカイルが生きた場所だー!」なんてキャーキャー騒ぐと思っていたんですが、実際行ってみると全然違って。
本当に周り何も無いんですよ。見ての通り山か大地か空か。いくら当時首都として栄えていたとはいえ、いきなりこんな古代の異国に15歳の女の子が飛ばされて生きていくことが出来るのか。本気で考えました。

帰れる手段があるとしても、不確かなもの。しかも自分を殺そうと付け狙ってる者もいる。周りに親しい人が増えても家族とは会えないし連絡もとれない。そんな中で、ユーリが現代に戻ることを諦める、家族とはもう二度と会えなくなることを覚悟する、って本当に生半可な気持ちじゃないんだなって。物語だけ追って考えると、「まあそういう展開でしょ」って思うけど、現実に置き換えたらとんでもない覚悟だと感じました。

なんでここまで現実に置換して考えてるかというと、今回のトルコ旅行は私にとって初海外で一人旅で、現地では頼れる人が周りにおらず、言葉もまともに通じないし心細い、なんてほんのちょびっっっっとだけユーリに近い心境を味わったからです。文明の利器に囲まれて、家族や友人といつでも連絡を取れる、そこまで困ることもないのに心細さで心が苛まれてやや辛い思いしたのに、そんな状況とは比べものにもならないユーリの運命は…...。こんな感じで、ハットゥサの大地にたってから、改めてユーリのことを考えてブワァァァって心で号泣してたのです。

非常に感傷的な雰囲気のままハットゥサ見学は終了しました。
ユーリ、ひいては天は赤い河のほとりに対する見方や思いも悲しいやら尊敬やら感動やらでもうぐちゃぐちゃです。それでもユーリたちの生きた場所に足を運んで同じ大地に立ちアナトリアの風を肌で感じられたのは一生の思い出になりました。
予想していた聖地巡礼とはちょっと違う感じになりましたが、改めてユーリひいては作品の魅力を再確認できました。


さて話題はガラリと変わります。ランチタイムです。お昼は「Gökkuşağı Alabalık Tesisi」というレストランでいただきました。
下のリンクは所在地です↓

お店には大きなマスの養殖場があります。タモ網で養殖池からマスを何匹かすくい上げて、自分でサイズを選びます。選ばれてしまったマスはかまどへ運ばれて炭火で焼かれます。一番小さいものを選んだつもりでしたが皿の上に乗せられたマスはかなり大きく、身もぎっしりと詰まっていたので食べ応えがありました。(魚以外にもシシケバブなど肉料理も選べます)
バケットにトマトのサラダ(どちらも山盛り)も付いてきてお腹いっぱいです。

お昼の後は博物館見学です。

ボアズカレ博物館

ハットゥサの直ぐ近くにあるヒッタイトの発掘品を展示した博物館です。規模はやや小さめですが、どれも貴重な展示物ばかり。

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入り口に鎮座するのはスフィンクス門。本物です。
左はベルリンの博物館から運ばれてきたもの。

ヒッタイトの発掘は外交問題が色々絡んでいます。
というのも本格的な発掘調査を始めたのはドイツをはじめとした外国の調査隊です。当時はオスマン帝国末期で国内が混乱を極めていました。そのため、国内での発掘品を外国へ売り渡し金銭を得ることで経済の安定を図ったり、そもそもイスラーム以前のものをそこまで大事にしていなかったので外へ渡すことに抵抗が少なかったり、という理由があり多くの発掘品が外国へと流れました。現在トルコはこれらの発掘品を自国へ戻すため奮闘しています。このスフィンクス門も返還された一つです。

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こちらはハットゥサの全体図、そして主だった遺跡のポイントです。
他にも粘土版だったり道具だったり見ごたえのある展示物がたくさんあったのですが、博物館を出る間際に写真撮影OKだったと知り、まともに写真に残っていません。後悔。

こちらのボアズカレ博物館は旅行会社のツアーではなかなか組み込まれませんが必見ものです。ぜひ訪れてみてください。


聖地巡礼4日目ハットゥサ編はこれにて完です!
次回はアナトリア文明博物館編です。


#天は赤い河のほとり #篠原千絵 #ヒッタイト #ハットゥサ #トルコ #聖地巡礼 #海外旅行

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