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私の花道は私が用意する:小学校から大学院まで不登校でいた結論

私は自分のことを【不登校の希望の星】と誇らしく思っているが、それは小学校から大学院まで学校が嫌いで、不登校を一貫していたにもかかわらず、これまでに、日本の大企業・外資系企業・外務省・国連で働いてきたから。

どの職場でも評価され、実績を上げてきた。東大卒の外務省キャリア官僚と一緒に仕事をし、「外務省の正規職員になりませんか」と誘いも受けた。当時は外務省の契約社員だったが、契約の身分でも高学歴のエリートばかりが応募するポジション。そんな中で私は仕事の実績をあげることができた。

つまり、34歳になった今言えること、「な〜んだ、学校行かなくても良かったんだ。十分に生きていけるし、社会で役に立っている」。

では、不登校だった時、周囲から何と言われたか?

・小学校行かないなら、あんたの人生終わってる。

・頭おかしい(実際に、精神科にも連れて行かれた)

・あんたには無理に決まってる。

・いるだけで邪魔

・いない方がまし

親・親戚・学校の先生から言葉の暴力を受けた小学校から高校生までだった(大学と大学院は単位さえ取れれば良いので、問題なかったが)。今思えば児童虐待。訴えても良いレベル。

それでも、小学校の時、一人だけ常識に囚われず私自身を見てくれた先生がいた、「あなたは才能に溢れてる」。中学生の時、学校一の問題児だった私を見て、ある先生は言ってくれた、「あなたは才色兼備。美人で頭の良い人。政治家になれる」。高校生の時、県内で最低レベルの偏差値の学校に通っていた私に進路指導してくれた、「あなたは国連職員になるといい」。

今思えば神様の声だった。だって常識からしたら考えられない。それでも、私が国連で働いているのは、高校の時に出会った先生のおかげ。私の才能に気づいてくれた先生たちのおかげで今の私がいる。

今、学校に行かなくて悩んでいる学生、子どもが学校に行かない悩みを抱えている親御さんに胸を張っていいたい。「学校に行かなくてもいい。好きなことしてればいい。私は小学校・中学校の時はひたすら漫画読んでた。そこから人生の教訓を学び、自分の世界観を広げていった。」とね。私の人生、私が決める。私のやり方で人生切り開くんだってね。

私に暴言をはいた人たちを憎んだりもした。親さえも憎んでいた。でも、今はどうでもいい。そんな憎しみの時期を超えて、今は誰にも囚われず、過去のハンディキャップさえ物ともせずに、自分の花道を歩く。

ちなみに、私は集団行動が苦手な人種なのだ。学校でみんなと一緒に授業受けるのが嫌で嫌でしょうがなかった。未だに集団行動は苦手で、国連の同僚と1週間の合宿があった時は死んでいた。嫌で嫌でしょうがなかった。そう、「私は一人が好きな人間、一人で黙々と勉強・仕事するのが好きな人間、それが私の個性なんだ。」と気づいてからは、自分の個性を尊重してる。それで良いのだ。

さらに、一つの職場にいられない症候群でもある。今までも1−2年で転職を繰り返している。そのことを批判する大人もたくさんいる。でも実際、私は転職の度にステップアップし、自分の仕事のスタイルを確立した。上司の言うことなんて聞きやしないし、好き勝手やり放題、自分の好きに熱中してる。それで怒られることもあるし、褒められることもある。仕事が嫌になったらすぐに辞める。そして、国連職員の今に到る。飽きっぽい性格も私の才能の一部なんだ。

私から伝えたいメッセージ:常識に囚われるな。親・先生の言うことは信じるな。暴言・批判は受けた分だけ強くなれる。そんなのサラッと無視して自由にのびのび生きろ。人生は冒険だ。

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