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身体性由来の快楽と絶対的な自信

いったん見始めると、止まらない。

少し前に発見した、中華料理店で仕込みから営業までを黙々と撮った動画。

なんでこんなに魅入られるのか。見ていて気持ちが良いのか。そういうことを考えた。

自身の相対化と絶対的な自信

この動画をみたときの感想はもちろん「旨そうだなァ」なのだけれど、それだけじゃなくて「身体性の発揮」を仕事にした者が獲得できるある種の快楽について思い至る。

身体に染み付いたスキルを日々黙々と発揮すること自体が快楽の源泉なのであって、それによって発生する金銭的見返りは、実は副産物に過ぎないことをこの動画は教えてくれる。そうでなければ、ただ黙々と料理を仕込み、提供する動画をこんなに食い入るように見ることはないはずだ。

しかし、稼ぐ金額こそが自分の価値と信じて疑わないイワシの群れのような人たちは、生きている限り誰もが絶対的に持つこの「身体性」というユニークな価値に気が付かない。当然だろう、全ての価値を相対化して、何かを成し遂げなければ人間のクズだと小さい頃から叩き込まれてきたのだから。

そんな現在の日本で、絶対的な自信が持てる人なんてほぼいないだろう。私もそうだった。自信が持てないから、何かを成し遂げることで、つまり、今の自分を否定することで、自身を得ようとする。パイロットの制服を着れば、家族が喜び、友人を見返し、異性にモテて、いい給料で幸福な生活ができると(筆者の職業はパイロットです)。

でも、自信がないとパイロットとしてうまくいかない。だから、パイロットになって自信をつけようと思っても、うまくいかない。どんづまりだ。これを打破するには、一旦今の考え方をぶち壊して、再構築する必要がある。自分の価値を相対化する価値観ときっぱり決別するにはどうすればいいか。

身体性はユニーク

そこで「身体性」が鍵になってくる。なぜなら、今、この時空に「存在する」ことは他の誰にもできない、という物理的限界が、自分の絶対的な価値の源泉となるのだとすれば、今、ここに在る自分を常に感じ続けること、つまり「身体性を発揮すること」こそ、自信の源になるのだから。

「今、ここ」に接続していない人の居場所は、未来か過去のどちらかだ。従って原理的に、そこにあるのは不安と後悔だけだ。「今、ここ」に接続している人だけが、自信を持つことができる。どんなことがあっても、24時間365日、常に自信を持っている状態を想像してほしい、金でそれが手に入るだろうか

今、ここにフォーカスしている状態を得るのに、そもそも金は必要ない。故に、いくら金を積んでも手に入らない。でも、金さえあればどんな快楽でも手に入るというアナウンスが多すぎて、みんな人生の目的に金しか答えを持っていない。なんたる発想の貧困だろう。これでは、快楽に辿り着けるはずもない

もちろん金は大事だ。今の日本はみんな買い叩かれているから、それは別個に解決しなければいけないが、しかし、金は不幸を回避することはできても、決して快楽を保証しない。自身の相対化の行き着く先がどんづまりであることは、もっともっとアナウンスされる必要があるだろう。

冒頭、「身体性の発揮」を「快楽」と表現したのは、そういうことだ。料理人は、鍋や包丁を振ることで「今、ここ」と接続する。飛行機乗りは、飛行機に乗ることで「今、ここ」と接続する。金は必要ない。 「今、ここ」と接続すること。それさえわかりゃ、快楽はあなたのものだ。

DON'T THINK, FEEL.

たくさんの方々からサポートをいただいています、この場を借りて、御礼申し上げます!いただいたサポートは、今まではコーヒー代になっていましたが、今後はオムツ代として使わせていただきます。息子のケツのサラサラ感維持にご協力をいただければ光栄です。