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TwitterでバズってSNSが怖くなってやめた女

昔、軽い気持ちで愚痴を垂れ流すアカウントをTwitterでやっていた。
そのうち元夫と揉めに揉め、夜逃げするように子どもと逃げて離婚する流れをつぶやくようになった。
同じ境遇の人との交流や、励ましのメッセージがあることは、私にとって大きな支えだった。
その渦中のことや、その後のシングル生活のなかで、ポツポツとツイートがバズるようになった

しかも1回だけでなく数回バズったため、知人が1人もいないアカウントだったにも関わらず、フォロワーが急増。
なかなかなフォロワー数になり、この頃はツイートする度に通知がめちゃくちゃ鳴るため、通知をオフにしていたほどだった。

そのうち企業からのPR案件や、テレビ関連の取材依頼などまで来る始末。
この規模までいくと、謎のアンチが湧いて
「これTwitterでよく見るヤツだ!」とさながら進研ゼミの流れでテンションが上がった記憶がある。
巧みなヘイト管理(自称)により、アンチが来る度にむしろフォロワーが増加。
フォロワーの一部はファンのような人々まで現れ始めていた。

そうして愚痴には共感、弱音には励まし、疑問には全肯定
山のようなリプライや引用RTが寄せられる。
反対意見やアンチももちろん発生した。
それに対しては冷静かつ律儀に対応することで
「ちょっと男子!この子謝ってんじゃん!」系の委員長みたいな人々が勝手に出てきてくれて、代理で戦い出す現象が起き、私はさらに擁護される。
いいねやリツイートが、下らないツイートにすら数十〜数百付く状態であった。

正直、それはそれは異常な状態だ。
私は芸能人でも有名人でもない。ただの一般人だ。
そこそこのフォロワーを抱えながら、時々バズる生活をしていると
自分に影響力があると錯覚を起こすようになると同時に
「自分の意見がこんなに多くの人に肯定されている=自分は間違っていない」
という強い思い込みが私を支配するようになっていった。
しかし厄介なのは、当時このことを全く自覚出来ていなかったことだ。
むしろ
「こんなにバズっても謙虚な対応している私」
「こんなにフォロワーがいることを友人知人誰1人知らない

みたいな謙虚さの自負を持っていたくらいだ。

そして企業PR案件を受けたことで、現在の夫にアカウントがバレることとなる。
そこではじめて上記の思い込みを指摘された。
はじめは「そんなことないのに」と否定的で、苛立ちすら覚えていた
しかし、それすらもツイートしようとしたところでハッとしたのであった。
自分がツイートすることで、不特定多数の肯定意見を得ようとするのが常習化している自分。

それを自覚した途端に自分がどういう状態になっているのか、分かっていないことに不安を覚えた。
自分が得体の知れない自信を持って、ふんぞり返ってる事が急に怖くなった。
ここまで大きくしたアカウントを捨てることへの躊躇はかなりあったが、夫の強い勧めで、私はTwitterをやめた。

今となっては、夫の勧めに従って正解であったと思う。
絵描きや歌手やスポーツ選手のように、何かに裏打ちされた他人からの支持ではなく
ちょっと人の目を引く140字を数回書けただけの人間が祭り上げられる。
それが当時のTwitterの私だった。
あのままアカウントを続けていたら、私は何かある度にフォロワー達に肯定意見を求め続け、私は間違っていない!という承認に依存していっただろう。

そんなこんながありながらも、結局わたしは文章を書くのが好きなので、こうしてまたつらつらと文章を書き連ねている。
今度はたまたま上手い140字を書ける人ではなく、楽しく読める分かりやすい文章を、脳から上手にアウトプット出来る人間になって、胸を張って「文章を書く仕事をしています。」と言えるようになればいいな、と思っていたりする。
また天狗になった際には、ぜひ夫に伸びきった鼻をぶち折ってもらう前提で。

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