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山下達郎氏のメッセージを検討する -恐怖に関するレイヤーの違い-

4月12日の山下達郎氏が自身がパーソナリティを務める番組『サンデー・ソングブック』において異例の政治的呼びかけを行ったといいます。
残念ながら番組が未聴なのですが、書き起こしを見つけたので下に引用させていただいた上で山下氏のメッセージを検討してみます。

非常事態宣言が出されました。
それに対していろいろな声があります。

普通に社会生活を送っている人にとって「家に篭って外に出るな」という、また中小の経営者にとって「店舗の営業を自粛せよ」という。
今の状況に対して、不安のない方は一人もおりません。
怒りのない方だって、一人もおられないと思います。
みんなジリジリした気持ちです。
それを口にしたい衝動をみんな抱えています。
政治の不甲斐なさ不明確さ、いつもの如く官僚の責任、意識の曖昧さ、行政の拙速さ、企業の保身、メディアの的外れ、エトセトラエトセトラ。

私ぐらいの年齢になりますと一体裏で何が蠢いているのかといろいろと想像がふくらんでしまいます。
こういう現状の中で生まれる数々の不条理への戸惑いとか鬱憤、苛立ちを抑えきれずにある人はそれをネットに噴出させ、ある人はメディアを使ってぶちまけています。
そうしたい気持ちは痛いほどわかります。
私だって思い切り怒鳴りまくりたい衝動があります。
でも、そんなことをしてもウィルスがなくなるわけではありません。

毎日毎日メディアに登場する、細部をつついては批判と罵倒に明け暮れている。
そういうものが人々の不安をどれだけ煽っているか、なぜもっと寛容な建設的な言動行動が取れないのか不思議でなりません。

まぁ私はそうした政治的な言説にあまり深く立ち入らないというように努めているんですけども、でもまぁ今一番必要なのは政治的利害を乗り越えた団結ではないかと思います。
いま政治的対立を一時休戦していかにこのウィルスと戦うかを、この国のみんなで、また世界中のみんなで助け合って考えなければならない時です。

なんでも反対、なんでも批判の政治プロパガンダはお休みにしませんか。
責任追及とか糾弾はこのウィルスが収束してからでもいくらでもすればいいと思います。
再三再四申し上げているようにこういう時は冷静さと寛容さが何よりも大事です。
静かに落ち着いて物事を語りましょう。
正確な判断は冷静さからしか生まれません。

過酷な現場で働く医療スタッフはみんなそれぞれの思いを持ちつつも、黙々と戦っていらっしゃいます。
スタンド・プレーのメディア・ピープルではなくて、そういう医療従事者の皆さん、見えないところで人知れず働く方々に、思いを馳せましょう。
彼らを励まし、盛り立て、我々は我々ができることをいたしましょう。
今はできる限り、他者との接触を避け、感染の広がりを防ぐ努力をいたしましょう。

当然これは批判されるべきメッセージです。言葉とおりには「黙って従え」と聞くことができる言葉ですし、メッセージの通りに誰も何も批判せず実務に当たったとして、ものがうまく運ぶということでもないでしょう。山下氏の言葉を借りれば批判しなかったからといって「ウイルスがなくなるわけではありません」。というのは屁理屈が過ぎるでしょうか。
逆にいえば目的のためだからといって批判がない大政翼賛会的世界を想像して薄寒くならないのでしょうか。そんな想像力を働かせていただきたいのです。
総論的には以上ですがもう少し検討します。

まずひとつには「いろいろな声があります」と言いながら具体的な例が上がらないことが気になります。漠然と「いろいろな声がある」けど「お休みにしませんか」と。しかしここには具体性がありません。山下氏が実際にどのような批判や罵倒に対して不思議に思っているのかが伝わってこないのです。
思うに山下氏は具体的な批判や罵倒を実際には目にしていないのではないでしょうか。なんかザワザワしてややこしいな、というような印象でもってこの世情に対峙しているのではないでしょうか。具体的な現実を見ることに耐えられなくなっているのではないでしょうか。
山下氏が批判する「批判」や「罵倒」は実際にはそれぞれの立場から具体的な意見表明として立ち現れているのであって「なんでも反対、なんでも批判」というような反対のための反対、批判のための批判とは違います。
特にこの度の新型コロナウイルスの蔓延に関しては党派性やイデオロギーを以ってする政治ゲームではなく、自身の生活をかけた呻き声としてこの批判があるのではないでしょうか。いわゆるエラい人にはわからんのですよ。状態なのかもしれませんが。
特にライブハウスなども含めた劇場関係者らの声は切実に感じますが、それらの声をミュージシャンである山下氏が自身の内部のものとして受け止めることはできないのでしょうか。「不思議でなりません」というのはここにこそ当てたい言葉です。

「私ぐらいの年齢になりますと一体裏で何が蠢いているのかといろいろと想像がふくらんでしまいます」「私だって思い切り怒鳴りまくりたい衝動があります」と言いながら「人々の不安をどれだけ煽っているか」との問題提起にすり替わる部分も気になります。主語が私から人々に変わってしまうのです。
本当は山下氏自身が不安に陥っているのに、不安に陥っている主体を「人々」に置き換えて語っているのではないでしょうか。
今回の騒動に際しては持たざる者はまず今日の生活に対する不安を感じ、持つものは病気に対する不安を感じているとみていますが、山下氏は後者に該当すると思いますので病気なってしまうことにまず不安を感じているのでしょう。
一方、山下氏が言う「苛立ちをネットに噴出させている人」たちは今日の生活に不安を感じているのです。特に若い人であればそうウイルスに対する恐れを抱く必要さえもないのかもしれません。
この辺りのプライオリティの差がイデオロギーの違いとして現れてきます。
山下氏が想定する「人々」はウイルスに対する不安を感じる人々だと思いますが、山下氏の想定から外れる、ウイルスよりむしろ別の心配がある「人々」も多くいるということなのです。
借金で苦しんでる人にとっては正直ウイルスなんかどうでもいいのだということを理解しなければなりません。
正確な判断は冷静さからしか生まれません。山下氏が不安を感じるのはわかりますが、だからといって自身の独善で他人の行動を評価することはできないのです。

社会の中において声を上げるのは当たり前のことです。意見を言うことは、たとえそれが批判であっても健全な情報環境を形成するにおいては必要不可欠なことだと思います。
山下氏にとってはノイズでも発信者にとっては切実なメッセージなのです。

最終センテンスの医療従事者の項は若干人質論法的な趣旨にも見えますが内容に異論はありません。
今は医療従事者の方々に頼るしかないのが実情です。医療従事者のみなさんが健やかにあって仕事を遂行いただけることが一番です。
尊敬と感謝の念を最大にすることを私自身心したいと思います。

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