関曠野『プラトンと資本主義』10

「ソフィストの論争術はギリシア人の競技の文化の知的対応物であるだけでなく、権力の座にある多数者の見解を論争のテストにかけて修正しようとする民主制の精神と一体である。パンタシアとドクサの説は多数者の決定を不断に検証し、より確実なものとすることを民生の義務とする。
さらに人間尺度説は、人間は誰しもパンタシアとドクサにとらわれ、幻影を事実と信じて言葉に振り回される知ったかぶりの愚者であるとみなす点で、喜劇の精神と一致する。民主政治は人間の条件の喜劇性の認識と一体であり、そこでは人間尺度説は硬直した権力の尊大と妄想に対するユーモアの原理となる。
ユーモアとは、自分が相対化されることに耐えることができ、世界と他者と自分との異質性を悪びれずに容認し、それと共存することのできる柔軟で強い心のことである。民主政治とは喜劇的な政治に他ならず、政治権力につきまとう自由と平等、友愛と秩序、個人と社会の二律背反は、そこで快活なユーモアによって超越される。」
関曠野『プラトンと資本主義』

死すべき人間としての悲劇性と人間社会の喜劇性を生きる

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