ジェイソン・ヒッケル『資本主義の次に来る世界』

「脱成長の素晴らしい点は、経済を成長させないまま、貧困を終わらせ、人々をより幸福にし、すべての人に良い生活を保障できることだ。それこそが脱成長の核心である」
「では、実際には、どうすればよいのだろう。
成長させるべき部門(クリーンエネルギー、公的医療、公共事業、環境再生型農業など)と、必要性が低いが、生態系を破壊しているので根本的に縮小すべき部門(化石燃料、プライベートジェット、武器、SUV車など)を見極めるべきだ。また、人間の必要を満たすためではなく、利益を最大化するために設計された生産様式を縮小することもできる。製品の寿命をあえて短くする計画的陳腐化や、わたしたちの感情を操作し、現状に不満を抱かせる広告戦略などがその例だ」

「資本主義が誕生したのはわずか500年前だ。資本主義の特徴は、市場の存在ではなく、永続的な成長を軸にしていることだ。事実、資本主義は史上初の、拡張主義的な経済システムであり、常にますます多くの資源と労働を商品生産に回路に取り込む。資本の目的は、余剰価値の抽出と蓄積であるため、資源と労働をできるだけ安く手に入れなくてはならない。言い換えれば、資本主義は、『自然と労働から多く取り、少なく返せ』という単純な法則に従って機能しているのだ」

「資本主義の起源は利己的で強欲な人間の本性にあるのだから、不平等や環境破壊などの問題は避けがたく、軌道修正は不可能だと、誰もが考えている。しかし、この物語は真実ではない。資本主義は人間の本質とは何の関係もない」

「システム(封建社会)を終わらせたのは資本主義ではなかった。驚くべきことに封建社会を覆したのは、市井の革命家たちの長年に及ぶ勇気ある戦いだったのだ。だが、どういうわけか、彼らの貢献は完全に忘れられた」

「封建制が崩壊すると、自由農民はそれに代わるものを築き始めた。自給自足を原則とする平等で協働的な社会だ。この改革は、平民の福利(幸福と利益)に驚くべき影響を及ぼした。歴史家は、この1350年から1500年までを『ヨーロッパの労働者階級の黄金時代』と呼ぶ」

「封建制が崩れた後にうまれた平等主義の社会は、自給自足、高賃金、草の根民主主義、資源の共同管理を軸とし、上流階級による富の蓄積を阻んだ。上流階級の不満の核心はそこにあった」

「この平等主義の社会が、その後どのように発展していったかを、わたしたちは知り得ない。なぜなら、容赦無く潰されたからだ。貴族、教会、中産階級の商人は団結し、農民の自治を終わらせ、賃金を引き下げようとした。ヨーロッパ全土で暴力的な立退作戦を展開し、小作農を土地から追い出した。農民が共同管理していたコモンズ、すなわち、牧草地、森林、川は柵で囲われ、上流階級に私有化された。つまり、私有財産になったのだ」

「ヨーロッパの資本家にとっては、囲い込みは魔法のように作用した。以前は手が届かなかった大量の土地や資源を独占できるようになったのだ。

この資本蓄積は、無害な貯蓄のプロセスではなく、略奪のプロセスだった。

資本主義が台頭するにはもう一つ必要なものがあった。労働である。囲い込みはこの問題も解決した。自給自足経済が破綻し、コモンズが囲われると、人々は賃金を得るために労働力を得るしかなくなった。要するに彼らは賃金労働者(プロレタリア)になったのだ」

「資本主義の最初の数百年は、資本主義以前の時代にはだれも経験したことのにほどの悲惨な状況をもたらしたのである」

「上流階級は国内で囲い込みを始める一方、クリストファー・コロンブスのアメリカへの航海を皮切りに、強奪するための新たなフロンティアを海外で探し始めた」

「ここで重要なのは、ヨーロッパの資本主義と産業革命は『無から』生じたわけではないことだ。資本主義と産業革命は、奴隷にされた労働者が入植者に奪われた土地で生産したものと、囲い込みでコモンズを剥奪された農民が工場で加工した製品に支えられていた。囲い込みは国内の植民地化であり、植民地化は国外での囲い込みだった」

「こうした病力的な時期を、資本主義の歴史における一時的な逸脱として片付けることができれば、気は楽だ。だが、そうではなかった。植民地化と囲い込みは司法主義の基盤だった。資本主義のもとでは成長は常に、対価を支払うことなく利益を抽出できるフロンティアを必要とする。資本主義は本質的に、植民地支配的な性質を備えているのだ」

「ヨーロッパの資本家は、非対称貿易のルールによってサウスの地域産業を破壊し、植民地に、原料の供給源だけでなくヨーロッパの大量生産商品の市場になることを強いた。これで回路は完結した。サウスにとって結果は壊滅的だった」

「生産性の論理を土地と農業に適用したことは、人類の歴史に根本的な変化をもたらした。人々の生活が『生産性を高め、生産量を最大化する』という要求に支配されるようになったのだ。生産は、もはや必要を満たすためのものでも、地域の充足を目的とするものでもなくなった。利益を中心に計画され、資本家の利益を増やすためのものになったのだ。これはきわめて重要なポイントだ。わたしたちが人間の本性に刻み込まれていると思っていた『ホモ・エコノミクス』の性質は、囲い込みによって導入されたのだ」

「競争を強いるこの体制は生産性を劇的に高めた。この成果ゆえに、囲い込みは正当化された。イギリスの下級地主で哲学者のジョン・ロックは、囲い込みが平民からコモンズを盗む行為であったことを認めながらも、『この盗みは集約農業への移行を可能にし、農業生産を高めたので、道徳的に正当化される』と論じた。同じ論理は植民地化を正当化するためにも使われ、ロック自身、この論理を後ろ盾にして植民地政策を擁護した。『向上』は強奪の言い訳になった」

「現在、同じ言い訳が、新たな囲い込みと植民地化を正当化するために日常的に使われている。もっとも、私達はその成果を『向上』ではなく『開発』あるいは『成長』と呼ぶ。GDPの成長に貢献するものは事実上すべて正当化される。成長は人類の進歩にとって必要不可欠であり、人類全体に利益をもたらす、とわたしたちは信じきっている。しかし、ロックの時代においてさえ、この論理は明らかに欺瞞だった。当時、農業の商業化は総生産高を増加させたが、『向上』させたのは地主の資産だけだった。生産高が急増する一方で、農民は2世紀にわたって飢餓に苦しんだ。工場でも同じだった。労働生産性の向上による利益が労働者に還元されることはなかった。それどころか、囲い込みの時期に賃金は減少した。利益を得たのは生産手段の所有者だけだった」

「ここで理解しておくべき重要なポイントは、資本主義の特徴であるきわめて高い生産能力は、人為的希少性の創出と維持に依存していたことだ。希少性ーおよび、飢餓の脅威ーは、資本主義を成長させる原動力になった。実際には資源は不足していなかったので、その希少性は人為的なものだった。土地、森、水源は依然と同じだったが、突如として、利用を制限されたのだ。希少性は、上流階級が富を蓄積するためにつくり出したものだった。人為的希少性は国によって暴力的に強制され、勇気を奮って自分達と土地を隔てる柵を壊そうとした農民は虐殺された」

「囲い込みはヨーロッパの資本家による巧妙な戦略だった」

「哲学者デイヴィット・ヒュームは『政治論集』において、同じような考えに基づいて、『希少性』の理論を展開した。『常に観察されることだが、欠乏が何年も続き、それが極端でない場合、貧民はより勤勉になり、より良く生きるようになる』。これらのコメントは、驚くべきパラドックスを明らかにする。資本主義の支持者たちは、富を生み出すためには人々を貧しくする必要があるうと考えていたのだ」
「ヨーロッパ諸国が各地の植民地化を進めた時代は、同様の戦略が世界の至る所で展開された。インドでは植民地支配者は農民に圧力をかけ、自給自足農業からイギリスに輸出するための換金作物、すなわちアヘン、藍、綿、小麦、米の生産へと移行させようとした。
農業の生産性という観点から見れば、これはうまくいった。しかし、自給自足農業と地域支援システムが破壊されたせいで、農民は市場の変動と干ばつに対して是弱になった。大英帝国最盛期の19世紀末の25年間で、30万のインド人が無駄に飢え死にした」
「資本主義は並外れた物質的生産性をもたらしたが、その歴史が絶え間ない希少性の創出を特徴とし、破壊的な飢餓と数百年に及ぶ貧困化のプロセスにまみれているのは、なんと奇妙なことだろう。メインランドは、『私富』と『公富』すなわちコモンズには負の相関関係があり、前者の増加は後者の犠牲の上にのみ成り立つ、と指摘した。コモンズは成長のために破壊された」

「大量絶滅が進行中であることを示す統計は増える一方だが、そうした情報を私達はほとんど気にかけようとせず、驚くほど冷静に受けて止めている。嘆き悲しんだり、感情的になったりしない。それは、基本的に人間を生物コミュニティから切り離された存在と見ているからだ。絶滅しかけている種は向こう側の、環境の中にいて、わたしたちの一部ではなく、ここにいない。そう考えるのも無理はない。結局のところそれが資本主義の核心なのだ。世界は生きておらず、わたしたちの親類ではなく、採取と廃棄の対象にすぎないーその世界には、そこに生きる人間の大半も含まれる。資本主義はその原則を打ち立てた時から、生命そのものと争ってきたのだ」

「資本主義の歴史において、成長は常に強奪のプロセスであったことだ。自然と(ある種の)人間からの、エネルギーと労働の強奪である。確かに、資本主義はいくつかの驚くべき技術革新をもたらし、それらは驚異的なまでに成長を加速させた。しかし、テクノロジーが成長のために果たした最大の貢献は、無からお金を生み出すことではなく、資本家が強奪のプロセスを拡大・強化できるようにしたことだ」

「投資家は少しでも成長の匂いのするものを求めて、貪欲に世界中を探し回る。この容赦ない資本の動きは企業にとって強力なプレッシャーになり、企業は成長するためにできることは何でもするようになる」

「資本は動かさなければ、インフレや市場の変化などで価値が下がるからだ。そのため、資本家のもとに集まった資本は、成長への強力なプレッシャーになる。資本が蓄積すればするほどプレッシャーは増していく」

「資本主義はきわめて暴力的になりがちだ。資本は、蓄積を拒む障壁(市場の飽和、最低賃金法、環境保護など)にぶつかるたびに、巨大な吸血イカさながらに身をよじってそれを破壊し、新たな成長の源へ触腕を伸ばしていく。囲い込みは解決策だった。植民地化は解決策だった。大西洋の奴隷貿易は解決策だった。中国とのアヘン戦争は解決策だった。アメリカの西部開拓は解決策だった。これらの解決策はすべて暴力的だったが、新たな強奪と蓄積への道を切り拓いた。いずれも資本の成長要求に応えるためだった」

「過去500年間で、資本を拡大を促進するためのインフラが整えられた。有限責任、法人格、株式市場、株主価値、部分準備銀行制度、信用格付けなどだ。わたしたちが生きる世界は次第に、資本蓄積の必要性を中心として組織化されるようになった」

「当然ながら政府は常に資本家の利益を拡大を後押ししてきた。結局のところ、囲い込みと植民地化を推進したのは国家権力なのだ」

「GDO成長率そのものへの関心の高まりー成長主義ーは、西欧諸国の政府による経済管理の方法を永久に変えた。世界恐慌後に社会的成果を向上させるために講じられた進歩的政策、たとえば高賃金、労働組合、公衆衛生と教育への投資などが、突如として疑問視されるようになった。これらの政策は高い幸福度をもたらしたが、同時に、労働は、資本家が高い利益率を維持するにはあまりにも『高価』になった」

「1970年代後半になると、欧米の経済成長は減速し始め、資本利益率も下がり始めた。そこで政府はその対策、すなわち資本家のための『解決策』を講じることを迫られた。そこで、労働組合を攻撃し、労働法を骨抜きにして賃金を下げると共に、環境保護の主要な法律を廃止した。以前は資本が立ち入れなかった公共部門ー鉱山、鉄道、エネルギー、水、医療、電気通信などーを民営化し、個人資本家が儲けるための機会を作り出した。1980年代、アメリカのロナルド・レーガン大統領とマーガレット・サッチャー首相は、とりわけ熱心にこの戦略を推し進めた。こうして、今日ネオリベラリズム(新自由主義)と呼ばれるアプローチが始動した」

「利益率を回復し、資本主義を維持するために、政府は社会的な目標(使用価値)から離れて、資本蓄積(交換価値)のための環境を整えざるを得なかったのだ。資本への関心は国政に取り込まれ、やがて成長と資本蓄積はほとんど区別されなくなった。今や国政の目標は、利益の拡大の障壁を取り壊し、人間と自然をより安価にして、経済を成長させることになったのだ」

「欧米政府は、資本家のための解決策の一環として、グローバル・サウスでも同じ計略を推し進めた。1950年代に植民地主義が終焉を迎えた後、独立したグローバル・サウスの新政府の多くは、母国を再建するために経済を方向転換し、進歩的な政策を展開した。国内産業を保護するための関税と補助金の導入、労働基準の改善、労働者の賃金を引き上げ、公的医療や公教育への投資ーこれらは全て、植民地時代の搾取的政策を覆し、人間の福祉を向上させるためのものであり、うまくいっていた。グローバル・サウスの平均所得は1960年代から1970年代まで年平均3.2パーセントのペースで成長した。重要なのは、ほとんどの国において成長そのものが目標でなかったことだ。成長は回復、独立、人間開発のための手段であり、その状況は、世界恐慌後の数年間の西欧諸国によく似ていた」

「しかし、欧米の列強はこの変化を快く思わなかった。植民地主義のもとで享受していた安価な労働力、資源、専属市場を失うことになるからだ。そこで列強は介入した。1980年代の債務危機(途上国の債務が累積し、返済が困難になった)に乗じて、列強は債権者としての力を行使し、世界銀行や国際通貨基金(IMF)を介して、南アメリカ、アフリカ、アジアの国々(中国と東アジアの数カ国を除く)に『構造調整計画』を押し付けた。構造調整計画はグローバル・サウスの経済を強制的に自由化し、保護関税と資本規制の撤廃、賃金の削減、環境保護規制の緩和、公共支出の削減、公共事業の民営化を推し進めた。すべては外国資本にとって利益になる新たなフロンティアを開拓し、安価な労働力と資源へのアクセスを取り戻すためだった」

「グローバル化した世界では、マウスをクリックするだけで国境を超えて資本を動かすことができるため、各国は、外国からの投資をめぐって競い合うことを余儀なくされる。そのプレッシャーのせいで、各国政府は気がつくと、労働者の権利の削減、環境規制の緩和、公用地の開発業者への払い下げ、公共サービスの民営化など、国際資本が喜ぶことは何でもするようになった」

「経済生産の具体的な使用価値(人間の欲求を満たすこと)より、抽象的な交換価値(GDP成長率)が優先されている。政府はそれを正当化するために、『GDP成長は貧困を減らし、雇用を創出し、人々の生活を向上させる唯一の方法だ』と主張する。GDO成長率は『資本主義の成功』の指標に過ぎないのだが、それをわたしたちが『人間の幸福』の指標とみなしていることは、イデオロギーにおいて過激なクーデターが起きたことを示している」

「資本主義のもとでは企業は常に、生産コストを下げるために労働生産性を向上させようとする。労働生産性が向上すると、企業が必要とする労働者の数は減る。その結果、労働者は解雇され、失業率が上昇し、貧困とホームレスが増える。そうなると政府は、新たな雇用を創出するために、さらなる成長を促進しようとする。毎年、同じことが起きる。わたしたちは永遠に成長しつづけなければ社会が崩壊するという不条理な状況に陥っているのだ」

「グローバル化した世界では、マウスをクリックするだけで国境を超えて資本を動かすことができるため、各国は、外国からの投資をめぐって競い合うことを余儀なくされる。そのプレッシャーのせいで、各国政府は気がつくと、労働者の権利の削減、環境規制の緩和、公用地の開発業者への払い下げ、公共サービスの民営化など、国際資本が喜ぶことは何でもするようになった」

「経済生産の具体的な使用価値(人間の欲求を満たすこと)より、抽象的な交換価値(GDP成長率)が優先されている。政府はそれを正当化するために、『GDP成長は貧困を減らし、雇用を創出し、人々の生活を向上させる唯一の方法だ』と主張する。GDO成長率は『資本主義の成功』の指標に過ぎないのだが、それをわたしたちが『人間の幸福』の指標とみなしていることは、イデオロギーにおいて過激なクーデターが起きたことを示している」

「資本主義のもとでは企業は常に、生産コストを下げるために労働生産性を向上させようとする。労働生産性が向上すると、企業が必要とする労働者の数は減る。その結果、労働者は解雇され、失業率が上昇し、貧困とホームレスが増える。そうなると政府は、新たな雇用を創出するために、さらなる成長を促進しようとする。毎年、同じことが起きる。わたしたちは永遠に成長しつづけなければ社会が崩壊するという不条理な状況に陥っているのだ」

「各国は一人当たり一万ドル以下で、医療と教育だけでなく重要な社会指標ー雇用、栄養状態、社会的支援、民主主義、生活満足度などーを高いレベルに上げながら、プラネタリー・バウンダリー以下か、それに近いところにとどまることができるのだ。これらの金額の注目に値する点は、一人当たりGDP[NO世界平均値、1万7600ドルを大幅に下回っていることだ。つまり理論上は、人間の幸福になるものを生産し、公共財に投資し、所得と機会をより公正に分配するだけで、現在よりすくないGDPで世界のすべての人々のために、すべての社会的目標を達成できるのである」

「環境経済学者ハーマン・デイリーがいう通り、ある点を過ぎると、成長は『非経済的』になる。富より『貧困』を多く生み出すようになるのだ。高所得国が成長を追求し続けることは、不平等と政治的不安を助長し、過労や睡眠不足によるストレスや鬱、公害病、糖尿病や心疾患などの不調の原因になっている」

「所得の配分が不平等な社会は総じて幸福度が低い。不平等は不公平感を生み、それは社会の信頼、結束、連帯感を損なう。また、健康状態の悪化、犯罪率の上昇、社会的流動性の低下にもつながる。不平等な社会で暮らす人々は、欲求不満、不安感、生活への不満がより強い傾向にある」

「不平等さは人々に、自分が持っている物では足りないという気持ちを抱かせる。不平等な社会で暮らす人々は、平等な社会で暮らす人々より、高級ブランド品を買う傾向が強い。わたしたちがより多くの物を買い続けるのは優越感に浸りたいだが、決してそうはならない。豊かな暮らしの基準は、富裕層によって絶えず手の届かないところへひきあげられているからだ。気づけば、わたしたちはくたくたになりながら、不必要な過剰消費のトレッドミルを回し続けている」

「幸福度が最も高いのは堅牢な福祉制度を持つ国だった。福祉制度が手厚く寛大であるほど、すべての人がより幸福になる。すなわち、国民皆保険、失業保険、年金、有給休暇、病気休暇、手頃な価格の住宅、託児所、最低賃金制度などが整っている国ほど、国民の幸福度が高いのだ。誰もが平等に社会財を利用できる、公平で思いやりのある社会で暮らす人々は、日々の基本的ニーズを満たすことを心配することなく人生を楽しみ、隣人と常に競い合うのではなく、社会的連帯を築くことができる」

「内在的価値は、お金をいくら持っているか、自宅はどれくらい大きいか、といった外的な指標とは無関係だ。内在的価値はより深いところに存在し、収入や消費によって得られる束の間の快感よりはるかに強力で、長く持続する。人間は、共有し、協力し、コミュニティを築くために進化してきた。したがって、思いやりや協力、コミュニティや人とのつながりを表現できる状況では生き生きと活動し、それらが抑制される状況では苦痛を感じるのだ」

「これらのことはすべて朗報と言える。なぜならそれが意味スノのは、高中所得国や高所得国は、成長しなくても全国民に良い生活を提供し、人間の真の進歩を達成できる、ということだからだ。その方法もよくわかっている。不平等を是正し、公共財に投資し、所得と機会をより公平に分配すればよいのだ」

「これらのことから、シンプルだが急進的な結論が浮上する。それは最富裕層の所得を減らす政策はすべての生態系にとってプラスになる、というものだ。フランスの経済学者トマ・ピケティは不平等に関する世界的権威だが、遠慮なくこう述べる。『財布郵送の購買力を大幅に下げると、それだけで排出量削減に世界レベルで影響を及ぼすことができるだろう』」

「人間の幸福に関して言えば、重要なのは収入そのものではない。その収入で何が買えるか、より生きるために必要なものにアクセスできるかが重要なのだ。鍵になるのは『複利購買力』だ。公共サービスやその他のコモンズへのアクセスを拡大すれば、人々の『複利購買力』を向上させられる。そうなれば、さらなる成長を遂げなくても、すべての人の豊かな生活を実現できる。公正さは成長欲求の解毒剤であり、ひいては気候機器を解決するカギになるのだ」

「こうした開発のアプローチは、グローバル・サウスでは長い歴史を持っている。提唱したのは反植民地主義のリーダーたちだ。もっとも、この時代にこの思想を端的に表現したのはマルティニーク出身の革命的知識人、フランツ・ファノンだろう。1960年代に彼が記した次の言葉は、今なお人々の心に響くはずだ。

来れ、同志たちよ。ヨーロッパのゲームはついに終わった。わたしたちは何か違うものを見つけなくてはならない。今、わたしたちは何でもできる。ヨーロッパのまねをしない限り、ヨーロッパに追いつきたいという欲望に囚われない限り。ヨーロッパは今、あらゆる導きと道理を払いのけ、狂気に満ちた無謀なスピードで奈落の底へ突き進んでいる。わたしたちは可能な限りのスピードでそれを避けるべきだ。今、巨大な塊となってヨーロッパと対峙する第三世界は、ヨーロッパには解決できなかった問題を解決することを目指すべきだ。しかし、はっきりさせておこう、大切なのは、生産高、強化、仕事のリズムについて語るのをやめることだ。わたしたちは、誰かに追いつきたいわけではない。望むのは、昼も夜も常に人と共にあり、ヨーロッパからインスピレーションを得た国家、制度、社会を築くこともやめよう。人類は、そのような模倣ではない何かを、わたしたちに期待している」

「成長主義の問題点は、それが数十年にわたって、分配という難しい政治課題から私たちの目を逸らしてきたことだ。成長はだれにとってもよいことだとわたしたちは決めつけ、政治の主体を成長にまつわる怠惰な計算に任せてきた。機構の緊急事態はこの状況を変える。それは世界経済のひどい不平等を直視することをわたしたちに強い、政治的議論の場にわたしたちを追い込んだ。人々の生活を向上させるために全体の成長が必要だという考えは、もはや意味をなさない。誰にとっての、何のための成長かを、はっきりさせる必要がある。わたしたちはこう訊ねるべきだ。『そのお金はどこに行くのか?』『だれがそこから利益を得るのか?』『生態系が崩壊しつつある時代に、総収益の4分の1が億万長者の懐に入るような経済を受け入れてよいのだろうか』と」

「脱成長とは、経済の物質・エネルギー消費を削減して生物界とのバランスを取り戻す一方で、所得と資源をより公平に分配し、人々を不必要な労働から解放して繁栄させるために必要な公共財への投資を行うことだ。その経済の中心になるのは、際限のない資本の蓄積ではなく、人間の繁栄と生態系の安定である」

「資本主義は使用価値ではなく交換価値を中心であることを思い出そう。商品の大半が目指すのは、人間の欲求を満たすことではなく、利益を蓄積することだ。したがって、成長志向のシステムは往々にして、人間の欲求をあえて満たそうとせず、欲求を持続させようとする。そのことを理解すると、積極的かつ意図的に浪費する大規模経済の存在が見えてくるが、それは是認できるどの目的にとっても有益ではない」

「ステップ1 計画的陳腐化を終わらせる

売り上げを伸ばしたくてたまらない企業は、比較的短期間で故障して買い替えが必要になる製品を作ろうとする。現在、計画的陳腐化は資本主義的生産の特徴として広く普及している」

「ステップ2 広告を減らす

『必要』という限界を超える『解決策』を求めていた企業は、エドワード・バーネイズが開発した広告理論にそれを見つけた。人々の心に不安の種をまき、その不安を解消するものとして自社製品を紹介するのか。あるいは、その製品が社会的受容、階級、性的能力を提供すると約束して、売ることもできる。

それは意識に対する攻撃であり、公共の空間だけでなく、人々の心も植民地化している。

これらの措置(広告の削減)は、無駄な消費を抑えるだけでなく、わたしたちの心を解放し、常に干渉されるのではなく、自分の考え、想像力、創造性に集中できるようにする。広告が消えた空間は、絵画や詩、それに、コミュニティを築き本質的価値を構築するためのメッセージで埋めることができる」

「ステップ3 所有権から使用権へと移行する

「ステップ4 食品廃棄を終わらせる

毎年、世界で生産される食品の最大50パーセントー20億トンに相当するが廃棄されている」

「ステップ5 生態系を破壊する産業を縮小する

この件についてはオープンに民主的な話し合いをする必要がある。これまで、こうした質問がなされたことはなかった。しかし、2020年のコロナウイルスのパンデミックで、誰もが必要不可欠な産業と、不必要な産業の違いを知った」

「経済が合理的かつ効率的になればなるほど、必要とされる労働力は減っていくのだ。

政府は失業対策に追われるようになるだろう。実際、政治家が脱成長を言語道断と見なす理由もそこにある。しかし抜け出す道はある。必要な労働時間を公平に分配すれば、完全雇用を維持できる。

雇用保障は、政府が実施できる最も強力な環境政策の一つだ。失業を心配することなく、破壊的な産業の縮小についてオープンに話し合えるようになるからだ」

「資本主義は自由と人間の解放を軸として構築された、と考えがちだ。それは資本主義が売り物にしているイデオロギーだ。しかし資本主義は、すべての人のニーズを何重にも満たし、人々を不要な労働から解放できる技術力を備えているにも関わらず、その技術を、新たな『ニーズ』を生み、生産と消費のトレッドミルを際限なく拡大するために使っている。真の自由をもたらすという約束は永遠に果たされない」 

「通常、わたしたちは資本主義を、非常に多くのものを生み出すシステムと見なしている。だが実際は、資本主義は絶え間ない希少性の創出を軸として組み立てられたシステムなのだ。資本主義は、生産性と利益を驚くほど向上させるが、それを豊かさと自由にではなく、新たな形の人為的希少性に変える。そうしなければ資本蓄積のエンジンが止まる恐れがあるからだ。成長志向のシステムの目的は、人間のニーズを満たすことではなく、満たさないようにすることなのだ。実に不合理で、生態系にとっては暴力的だ」

「成長のために希少性が創出されるのであれば、人為的に創出された希少性を逆行させれば、成長を不要にできるはずだ。公共サービスを脱商品化し、コモンズを拡大し、労働時間を短縮し、不平等を減らすことによって、人々は豊かに暮らすために必要なものにアクセスできるようになる。しかも、そのために新たな成長は必要とされない」

「生態系崩壊の時代において、債務の帳消しは、より持続可能な経済へ向かう重要な一歩となる。古代オリエント社会は定期的に債務を帳簿を一新して、非商業的な債務を無効にし、債権者による束縛から人々を解放した。この原理はヘブライ法で『ヨベルの年』として制度化され、借金は7年ごとに自動的に帳消しにされた。

わたしたちは、誰も傷つかない方法で債務を帳消しにできる。誰も死なない。結局、複利はフィクションにすぎない。フィクションの長所は、変更できることだ」

「債務の帳消しは一過性の解決策に過ぎず、問題の根本的な解決にはならない。解決しなければならない、より深い問題がある。わたしたちの経済が借金だらけになっている主な理由は、経済システム自体が、債務の上に成り立っていることにある。これは『部分準備銀行制度』と呼ばれる制度だ」

「銀行は、借り手の口座に入金する時、そのお金を何もないところから作り出す。文字通り、融資することで作り出すのだ。

現在、市中に出回っている資金の90%以上は、こうやって作られる。言い換えれば、わたしたちの手に渡っていく通貨のほとんどは、誰かの借金なのだ。この借金は、利子をつけて返さなくてはならず、それにはより多くの労働・採取・生産が必要とされる」

「銀行は何もないところから無料で作り出した製品(すなわち、お金)を効率よく売った後、人々には、その返済をするために現実の世界で実質的な価値を持つものを採取・生産することを要求しているのだ。常識外れの突拍子のないことなので、人々はそれを事実であることを理解できない」

「1930年代にヘンリー・フォードはこう言った。『国民はおそらく銀行制度や貨幣制度について知らないか、あるいは理解してないのだろう。もし理解していたら、明日の朝までに革命が起きるはずだ』」

「さて、ここから問題が生じる。銀行は、融資するお金は作り出すが、利息の支払いに必要なお金は作らない。したがって常に不足があり、欠乏した状態になる。この欠乏(希少性)が激しい競争を生み、誰もが借金を返済するための資金を得る方法を見つけようとする。その方法には、さらに借金を重ねることも含まれる」

「椅子取りゲームを見たことがあれば、この状況を理解できるだろう。熾烈な競争だ。資本主義社会の表面だけを見る人は、多くの経済学者と同じく、こう結論づけるかもしれない。激しい競争、利益の最大化、利己的な行動は、人間の本性に組み込まれているのだ、と。しかし、そうした行動は、本当に人間の本質なのだろうか? それとも、ゲームのルールに過ぎないのだろうか」

「過去数十年にわたって生態経済学者は、複利に基づく貨幣制度は地球の生態系の微妙なバランスの維持とは両立しないと、述べてきた」

「あるグループは、債務が指数関数的に膨らむ現在の複利システムを、単利システムに切り替えるだけでよいと主張する」

「2番目のグループはさらに踏み込んで、債務ベースの通貨を完全に廃止すべきだ、と主張する。商業銀行に信用通貨を作らせる代わりに、国が債務なしで通貨を作り、経済に貸し付けるのではなく、経済で使うようにするのだ。もちろん、銀行は以前としてお金を貸すことはできるが、そのために100%の準備金を用意しなければならない」

「『公共貨幣システム』と呼ぼれるこのアイデアは決して奇抜なものではない。初めて登場したのは、1930年代で、シカゴ大学の経済学者が大恐慌による債務危機の解決策として提案した。2012年には再び注目された。IMFの進歩的な経済学者らが、債務を減らし世界経済をより安定させる方法として奨励したからだ。現在、よりエコロジカルな経済に向かうための有望な手段の一つとして注目されている。このアプローチの強みは、単に借金を減らすだけでなく、国民皆保険、雇用保障、生態系の再生、エネルギー転換などに直接、資金を提供できることになる。しかも、収益を生み出すためのGDP成長を必要としない」

「資本主義の『転覆』や『廃止』について語る時、わたしたちは、その後どうなるのか、という不安に囚われる。地球の死を目前にして、現行の経済システムを攻撃するのは簡単だが、改革を求める人々が新たな社会がどのようなものになるのかを述べることはほとんどない。そのため、未来は恐ろしく、予測不能なものに思える」

「しかし、経済システムを成長要求から解放する仕組みに着目すると、ポスト資本主義経済がどのようなものであるかが見えてくる。ポスト資本主義経済では、人々は有益な物やサービスを生産し販売する。合理的かつ十分な情報を得た上で、何を買うかを決断できる。労働に見合う報酬を得ることができる。無駄を最小限にしながら人間としてのニーズを満たすことができる。必要とする人々に資金が届く。イノベーションによって高品質で長持ちする製品が作られ、生態系への負担が減る。労働時間は短縮され、人々はより幸福になる。そして、基盤となっている生態系の健全さを無視するのではなく、大切にする」

「わたしは政治戦略家ではないが、希望的観測を一つ述べておきたい。必要とされる転換を遂げるには、全体主義的な政府が上から強制するしかないと考える人々もいる。しかし、この思い込みは間違っている。真実はまったく逆だ」

「2014年、ハーバード大学とイェール大学の学者チームが、自然界に対する人々の考え方について調査し、驚くべき結果を発表した。

人々をグループに分け、世代を超えて管理する共有資源を割り当てた。その結果、平均で68%もの人が、持続可能な形で資源を利用することを選択し、再生可能な量しかとらなかった。

問題は、残りの32%の人が、目先の利益のために共有資源を存分に使うと言う選択をすることだ。時が経つに連れて、この利己的な少数派のせいで共有資源は減り、4世代目までに資源は完全に枯渇し、次世代に何も残らない。この驚くべき衰退のパターンは、現在、地球上で起きていることに非常によく似ている。

しかし、そのグループに、直接民主主義によって集団で決定することを求めると、持続可能な選択をした68%の人々が利己的な少数派を抑え、破滅的な衝動を阻止できたのだ」

「何度調べても、民主主義のもとでは資源は100%、次世代のために維持された。科学者たちは12世代に及ぶ実験を行ったが、結果は常に同じだった。資源はまったく減らなかった」

「定常経済を実現するには、資源の消費と廃棄に、明確な上限を設ける必要がある。数十年にわたって経済学者たちは、『人々はそれを理不尽だと思うから、そのような上限の設定は不可能だ』と主張してきた。しかし、それは間違いだと分かった。機会があれば、人々は、まさにそのような政策を望むのだ」

「わたしたちの大多数は民主主義社会で生きているのに、なぜ実際の政策決定は、ハーバード大学とイェール大学の実験が予測するものとこれほどまでに異なるのだろうか。それは、わたしたちの『民主主義』が少しも民主的でないからだ。所得配分がますます不平等になるにつれて、際富裕層の経済力強化は、そのまま彼らの政治力の強化につながった。いまやエリートが民主主義システムを掌握しているのだ」

「現在、わたしたちが生態系崩壊の危機に直面している理由の一つは、政治システムが完全に腐敗していることにある。将来の世代ののために地球の生態系を維持したいという大多数の思いは、嬉々としてすべてを使い尽くそうとする少数のエリートによって踏みにじられている。より環境に配慮する経済を勝ち取りたいのであれば、民主主義を可能な限り拡大しなければならない。それは、政治からビックマネーを排除することを意味する。

望ましい経済について、オープンで民主的な対話ができるとしたら、それはどんな経済だろう」

「長い間、わたしたちは資本主義と民主主義はセットになっていると教えられてきた。しかし実際には、両者はおそらく両立しない。資本主義は、生物界を犠牲にしても永続的な成長に執着し、多くの人が重視する持続可能性に背を向ける。言い換えれば、資本主義には半民主主義的な傾向があり、民主主義には半資本守護的な傾向があるのだ」

「わたしたちが過剰な産業活動を縮小し始めれば、生物界は驚くべきスピードで回復するのだ。これは遠い夢ではない。わたしたちの生きている間に、この目でその再生を見ることができるだろう」

「脱成長とは、脱植民地化のプロセスだと考えざるを得ない。資本主義の成長は常に領土拡大の論理を中心として組み立てられてきた。資本が自然の領域を次々に蓄積の回路へ引き入れるにつれて、土地、森林、海、さらには大気さえ植民地化されてきた。過去500年にわたって、資本主義の成長は、囲い込みと奪取のプロセスであり続けた。脱成長とはこのプロセスを逆転させることだ。それは解放であり、治癒と回復と修復の機会が訪れたことを意味する」

「何ものも単独では存在しない。個体というのは幻想だ。この地球上の生命のすべて、関係性が織りなす網の目の一部なのだ。

これらの原則が惑星レベルで、すなわち地球システム全体で働いていることを示す証拠さえある。科学者たちは、植物、動物、細菌のバイオドームが、陸地、大気、海洋とどのように相互作用し、地表の気温から海の塩分濃度、大気の組成に至るすべてをコントロールしているかを学んでいる」

「生物界から食物や資源を受け取るときには、祖母から手作りの健康的な料理をもらうときのような、思いやりと礼儀正しさと感謝の念を持って受け取るべきだ、とキマラーは指摘する。権利としてではなく、贈り物として受け取るのだ」

「結局のところ、わたしたちが『経済』と呼ぶものは、人間同士の、そして他の生物界との、物質的な関係である。その関係をどのようになものにしたいのか、と自問しなければならない。支配と搾取の関係にしたいのだろうか。それとも、互恵と思いやりにみちたものにしたいのだろうか?」

「わたしたちはここで何をしているのか? どこへ行こうとしているのか? それは何のためなのか? 人間が存在する目的は何なのか? 成長主義は、わたしたちが立ち止まってこれらの疑問について考えることを阻む。どのような社会を実現したいのかを考えることを阻む。実のところ成長の追求は、考えること自体を阻むのだ。わたしたちは我を忘れ、あくせく働き、深く考えようとせず、自分が何をしているか、周囲で何が起きているかに気づかず、自分が何を、そして誰を犠牲にしているかに気づかない」

「脱成長という考えは、わたしたちを夢から目覚めさせる」

「疑問を持つことは、何より強力である」


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